「オペラ座の怪人」を観てきた。
ミュージカルや映画など、これまで、何度も…何度も…何度も…観劇して、いつも、わからなかった。不思議だった。
なぜ、クリスティーヌは、ラウルを選んだのか?
・・・というよりも、なぜ、ファントムに惹かれなかったのか?
理性や思考の面からは考えるまでもなく、ラウル優位。
社会的立場も(子爵だし…)、経済力も(パリ・オペラ座のスポンサーできるぐらいだし…)、容姿も(映画でも劇場でも整った顔立ちの役者さんが演ってるし…)、道徳観や正義感も(物語中で遺憾無く発揮されてるし…)、おそらく、異論なくクリスティーヌの選択は支持されるのだろう。
けれども、それでも、私は不思議だった。
なぜ、クリスティーヌはラウルを選んだのか?
なぜ、ファントムに心奪われなかったのか?
物語の世界で描かれるファントム。
ただ、一途に…深く…強く…激しく…
「世界中でお前だけ」と、
哀しいほどにまっすぐにクリスティーヌに向けられる激情。
何度観ても、私は、このファントムに心奪われ、虜になっていた。
たとえ、仮面の下に醜い姿を隠していようとも。
たとえ、犯罪を犯していようとも。
たとえ、偏った熱情の持ち主であろうとも。
その心の奥底にあるであろう、激しさ…熱さ…求める存在へのまっすぐな感情…
偏っているが故に、限りなく個性的で魅力的な
「怪人」
私は、この「怪人」に、毎回、すっかり魅惑されてしまうのだ。。。
それに較べると、ラウル子爵のなんと平凡に感じることか。
子どものころの正義のヒーローや、おとぎ話の王子様を見ているような感覚。
言っている言葉も、やっている行動も、いちいち「もっとも」な内容なんだけど・・・
そこに「この人らしさ」を感じられない。
そのキャラクターの人間くさいところが匂い立たない。
物語を通じて、強い印象を残さない。
これまで、ラウルという人物は、私にとって、そんな存在だった。
だからこそ、わからなかった。
なぜ、クリスティーヌはラウルを選んだのか?
けれども、今回、私は初めて気づいた気がした。
いや、「悟った」と言ってもいいかもしれない。
それぐらい、自分の中で衝撃だった。
ラウルの愛は、
ただ、ただ、「与える愛」
クリスティーヌを、ただ愛し…ただ守り…ただ支え…ただ側にいる。
相手からの「何か」を見返りにしない。
ただ、「この人が好きだ」という気持ちを純粋に表し、クリスティーヌに愛されること…を、自らの愛を充たす条件にしていない。
対して、ファントムはどうか?
ファントムの激しさは、熱さは、
「クリスティーヌから愛されること」を求める思いの強さ故ではないのか?
音楽を与え…
歌を教え…
主役の座を与え…
成功に導く…
ファントムがクリスティーヌに与えたものは数多くあるけれども、それらは、
「クリスティーヌから愛されること」を求めるが故ではないか?
ファントムのクリスティーヌへの愛は、
「相手から愛されること」を、必要とする想い。
相手から愛されてはじめて、充たされる想い。
「求める愛」
そして、時によってそれは
「奪う愛」にカタチを変えてしまうものなのかもしれない。
ファントムの哀しさ。
愛するが故の
「求める愛」から「奪う愛」への変化。
あぁ、そうなのか。。。
私は、これまで、いかに表面だけ…を観ていたのだろうか。
「オペラ座の怪人」
この作品は
ラウル子爵の「与える愛」
と、
ファントムの「求める愛」
このふたつの愛のカタチの物語なのだと、やっと、悟ったのでした。
あぁ、もう一回、いや、もう何回でも観たーーーい。
やっぱり、永遠の名作だぁ。。。。。。
ミュージカルや映画など、これまで、何度も…何度も…何度も…観劇して、いつも、わからなかった。不思議だった。
なぜ、クリスティーヌは、ラウルを選んだのか?
・・・というよりも、なぜ、ファントムに惹かれなかったのか?
理性や思考の面からは考えるまでもなく、ラウル優位。
社会的立場も(子爵だし…)、経済力も(パリ・オペラ座のスポンサーできるぐらいだし…)、容姿も(映画でも劇場でも整った顔立ちの役者さんが演ってるし…)、道徳観や正義感も(物語中で遺憾無く発揮されてるし…)、おそらく、異論なくクリスティーヌの選択は支持されるのだろう。
けれども、それでも、私は不思議だった。
なぜ、クリスティーヌはラウルを選んだのか?
なぜ、ファントムに心奪われなかったのか?
物語の世界で描かれるファントム。
ただ、一途に…深く…強く…激しく…
「世界中でお前だけ」と、
哀しいほどにまっすぐにクリスティーヌに向けられる激情。
何度観ても、私は、このファントムに心奪われ、虜になっていた。
たとえ、仮面の下に醜い姿を隠していようとも。
たとえ、犯罪を犯していようとも。
たとえ、偏った熱情の持ち主であろうとも。
その心の奥底にあるであろう、激しさ…熱さ…求める存在へのまっすぐな感情…
偏っているが故に、限りなく個性的で魅力的な
「怪人」
私は、この「怪人」に、毎回、すっかり魅惑されてしまうのだ。。。
それに較べると、ラウル子爵のなんと平凡に感じることか。
子どものころの正義のヒーローや、おとぎ話の王子様を見ているような感覚。
言っている言葉も、やっている行動も、いちいち「もっとも」な内容なんだけど・・・
そこに「この人らしさ」を感じられない。
そのキャラクターの人間くさいところが匂い立たない。
物語を通じて、強い印象を残さない。
これまで、ラウルという人物は、私にとって、そんな存在だった。
だからこそ、わからなかった。
なぜ、クリスティーヌはラウルを選んだのか?
けれども、今回、私は初めて気づいた気がした。
いや、「悟った」と言ってもいいかもしれない。
それぐらい、自分の中で衝撃だった。
ラウルの愛は、
ただ、ただ、「与える愛」
クリスティーヌを、ただ愛し…ただ守り…ただ支え…ただ側にいる。
相手からの「何か」を見返りにしない。
ただ、「この人が好きだ」という気持ちを純粋に表し、クリスティーヌに愛されること…を、自らの愛を充たす条件にしていない。
対して、ファントムはどうか?
ファントムの激しさは、熱さは、
「クリスティーヌから愛されること」を求める思いの強さ故ではないのか?
音楽を与え…
歌を教え…
主役の座を与え…
成功に導く…
ファントムがクリスティーヌに与えたものは数多くあるけれども、それらは、
「クリスティーヌから愛されること」を求めるが故ではないか?
ファントムのクリスティーヌへの愛は、
「相手から愛されること」を、必要とする想い。
相手から愛されてはじめて、充たされる想い。
「求める愛」
そして、時によってそれは
「奪う愛」にカタチを変えてしまうものなのかもしれない。
ファントムの哀しさ。
愛するが故の
「求める愛」から「奪う愛」への変化。
あぁ、そうなのか。。。
私は、これまで、いかに表面だけ…を観ていたのだろうか。
「オペラ座の怪人」
この作品は
ラウル子爵の「与える愛」
と、
ファントムの「求める愛」
このふたつの愛のカタチの物語なのだと、やっと、悟ったのでした。
あぁ、もう一回、いや、もう何回でも観たーーーい。
やっぱり、永遠の名作だぁ。。。。。。