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《 デ キ タ カ ナ ッ タ 》

できた!叶った!高鳴るブログ

以前このブログでも紹介しただろうか

 

宮沢賢治の『生徒諸君に寄せる』の一節です。

 

 

透明で清潔な風とは、なにを指すのか

 

数年間ずっと考えていました。

 

それは未来から吹いてくるもので、

 

風を辿って向かってみれば、

 

いずれ山々となって地平線を彩るのです。

 

image

富良野にあるカンパーナ六花亭にて撮影

 

「紺いろの地平線が膨らみ高まるときに

 

    諸君はその中に没することを欲するか」

 

 

「諸君はこの時代に強ひられ率ひられて

 

   奴隷のやうに忍従することを欲するか

 

      むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ」

 

 

見るべきなのは現実だけではなく

 

その先の未来や、未来から吹いてくる風なのです。

 

 

どんなにひどいことが起こったとしても

 

絶望することなく

 

未来を信じつづける希望を持ち続けること

 

 

言葉にするには難しく、とても難解な詩ですが

 

今なら少しはわかった気がします。




氣札には、ふしぎな力があります


描かれているのは、誰かの気持ちや


守ってくれている存在、


進むべき道、


やるべきこと、


苦手なこと、


幸せへの足掛かりなど、

さまざま。



眺めて念じているだけで、


いつのまにか


やるべきことをちゃんとできている。



『優しすぎるあなたに

   たくさんの愛を受け取れるようになる札』


氣札は生き物で、


持つ人によって効果が変わります。


ある人には、


考えをすっきりさせてくれる効果を、


またある人には、


関係をすっきりさせてくれる効果だったり。


そんなお札です。



どうしてそんなことが起こるの?



それは、色々な氣や


神様や周りのたくさんの存在に


どうかこれを持つ人に


ちからを分けてあげて欲しいと


念じながら書いているから。


そうすると、たくさんの存在が


持つ人にちからを貸してくれる。



だから、生きているのです。


だから、ふしぎなことがおこるのです。

 

 

あなたは、何者ですか?

 

 

 

こう聞かれることはあまりないと思う

 

(私は何十回と聞かれたことがあるが)

 

では、あなたは何者なのだろうか。

 

 

その答えは、


何者でもない


同時に、何者かである。


つまり、それを私に決めることはできない。



私は癒し手である。


受け手である相手を


占いや札を使いつつ癒していく


そういう人だ



では、あなたはどうだろうか。


ヒーラーだったり

    主婦だったり

 サラリーマンや

       農家だったり


色々な人が見ているだろう


では、あなたはあなた自身をどう見ているのだろう



自分は普通の主婦です

 

そう思い込めば、そこから何者になることもない



自分はただの主婦ではありません


この人は、ただものではないのだろう





あなたが何者なのか


それは、あなたが決め、信じ、貫いてきたあなたの姿そのものだ


そして、何者かどうかは


まず初めに、あなたが決めなければならない。


今の自分の姿から変わりたければ、


新しい自分のイメージを想像し、


今のイメージを壊し、新しいイメージと混ぜ合わせ


そのイメージを信じて生きること。


そうすれば、いつかそれが定着してくる



そう、それはまさに


あなたが今のあなたを形作ってきた


過去の経験を信じて貫いてきたことと


全く同じような作業だ。



一度できたのだから、きっと何度でもできる。


できた、叶ったの先へ、、、