ここ最近一番心が揺れたこと。






私は小さい頃から自分が人とは違うことが違和感で

それを変えようとする

のではなく

受け入れて生きてきた。



大人しくて運動もできないし

勉強も特別できるわけではない


目立たなかったはずなのに


中学生のとき卒業文集で

将来大物になりそうな人物第3位になったりして

なんで私が???!と不思議だったけれど

(1位と2位は目立って人気者タイプと学級委員長だった)


何か変わってたんだと思う。



人と違う

とゆうのは物理的に


産まれたときから遠視だったり

小学生のときに一型糖尿病とゆう病気になったり


内面や行動面で大人になってわかったことは

発達障害ーADHDの診断を受けられるくらい

偏りがあるとゆうことなど。


昨年

人には試練を乗り越えるために産まれてきた人と

生きてるだけでいい人がいる


とゆう話を聞いた。


私はどっちなのか?


気になりながらも

なんとなくわかってたように思う。


私が人からすごいと思われること

よく言われるのは

"色々あっても普通でいられること"


みんなそうだと思うけど

多分
"色々ある"の色々が、人より目立ったんだと思う。

そんな私を見て、肩の力が抜ける人は多い。



そして今年に入って


私が何のために産まれてきたのか


教えてもらう機会があったんだよね。


"生きてるだけでいい人"だった。


肩の力が抜けたと同時に


他の人は何のために産まれてきたのか

とゆう話が続いて

なんか、その人たちが羨ましくなったんだ。



私、自分を自分で認めてきたつもりだったけど


完全には認められてなかったのかもしれない。


人の話を、違う人の聞いてたら、かなり揺れた。





私は人から存在を認められてることは感じても

行動面・外的要因を人から評価されることって、めったにないから

それが常々寂しいなぁって思ってた。


でも
考えたら私がそうゆう目で人を見てる。
人を評価しないように、心がけてた。

もちろん素直にすごいねって言っちゃうことも多いけど、存在を認めた上で、言ってる。(そして、周りの人も、評価しようとして言ってるわけじゃなくて、素直に言ってるだけなんだ、多分。とゆう気づき!)

一方で目に見えてすごいところが少ない人・・・つまり自分のこと・自分みたいな人には、人よりも認める機会が少なかったなぁって、書いてて思った。存在が変わってること、認めたら失礼かと思ってた。
自分のことから認めたらよかった。もっと、認めよう♡


それが周りの人たちの特性を目の当たりにして


私には価値がないの?

ってなってた。



私が生きてるだけでいいんだろうな

と感じるのは、居るだけで喜ばれるところ。



それってすごいことだと思う。


でもそれって、過去を振り返ると


何かすると非難される


と裏表だった。




何もしないことが、どれだけしんどいことか


どれだけ勇気のいることか


どれだけ孤独なことか。


生きてるだけでいい


その評価をされたとき


周りの人たちは


そんなこと、わからないだろうなって思った。


私も乗り越える苦労はわからない。


でも、私が私でいることに力がいらないのと同じように


その人たちも


そうせざるを得ないからそうしてるだけなんじゃないかと思うから


どっちが大変かとか、すごいとか


そうゆう話ではないと思ったんだ。







そしてこのとき何が辛かったのかな?

と思ってみると


私も、試練がなかったわけじゃないと思ってたからなんだ。



試練に見えるものは沢山あったし

まわりにも、色々あるねって言われてきたから


それを全部捨てなきゃいけないような気がして

否定されたように感じて

抵抗してたんだと思う。



でも私に起こったことが試練じゃないのか?

とゆうと


私は試練と思えることがあるたびに

私にとっては乗り越えられないほど大きな試練で

全てに降参して生きてきた。


ただ、それだけなんだ。


試練と思えるものと


仲良く生きてきただけなんだ。




だから結果的に、私の人生に試練はなくなった。




まだまだ私の人生これからだから


あと一年後、いや、この記事書いて出した3日後には変わってるかもしれないけれど


私にとって生きてるだけでいい人生って


どんなに辛いことがあっても

辛いなぁって思いながら、辛さを乗り越えようとせず、経験として受け入れていく人生。

嬉しいことがあったら、それを自分の手柄にするわけでもなく、ただただ喜び、周りを明るくする人生。

怒りがあっても、ああ、怒ってるって。ただただ怒りを感じて、自分の器を広げる人生。

ああ。それでも・・・

哀しいことがあったときは、側にいてくれる人を、頼りにしてる。

これは最近やっとだなぁ。

10年前は、出来なかった。

楽しいときも、同じ。自分ひとりでは大抵溢れちゃうから、周りと共に楽しむ人生。



なんか、いい人生だね。








何のオチもないつもりで書いたけど


ちょっと、癒された。笑


私みたいな人も、いるかな?


もしかしたら


あんたの試練は試練じゃないよ

って、思われるかもしれない。


でも、私の目に映る世界はこんな感じだ。


生きづらさは、誰にでもあると思うんだ。


お花畑みたいに幸せなだけの人生もあるのかもしれない。


私の今は結構そうだけど。笑


そうだね。


今あるのは今だから。


それを認めて、生きてみようと思う。


乗り越えられない自分を責めなくてもいいんだから。


あ、大事なことを書きそびれるとこだった!


私、自分が生きてるだけでいい人だってゆうことをしれたこと

すごくよかったと思ってる。


それがわかってから

乗り越えなくていいんだもの。笑


それが腑に落ちたとゆうか


これまでは

乗り越えなきゃ
一応足掻いてみる
ダメだわ
ダメな自分でもOKと認めて諦める


だったのが


まず最初の乗り越えなきゃと思うことがなくなったから。

ダメだわ。がなくなる
何にもしないこのままの自分でOK

になったんだよね。気づいたら。


だから、よかったニコニコ


それでは、今日も良い1日を!