うつ病持ちは、心の中が負の思念の廃棄場みたいになっている。

 

後から後から、止め処なくマイナス感情が湧いてくる。

 

貯まり過ぎるとパンクして激鬱になるから、定期的にお掃除が必要。

 

掃除したところで、うつの根本原因である自己嫌悪と自殺願望は相変わらずで、ゴミのような負の思念は絶えず湧き続け、焼け石に水ではある。

 

だけど、深層意識にアクセスして、一時的でも頭の中を空っぽに近くして、気持ちを楽にする瞬間を、最近は少しだけ作れるようになってきた。

 

一日の間にほんの数分~30分くらいしかもたないけれど、思考を一切停止すれば、そこに苦しみは起こらない。

 

苦しみが起こらない静かな心の状態は、何かをすることで得られる刺激的な楽しみとはちょっと違う、本当にホッとする瞬間。

 

何かをする刺激的な楽しみの場合、あくまで現実逃避で、深層意識から意識を逸らして、気を散らす事で、うつ感情を紛らわせているだけ。

 

そして、頭の中でそれを自覚してるから、心から楽しいわけじゃない。頑張って無理やり気を散らしている状態なので、ゲームをしていてもイライラや焦燥感が消えない。

 

でも、深層意識に直接アクセスして、頭を空にすると、一瞬だけど、心からホッとする瞬間がたまに訪れる。

 

まだ完全に空に出来るわけじゃないけど、心のコントロールの練習は、これからも続けたい。

 

まだまだ不完全だけど、長年うつ感情が消えない人は、一度思い切って深層意識に向き合って、思考停止の練習をしてみると、何か気付くことがあるかもしれない。

 

この世で苦しんでいる人達が、少しでも楽になりますように(^^)/

僕には生きる理由もなければ、願望もない。

 

そんな人間が、ただ漠然と生きようとしても、自己矛盾で虚無感に苛まれてしまうだけだ。

 

だから、生きようと思わない。生きなくちゃと頑張る事をやめる。

 

代わりに、どうせ最後は死ぬのだから、生きている間は、少しでも今を幸せに生きられるように、肩の力を抜こうと思う。

 

死を拒むのではなく、死を直視して静かにその時を待つ。

 

そう考えると、人生に対して冷静になれる瞬間がある。

 

美味いラーメン屋の前で順番待ちをする気分で、苦しみから解放される死の時を、今か今かと待ち望む。

 

ただ、待っている間は暇なので、どうせなら何かをして暇を潰すのだ。

 

宝くじと違って、最後は必ずその時が来て救われるのだから、それまで気楽に待てばいい。

 

考え方次第で、自分のメンタルをある程度コントロールできる部分がある気がするのだ。

 

そして、生きている間に、たった一つ、ちょっとした事でいいから、人や世の中のために何かしてから死にたい。

 

自分でお金を稼いで、ちょっとでいいから寄付でもして、正しく生きようとしたという事実を遺したい。

 

そうすれば、誰にも知られず、認められなくても、この世に誠実な関りを持った事実をもって、虚無感ではなく、納得感の中で死ねる気がする。

 

そんな事を考える日々。

心を病んでいると、基本的に何もしたくなくなる。

 

楽しいとか、嬉しいとか、ワクワクしたり感動したりといった心を失う。

 

そんな状態で、無理に気持ちを盛り上げるため、何かをしようとしても、かえって疲れるだけ。

 

だから、人生を楽しもうとか、充実させようとか、上手に生きようとか、無理に前向きに考える事を止める。

 

かわりに、今この時を生きるのにどうしてもやらなくちゃいけない事に意識を向けて、それを淡々と作業的にこなす事に集中する。

 

すると、不思議な事に、心の抑揚が減る分、うつ病が幾らか緩和する。

 

苦しみは、期待や希望、願望や欲望があるから生まれる。

 

だから、その部分を制御すれば、大きな喜びや感動は無くなるけれど、同時に大きな苦しみも減る。

 

それが良いかどうか分からない。だけど、苦しみと喜びは表裏一体な気がする。

 

その苦しみがどうにもならないなら、根底にある欲望や願望そのものを消すしかない。

 

そのために必要不可欠なのは、価値観への囚われから脱却する事。

 

自分の中にある、こうありたい、こうあるべき、という欲望に起因する無意識の価値観を、根っこから捨て去る必要がある。これが難しい。

 

でも、自分の心を観察していると、色々と気付くことがあるのは興味深い。

 

これからも自己観察は続けようと思う。

ここ三日程、胸が詰まってちくちく痛い状態が度々起こる。

 

最近、ウォーキングを始めたりして、健康には少し気を遣い始めたけれど、20年の蓄積は静かに肉体を蝕んでいたのか、連日のストレスも相まって、ちょっと不安。

 

たまにだけど、痛くて息を吸えなくなる。脂汗が出て、焦る。

 

心筋梗塞の前兆なのかな。

 

以前にも似たような症状は度々あったけど、ちょっとしたら消えたから、今回もそうだといいが、日を跨いで続くのは初めて。まぁ、健康なはずはないけどね。

 

もう40前だし、ぽっくり死ぬ人がいてもおかしくない年齢だ。

 

別に死ぬのは怖くないけど、苦しんで死ぬのが怖い。

 

人だらけの病院に担ぎ込まれて、流れ作業みたいに淡々と扱われながら、虚しさと苦しさの中で死ぬよりは、自宅で死にたいかも。

 

生きようと足掻き始めた矢先に、こういうのって、やっぱり死ぬべきなのかな、って激鬱が襲ってくる。

 

僕は大事なものを失わないと、その価値に気付かないゴミ人間なんだって、つくづく思う。

 

親、時間、お金、健康・・・全部失ってから、あぁ・・・って思う。

 

最後に失うのは命か? でも命は失ったら後悔する意識さえ無いから、幸せかな。

 

苦しみの上塗りばっかりだ。

どうしようもなく鬱で苦しくても、例えば今、突然目の前に包丁を持った強盗が押しかけてきたら、あるいは大地震で家が崩れそうになったら、どうするだろうか。

 

おそらく、少しでも生きる気力や死にたくないという想いがあるうちは、考えるよりも前に、本能的に己の身を守るために然るべき行動を取ると思う。

 

辛くて体も心も疲れ果てていても、人間は極限状態に追い込まれれば、本能と直感によって、出来る事、しなければならない事を把握して、一瞬で行動に移す能力がある。

 

僕が親を失い、金もなくなって、もう後がない状況に追い込まれて、ようやく生きるために今足掻いているのと同じだ。

 

心に激しい葛藤はあっても、目の前の現実に対して、生き延びるためには、あるいは安らかに死ぬためには、どうすればいいのかを、足りない頭をフル稼働させて、必死になっている。

 

逆に、頭を働かせて、何か行動を起こそうとしている間は、つかの間だが、意識の一部が自殺や自己嫌悪の想念から離れて忙しくなるので、鬱状態が少しだけ緩和される。

 

もちろん、根本は何も変わらないから、意識の片隅は常にうつ感情がチラついて、イライラしたり、不安や恐怖に苛まれているけれど、何もしていないと、そのうつ感情に意識を全て覆われて、全身の力を常時吸い取られ続けて、布団から起き上がる事さえできなくなる。

 

だから、なんでもいいから、何かをする事は、とても大事な事の気がするのだ。

 

もちろん、疲れたら休む。だけど、少しでも動く気になった時は、うつ感情にそのまま溺れずに、とりあえず思い切って動いてみる。

 

とくに僕には時間もお金もない。だから、うつ感情に溺れて非生産的な時間を過ごしているゆとりはないから。

 

動いて何かして、それでもどうにもならないかもしれないけど、少なくとも、変えるべく足掻いた結果としてダメなら、納得が得られるかもしれない。それは諦めて死を受け入れるという観点では、一つの答えになるから、意味があるはず。