今日は、1年前までいたキャンパスの卒業式。


言葉にできないいろんな気持ちになったなぁー。
28年間、いろんな気持ちを味わってきたつもりだけれど、
まだまだ味わったことのない気持ちがたくさんあるんやな、なんて今更。


今日予定の会議がある中「式にいっておいで」と送り出してくれた大先輩は、
「元教え子たちの巣立ちを見送る元担任の喜びと、

 現担任じゃないことのせつなさを感じられた卒業式だったかな?

 こういった想いも味わうことで、山本さんには益々大きくなってほしいんだわ。」
 とメールをくださったのだけれど。


一言でいうと、そういうことなのかもしれない。


去年までの卒業生たちもいっぱい来てて。
今年の卒業生たちと共に。
あまりにも自然に集うから。
あまりにも自然に声をかけてよってきてくれるから。
何の屈託もない、何の見返りも求めない、在り方とあったかさで迎えてくれるから。

つい1年前までの日常。忘れていたわけではないけれど、
びっくりするぐらいぐーっと引き戻されて、クラッと来るぐらい懐かしくてびっくりした。


1年で、自分が新しい環境に適応し、その当たり前のなかで生きているんだな、っていう当たり前のことに、
改めて気付いて、それにもびっくりした。


自分の同窓会、なんかとはまた全然違う感覚で。


でも違和感なんてまったくなくて、生徒たちには「2日前ぐらいまでおったみたいやな!」なんて言われながら。
それでも走って抱きついてきてくれる生徒たちがいて、

何より、1年という月日は、こんなにも人を成長させるんだな、って驚かされることが
本当に多々あって、本当にすごいな、って1人ひとりの成長がもう表情からだけでも伝わってきて、
本当によかったなー!って嬉しさあまる気持ちとすごいなーって尊敬の念と、
その1年、私も寄り添っていたかったな、なーんてわがままな気持ちと。

離れたから、見えることに感謝する気持ちと、

「ここに確かにいた。けど今はいない。」ことが感じさせるこの少しの距離感が生み出す不思議な気持ちと。


他にも、
小さくまいた種、をこんなにも大きく育ててくれたんやな、とか。
ほっそい道筋しかつくれなかったけど、こんなにもちゃんとした道にしてくれたんやな、とか。
生徒たちの力に、先生方の力に。改めて感じることも多く。


あと去年、分室を去る間際に、同僚の先生がつくってくれた券があって
生徒が「○○してあげる券」を書いてくれて、そのお返しに私は「実現させてね券」を書いて渡す、みたいな。
冗談交じりで、いろいろ書いた覚えがあるなんというか私にばかり有利な券(笑)なのだけれど、


「専門学校にいって彼女ができたらちゃんと帰ってきて○○先生に紹介すること!」
「ダンス部を作ってリーダーになること」
「文化祭で司会をor女装をすること」「ハンドベル部の部長としてみんなをひっぱっていくこと」
「卒業式に間に合うように卒業すること」とかとか。


何人もが、その券を財布なんかに持ってくれていて、
「実現させたで!」なーんて報告に来てくれたり、「俺もまだ持ってるで!」とか出してきてくれたりして。


先生らしいいい言葉なんてかけてあげられないし、いいタイミングで泣けるような人でもないし、
でもいっぱいの笑顔で、いっぱいの子の頭をぐしゃぐしゃってして、
いっぱいの子に体当たりして、ぎゅってして、

「相変わらず」にいられるのは、あなたたちのおかげなのですよ、と思う。


去年バイバイするとき、ひとりの男の子がくれたトトロの置物。
木の根の下で、冬眠するシマリスを、横にたってただそのままじーっと見守っているトトロ、なんだけど。

私に何か、って思って、これがしっくりきて選んでくれたんなら、私はほんまに幸せやな、って。
日がたつにつれ、思った。


この1年、キャンパスが変わって、
いわゆる「先生」にならざるをえない瞬間が少し増えて
(まぁそれでも見事に「先生は‟先生”ではないなぁ」って言われるけれど。。。)、
自分の在り方を模索するたびに、このイメージに助けられた。自分が大事にしたいこと、を忘れないように。


卒業文集、というのがあって、1人800字ぐらいでいろいろと書くのだけれど、

1人ひとりのね、物語が毎年あって。全日ではないここやからこその、それぞれの気づきと成長と、なんていうかもうその人でしかありえない感じと。

いつもあたたかく、毎年、大切にしている文集で、1人ひとり本当に読むほどに愛おしいし、タイトルだけでも

個性、にじみですぎ、なんだけどね。

1人の子の文集の「今の私にはこんなにもたくさんのものがあるよ」っていうタイトルに、泣けた。

はじまりを、知っているから。

人間って、本当に、すてきやな。このおしごと、結局はその気持ちがあるから、離れられないんだなー。


あー、びっくりするぐらいまとまらないけれど、まとまらないまま残しておこうかな。

あの子たちと、あの先生方と、一緒に過ごせたことをちゃんと誇りにして、

私も、負けずに、また明日からがんばろう。


うーん、28歳、まだまだ、まだまだ毎日新しいな(笑)


新しい職場での日々も、

2か月がたった頃から、のびやかに自分である感じを少しずつ取り戻し、

夏を過ぎた今では、今の生活がすっかり自分の日常。

すばらしきかな、ひとはちゃんと、かんきょうに適応していきてゆける(笑)


生徒たちや、先生たちとのたわいない会話も楽しく、

いっぱいパワーや、笑顔や、なんだかあたたかな気持ちを、もらっている。


相変わらずいっぱいいっぱいだし、

悔しいことも、いたたまれないことも、無力なことも、まぁ見事なぐらい毎日あるけれど、

いろいろな人たちとのかかわりの中で、

ちゃんと、満たされてるなぁって。


あぁ、大丈夫だ、って

ちゃんと自分に必要な変化やったんやなぁって、やっと心から思える。



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なんでせんせいなんだろう?

なんでがっこうなんだろう?


気がつけば4年目になる今の職場で、

何度も考えてきたこと。


こんなしんどい仕事はないんじゃないかと、思うこともしばしば。

なんでやりたいとおもっちゃったんだろうなぁー、と他人ごとのように思うこともしばしば。

どんなに気持ちが強くても、手先の不器用な人が医者として努力し続けることに首をかしげるように、

私がこのおしごとをすることが、だめなんじゃないか、と思うこともしばしば。



なんでがっこう?なんでせんせい?、の答えはきっとシンプルで。

私ががっこうという名前のつく場所で育ってきたからで、

私がせんせいという名前の大人たちに、支えられてきたから。


加えるなら今の日本で、選ばれた子どもたち、でなく

ほとんどの子どもたち、が通りゆくプロセスにかかわることができるから。


人の成長に寄り添うのが好きだと、大学時代に感じたのだけれど、

私が寄り添いたいのは、成長、ではなくて、その人ならではの心の動きや、温度なのかも。

その人が、『生きている』って感じ。


そういう瞬間をつくりだしたいし、そういう瞬間にしずかにたちあいたい。


前に立って、誰かを導いてゆきたい、というのとは、ちょっぴり違う。


そう思ったときに、

せんせい、でよいのかな?がっこう、でよいのかな?


と思う。




でもね、

ちゃーんと、ゆくべき道の線上にある。

きっと私がつけていかなければいけない『力』は同じ。



“自分が何かをなすための力”ではない、“誰かの何かになる力”

それは傲慢かもしれないけれど。それはちゃんと私がいきてゆくこと。


ヨルダンの旅でも感じずにはいられなかった。、

あぁ、私は然るべき場所に進んでいるのだなぁと。


然るべきときに然るべきものに出会い、

ちゃんと自分の人生を生きているのです。


ふとした日常に、

そう感じる。


その時々にはわからなかった“点”が、

伏線のように静かにつながってゆく。

そのあまりにふとした瞬間に。そう感じる。



さぁて、明日からもがんばりますかぁー。











寝れない。

・・・のは、ただ今日1日寝ていたから(笑)


あー、4月の1カ月は、怒涛だったなぁ。


新しい環境の仕事は、

今までの3倍以上の人たちに囲まれていて、

手の届くところ、目の届く範囲で進んでいた全てのことたちを相手にしていた私には、

めまぐるしくて。同じ組織なのに、違うことだらけで、久しぶりに、自分でもわかるぐらいに疲れた(笑)


右も左もわからないのに、

前任者の先生方の業務の関係で、

○○課主任、みたいな肩書だけが宙ぶらりんで。


大したベテランでもないのに、変にベテランのように扱われるのは、

きっとこの可愛げのない立ち居振る舞いのせいだなぁ。

でも、可愛げなんて無理なのさー(笑)


そう、わかってる風。いつも笑顔な割に、なんかえらそうで変によそよそしい。

なんていうか、気構えず、人と関わる方法を私、忘れてしまったんじゃないだろうか。

周りの先生方の先入観、実績の伴わない私へのイメージに、どう対処してよいかわからない。

本当に自分が安定してどーんと在るしたゆえの謙虚さに、私はまだまだ程遠い。

気にしなくていいんだけど、無駄に意識してるんだなぁ。


「大丈夫ですー」って笑う私に、「大丈夫かなぁって心配。仕事振ってなぁ。」っていってくれる先生もいて。

これぐらい大丈夫な自分でありたいちっちゃいプライドと、自分がやりたい勝手な責任感と、

『「大丈夫」っていってるのに、信じてもらえない=過小評価されてる気分』って変な図式。

その感じがむかーしのデジャブ、だ。結局、「大丈夫ですよー」って濁して笑っている。


自分でわかるほどに。あほやなぁーと思う。


でも、ワクワクすることももちろんある!


自分が担当しているクラスがあって、

そのマネジメントっていうんかな、本当に自分色でいろんなことができること。

難しいけど、楽しい。重いけど、おもろい。


たくさんの人がいて、

そこからきっとたくさんを学ばせていただくことができるであろうこと。

サポートして指導してくださること。ありがたい。


追いつけていないだけなんだ。いろいろなスピードに。

仕事も、気持ちも。人一倍、時間が必要なのですよーだ。

表面的には、要領よさそう、って言われることもあるけれど、

きっと私をよく知っている人たちは、

私のことを「相変わらず要領悪いなぁ」と笑ってくれると思う。


ぐだぐだと言っても仕方がないのだから、

努力して、ひとつずつやってゆくのだけれど。


けれど、「私が頑張ればよいのねー、よーし大丈夫!」的な、

個人の踏ん張りではきっと乗り切れない。

その乗り切り方では、きっと私が破綻するんじゃないかな、って気さえしている。今回。

きっとヘルプを出したりとか、誰かに頼ったりすることの下手くそな

自己完結型の私への練習問題なんだなー。


『人生は最後まで練習なんやなぁー。』って。友人の言葉です。

そうだなー、ほんとに。


同じループでなく、ちゃんと螺旋でありますように。

謙虚に、楽しんで臨みますです。はい。