頭の中は引き継ぎでいっぱい。

そして、実感なさすぎて、

でもどこかで知っていて、仕事が微妙に手につかない。


3年間という時間、ここにいるうちに、

ここで、

毎日やるべきことがあって、

毎日のびやかにあって、

このメンバーでの無言のチームワークと信頼感があって、

私だからできると思えることもすこーしずつ増えて。


私がいないとだめな場所のように、

他の先生方もいってくれて、外部の人たちもいってくれて。


けど、知っている。


私がいなくても、新しい人のはじめのえいっって力があったら、全てのことは回っていく。

そもそも、「人が変わっても質が落ちない」ことは、目指したことのひとつだったし。


私だからできる、なんてのは一部で。私だからできない、こともあって。

変わりの人ができないことも、その人だからできることも、きっとある。


日常は移ろいやすくて。

私がいないことが、しばらくもすればここでの日常になって、

私を知らない生徒たちがどんどん増えて、

私がいないことすら気にもならなくなるだろう。


それが、自然で、それでいい。


そして、私は、私の日常を紡ごう。

私は、変化に強い。

でも、ちょっぴり久しぶりで、

自分の一部分が、正直ちょっぴり戸惑っている。


4月前半を突っ走ったら、

自分の中で切り替えの時間をとってあげよう。


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今日たまたま来た、生徒1人に、

異動になる話をしたら、


「まじでかぁー、うわぁなんかさみしいなぁ」ってゆうて。

「え~写真とろうやぁ~」ってゆって、あほなことしながら一緒に写って。

「でも、また会えるやんなぁ。どうせ会えるよなぁ!」っていって。


帰りドアを出て、閉めながら何回も、

「がんばってや、俺もがんばるわ。」「じゃあな」って手を振る。

普段そんなキャラちゃう子やのに。


じわん。



私たちが関わるのは、この子たちの人生のほんの一部。

ほんの。ほんの。

わかってたつもりやったけど、わかってへんかったんかもな。



この状況下で、

私は、心を痛める、というより、

不謹慎で語弊があるかもしれないけれど、

驚くほど心穏やかで、背筋がピンとのびる気持ちで、

ある種の使命感のような、生命力のようなエネルギーが内からわいてくるのを感じた。


亡き方々や、遠くからや、生きている者たちの、いろいろなエネルギーや祈りに、守られているのか。


そんな日々を過ごし。


そして、日常をちゃんと紡ぐのだと決めた。

私なりのバランス。私の立ち位置でなすべきことをなすのだと。

無理のない、ちょっぴりの支援とよばれる活動、そして自分のフィールドでのなすべきこと、

そして、楽しいことも、おもろいことも、ちゃんと。目の前の人を、まず大切に、ぎゅっと。


情報も取捨選択したし、意図的にシャットダウンもした。

動じずに、どーんと。在るのだぞーと。


全てのことには意味がある、という。

全てのことは完璧で然るべきことだ、と。


けど、私は、

その人達が、被災しなければいけなかった理由なんて知らない。
その人達が、死ななければいけなかった理由なんて知らない。


それが、なんで然るべきことなのかは、私には知るよしもない。


けど、死は誰にでも、いつだってやってくる。

大きな流れの、然るべき在り方で。


その意識は、いつからか、すごく私の中にあって。


ちっちゃいころ、死ぬことがこわくてよく泣いた。

1人だと後ろを知らない人が歩いているだけで、ビクビクしてた。

いつしか恐怖は薄れ、その意識も遠のいて、

高校生のとき体調を崩して、(オーバーに)「このままだと死にますよ」って言われて

「今死ぬのはやだなぁ」と漠然と思った。こんなままで死ねやしない、と。プライドに救われる。

大学時代が終わったころ、「あぁ、私今なら死んでもいいなぁ」と思った。

ポジティブな意味で、今なら、いいな、と。


27年間の中で、折りにつけ、今日が最後になったときのために何回も文章を書きのこしたし、

そんなものが役にたたない死に方をすることがあることも知っている。

一人暮らしをはじめてから、

部屋がぐちゃぐちゃのまま出かける日はいつも「今日は死なないといいなぁ。」って思う。


それでも、私は、いけしゃあしゃあと今日も、生きている。

価値があるからとか、ないからとかではなくて、ただそのままに。


いつどんなふうに死ぬかは、選べない。

今どんなふうに生きるかしか、選べない。


だから、私は必要以上に騒ぐまい。静かに、在りたい。


現地を知らないお前に、当事者でないお前に、何がいえるのだ、言われるだろう。その通りです。

悲しみや嘆きのプロセスは大切。知ってる。寄り添ったり、受けとめたりできるものは、私だってそうしたい。


でも、生きていることに、罪悪感を感じる必要は、ない。絶対ない。

恐怖で尊厳を放棄してはいけない。

やさしく強く、じわりと在ろう。それはきっと愛に近しい。


私達は、無意識に、祈る。


歌や踊りや、祈りは不思議。

生物として生きるには必要ないはずなのに、

私達が本当に生きるのに、絶対必要。


『自然には勝てない』『自然はおそろしい』という、私達は自然ではなく何者なのだろう。

震災で1万人を超える方が亡くなることが自然だと、いうつもりはないけれど。

この国で年間3万人を自殺に追い込んでいるという事実に、今私達が来てしまった場所を思い知らされる。


それでも、でも。

人間は、いとおしい。

おろかで、身勝手で、それでも涙がでるぐらいに、あたたかい。


だから、私は人とはなれられない距離で、今日も自分のおしごとをしている。


そして、あぁ、私はこの国でいきてゆくのだと、あらためておもう。おろかにも不器用な、この愛すべき国で。


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なんて、いろいろ書いてはみたけれど。


大先輩方が、着実に仕組みを作り、被災地支援に

これでもかというまっすぐさと自然な熱意で、しかし経験を生かして冷静・賢明に、

向かっている姿が視界にはいって、「私は?」って思っている自分もいたり。

ちっちぇーなー(笑)


いいと思っている。自分では。でもその鈍感な開き直りの在り方が誰かを傷つけていないかな。

私きっとちょっと不安なんだな。私、これでいいの??って。


「お前は、冷たい奴やなぁ」って言われてもいい。「それじゃあかんよ。」って言ってくれていい。

それでも、こんなぐちゃぐちゃを、「ま、それもいいんちゃう?」って笑ってほしい。


いろいろ書いてみたけれど、きっとそれだけのこと。

やっぱり小さいな(笑)


でも、それが今のありのままやわ。



終わった―!ひとまず。終了!


2月末に、雇用形態を変えるための内部での試験があって。

それは、ちょっとした課題と、理事長面接、の2本立て、の予定だったのですが。


うちの組織によくある、急な展開で、面接日の前々日に電話がかかってきて、

プラスアルファ、レポート・口述試験・論述試験・模擬授業が加わることになりましたと。


なんじゃそらー!


理論的には、納得できるんだけど。

問題は、このタイトなスケジュール。

ただでさえ、休日返上でいろいろやろうとしている年度末のこの時期に、なんでやねんー。


と、怒る間もなく、次々とことは進み。


しかし、まぁ、そこは、なんとかなるもので。(なんとかするもので?(笑))


レポートは、久しぶりに大学時代を思い出すようで、自分は社会学部生だなぁと思わずにいられなかった。

そして、タイトなスケジュールゆえに、集中して勉強することもできた。

レポートのできはさておき、踏ん張れるじゃん、私(笑)


論述試験は、90分の手書きで、自分がいかにパソコンに頼ってレポートを書いてきたかを身にしみて、

手書きの機会を増やすことで、即興で論理的に話すのもうまくなるんじゃないかって気がした。


そして、口述試験が、なんだか、とてもよかった。相手3人、私1人。

問われることで考える、これが、私ほんまに好きやわぁーと思った。

不意打ちな質問に、頭をフル回転させることも、核心をついた質問にこたえられなくて悔しいと思うことも、

でも今日はじめて会った人がそれだけ見抜いて鋭い質問をしてきてくれることも。

そうやって、ある意味問い詰められて、自分ではいけないところまで連れて行ってもらう、その感じが、

なんとなく懐かしくて、楽しかった。面接としては、抽象的すぎて、ぼろぼろだったなぁと思うけれど、

でも、その人たちの感じに、横で質問しながら見守ってくれる本部の方の感じに、

その時間が、終わって、涙がでそうなほど、ちょっといい時間だった。


そして今日、実際に初対面の生徒相手の模擬授業だったのだけれど、
大失敗。自分でもわかるほどのいまいちさ。

でも、それをね、まっすぐ目をみて伝えてくれることへのありがたさ。

忠実に聴いてくれる生徒たちへの申し訳なささ。


そして、今、本部の方々と、同じプロセスを乗り越えた仲間たちと、お疲れ様会(?)をして、

帰ってきた。おいしいお酒いだだきました~。つまりは、よっぱらい~。へへ~ん(笑)


「ちゃんと、見てるで。」って言葉でなく言っていただいている、

そのありがたみに、心打たれる。

きっと本部の方々のほうが、誰にもいえないしんどさを抱えているはずなのに。


振り子の組織だから、

両極端なことを大切だといわれ、どちらも大切にするのは、

本当に難しかったりする。


ここでも必要なのはバランス感覚。調和。

まだ、私頑張れるかな、

そんな風に思える、水曜日の夜。(うーん、土曜日ならよかった笑)


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全然関係ないけれど、

私はブログの更新頻度が、低い。


それは、自分でも日記をつけているからで、書くことで消化するには、

日々の手書きで十分だから。


じゃあ、私がブログに向かうときはどんなときなのかなぁ。

やっぱり、自己完結しがちな私が、

「きいて、きいて!」って思う時なんやろうなー。


今はそんな気持ち。


なーんて。

おやすみなさいましー。