戦跡を訪ねて 大淀 | 今日の出来事や思ったこと

今日の出来事や思ったこと

オッサンがたまのお出かけや食事、言いたいことを書き残すブログ

以前、広島県江田島の中をチャリ漕いでサイクリングしておりました。

先日、小用港付近にある榛名と出雲の留魂碑の記事を書きましたが、その続きです。
 
のどかな田舎道をチャリンコ漕いでおりますとこのようなものが。
右を向いてみます。
 
ここを入れば良いのかしら?
 
あら、お遍路さんの道案内みたいで、親切やね。
約300m先ならすぐそこ、行ってみよう!
 
牡蠣を扱う水産会社の裏(表かも?)を通って到着です。
車が通る道路からは見えない、分かりにくい場所にあります軍艦大淀戦没者之碑。
 
こういう経緯があるそうです。
上の画像の碑誌によると、270余名の方が戦死されたようです。
大淀は2等巡洋艦、いわゆる軽巡洋艦なのでそれほど厚い装甲ではないと思われます。
そのために多数の戦没者が出てしまったのでしょうか。
戦没者の出身地は東日本の方が多いですね。
皆、家族がいて、故郷があったはずです。
あと1カ月、戦死せずに生存していたら、故郷に帰り家族に会えたはず。
遠く離れた江田島の地で最後を迎えた戦没者のことを想うと心が痛みます。
 
模型が展示されているけど、屋外のためか、湿気が入って分かりにくくなっていました。
 
ウィキペディアによると大淀はこんな感じ。
昭和19年5月から9月まで司令部が設置されていた旗艦だったとか。
 
それが空襲を受けるとこうなった。
重油が流出しているようにも見えます。
大淀最期の地はこのあたりですかね。
水深が浅いから転覆しても、完全に水面下に没したわけではなさそうです。
 
現在は、のどかな風景が広がっており、牡蠣の養殖が盛んな場所になっています。
74年前の夏、この海で日本の艦艇と米軍機が戦火を交えたとは信じられないほどです。
対岸には昨年の豪雨災害による被害の爪痕が見てとれます。
 
今日の平和がいつまでも続きますように。
オッサンは慰霊後、次の場所へ向かいました。
 
つづく