不器用さに関する決心 | ほうれん草とビール

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日々のつれづれ、読んだ本、聴いた音

自分はとても頭が悪いと思う。今日も仕事で何かを話していて話題についていけなくなった。冷静に考えて、今の会社でこういう仕事をして、給料をもらってアパートを借りて住んで、いちおう社会人づらしているということについて、それは分相応なのか、疑問でもある。

仕事をしていても、帰ってきて勉強をしていても、自分が変な解釈でものごとを理解しようとしていることに気づいて唖然とする。

昔から頭は悪くて、小学生のときはそうでもなかったと思うのだが、中学のころはできない科目が多くなって、結局高校に行けなかった。自分のほかに高校に行かなかった人間は居なかったと思う。退学した人はいたみたいだが。

なので、どこにも所属することができず、数年、ぶらぶらとしていた。それからなんとかある学校にもぐりこんだが、そこでも途中で勉強がわからなくなって留年した。
この留年するころは、自分はもう生きる価値がないのかなあと思ったりした。鬱みたいなものだろうか。

ただ、そのあと素晴らしい先生の研究室に入ることができて、その学科では一番成績は悪かったと思うけどなんとか卒業させてもらえた。

就職してまた苦しいことがあって、書きようのない、いろいろなことがあって、また多くの人と出会って、今はある程度落ち着いてきたと思っていたが、先日ある試験を受けて、みんなが当たり前に理解して解いている問題がまったく解けなかった。

今まで忘れていたのだが、このパターンはそういえば中学で勉強できなくなったころから
おなじみだ。みんなが解ける問題が自分だけ解けない。

学校に通っているときからそうなのだが、皆、友達と競い合ったり、情報交換してそれなりに試験をパスしていくのだが、自分はそれができない。ひとりで本を読んでいてもポイントを全然つかめていない。思い込みだけが先走っている。多分、というか確かにセンスがないのだ。

だから、センスがないなりの方法を身につけなくてはいけない。それは漢字のかきとりをしたり、計算をしたり、観察対象のスケッチをしたり、英文を暗誦したりといったフィジカルなアプローチでやっていこうと思う。

僕は、頭も、体も、みてくれも、本当に不器用だが、それでもなんとか体が動いている自分についてできるだけのことはしないといけないと思う。でないと、今まで世話になった人に対して本当に失礼だ。

そう、世話になった人たちは、本当に分不相応なくらい多い。