開始日時:明治四十三年三月二十三日
場所:芝三田聖坂井上八段宅国民将棋
先手:四段 齋藤敬三郎
後手:四段 大崎熊雄
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩
*84歩は相懸りの戦法。田舎に居る時はもっとも得意としていた四間飛車の戦法を用いたい気持ちがしたが、上京以来井上先生の指導により、四間飛車は一手損であるという教えを受けて居ったために、両居飛車の戦法を採ったのである。
▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩
▲同 飛 △8六歩
*86歩は当時何人も用いて居った手である。現在のように23歩と受けては、34飛と横歩を取られてよろしくないという大家があった。
▲同 歩 △同 飛 ▲2六飛
*26飛は穏やかに位を取る意味。
△2三歩 ▲8七歩 △8四飛
*当時は関根、井上の両大家も84飛の順を用いていた。今純理よりみれば、82飛と引くほうが順当である。
▲4八銀 △6二銀 ▲5六歩 △5四歩 ▲6九玉 △4一玉
▲3六歩 △7四歩 ▲3七桂
*早期に失して危険。直ちに59金と寄るほうが確かである。
△5一金
*35歩と突く手を考えたが自重したが、弱かった。3筋を攻めれば面白い変化が生じた。
▲5九金 △7三桂 ▲3五歩
*35歩の突き出しは当時の定跡であった。現在の確定した調べによれば、16歩と端の位を張るほうが順当である。
*今は35歩は早すぎるとの決論である。
△同 歩 ▲3三歩 △同 金 ▲同角成 △同 角 ▲2三飛成
△3二銀 ▲3三龍 △同 銀 ▲2二歩 △4四銀 ▲2一歩成
△8六歩 ▲同 歩
*私としては苦しんだかんがえであった。直ちに52玉は、66角、82飛、86桂と攻められ、83飛とうければ、11とと先に香をとられて不利である。
*軽く、86歩で敵の桂打ちをなくす意味。
△5二玉 ▲6六角 △8二飛 ▲1一と △3六歩
*悪手。穏やかに29飛と打つところ。
▲2五桂 △2九飛 ▲2六歩 △1九飛成
*非常に緩かった。直ちに65桂と指すべき。
▲3三桂成 △6四香
*悪手。37歩成、同銀、57香、同角、65桂のほうがよかった。
▲4四角 △同 歩 ▲8三香 △7二飛 ▲8四桂
まで61手で先手の勝ち
齋藤敬三郎氏は、横浜出身で当時土居君と雁行しその雄大なる棋風は勃興当時の棋界の花であった。
病弱のために中道に斃れたが、惜しむべき有為の青年棋客であった。
場所:芝三田聖坂井上八段宅国民将棋
先手:四段 齋藤敬三郎
後手:四段 大崎熊雄
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩
*84歩は相懸りの戦法。田舎に居る時はもっとも得意としていた四間飛車の戦法を用いたい気持ちがしたが、上京以来井上先生の指導により、四間飛車は一手損であるという教えを受けて居ったために、両居飛車の戦法を採ったのである。
▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩
▲同 飛 △8六歩
*86歩は当時何人も用いて居った手である。現在のように23歩と受けては、34飛と横歩を取られてよろしくないという大家があった。
▲同 歩 △同 飛 ▲2六飛
*26飛は穏やかに位を取る意味。
△2三歩 ▲8七歩 △8四飛
*当時は関根、井上の両大家も84飛の順を用いていた。今純理よりみれば、82飛と引くほうが順当である。
▲4八銀 △6二銀 ▲5六歩 △5四歩 ▲6九玉 △4一玉
▲3六歩 △7四歩 ▲3七桂
*早期に失して危険。直ちに59金と寄るほうが確かである。
△5一金
*35歩と突く手を考えたが自重したが、弱かった。3筋を攻めれば面白い変化が生じた。
▲5九金 △7三桂 ▲3五歩
*35歩の突き出しは当時の定跡であった。現在の確定した調べによれば、16歩と端の位を張るほうが順当である。
*今は35歩は早すぎるとの決論である。
△同 歩 ▲3三歩 △同 金 ▲同角成 △同 角 ▲2三飛成
△3二銀 ▲3三龍 △同 銀 ▲2二歩 △4四銀 ▲2一歩成
△8六歩 ▲同 歩
*私としては苦しんだかんがえであった。直ちに52玉は、66角、82飛、86桂と攻められ、83飛とうければ、11とと先に香をとられて不利である。
*軽く、86歩で敵の桂打ちをなくす意味。
△5二玉 ▲6六角 △8二飛 ▲1一と △3六歩
*悪手。穏やかに29飛と打つところ。
▲2五桂 △2九飛 ▲2六歩 △1九飛成
*非常に緩かった。直ちに65桂と指すべき。
▲3三桂成 △6四香
*悪手。37歩成、同銀、57香、同角、65桂のほうがよかった。
▲4四角 △同 歩 ▲8三香 △7二飛 ▲8四桂
まで61手で先手の勝ち
齋藤敬三郎氏は、横浜出身で当時土居君と雁行しその雄大なる棋風は勃興当時の棋界の花であった。
病弱のために中道に斃れたが、惜しむべき有為の青年棋客であった。