ママチャリでアフリカ大陸8000kmを目指すblog -58ページ目

いつもと違う水曜の夜。

今日は一日休み・・・のはずだったが、急遽空手の先輩の道場の少年部の指導を任される。


指導するほどのアレが無い俺。焦る俺。


でも「頼まれ事は試され事」だとか誰かが言ってたしやってみっかってノリで引き受ける。



「教える」ってすげー難しいわ。



四歳位の子どもってマジで言うこと聞かない。


じゃあどうすべきか。


強く出るべき?


優しく教えるべき?


分からない。


それよりも「先生然としていなければ!」ということに意識が行ってしまうちっちゃな自分。


「先生然としていなければ!」ってのはどう考えても自分の為の事であって子どもたちにとってはそんなものクソの役にもたたない。


「どうすればこの子の為になるか」を考え、それに応じて叱ったり褒めたりアドバイスをする。


それが一番大事なはずなのに。


腹立たしいまでの自己中心さを持つ自分に呆然としてしまう。



自分以外の者の為に生きれたらどんなに楽だろう?



その時は、ちゃんと自分を肯定出来るだろうか。


憧れ

般若(ラッパー)のDVDが家に届いた。やっぱカッコイイ・・・。


般若_吸われた街

http://www.youtube.com/watch?v=l0M-rY4kRvQ&feature=related


知らない人も結構いると思うから今日は般若について語らせて貰うぜ。


この人には「飾り」が無い。


世間のラッパーとかヒップホップに対するイメージってなんかダボダボの服着て、ギラギラのアクセサリー(これをヒップホップ界ではブリンブリンとか言う)着けてチェケラッチョって感じじゃないっすか。


般若は別にそんなのにこだわってない。というか全く着けて無い。


ライブの時は無地のTシャツとかノースリーブが多い。これって服とかに頼らず「自分」で勝負するって意思の表れだと思う。


歌詞の一つに


「血と汗が俺のブリンブリンだ」


ってのがあるんだけど、これはまさに般若を表した歌詞だ。



DVD見てるとこの人の「伝えるパワー」に圧倒され自分を省みて不安になる。



俺に何が伝えられる?



俺には伝える必然も無く、でも何かを伝えたい。



般若の音楽聴いてると言われてる気がする



「やってやれ!」



って。

電話

さっき東京にいる姉から電話がかかって来た。


なんや?と思いつつ出ると「アフリカ行くんやって?」と。


「うん。行くよ。」


「アフリカのどこの国?」


「南アフリカから北上してってナミビア、ボツワナ、ザンビアで最後にタンザニアって感じやな。」


「それ問題外やで。」


「・・・・・・・・・。」


「ちゃんと安全は確認したん?ヒロくん(俺の事)に何かあった時、周りにすごい迷惑がかかること考えた事ある?」



正直考えた事が無かった。仮に俺が死んでも俺の責任だからそれはそれで仕方が無いと考えていた。



「お母さんが凄い心配しとるから、行くんならヒロくんが安全に行けると判断した材料をちゃんと見せて行くべきなんちゃう?親なんやから。」



捲くし立てられた時は正直うっとおしさを感じたが、確かにそれはそうかも知れない。



俺の中には確実に


「危ないことをすることはカッコイイ」


という信念がある。絶対ある。


「馬鹿じゃない?」と思うでしょう。俺も思う。


でも俺はそんな自分の部分を否定しない。そんな部分とどう付き合って行くか?が大事な気がする。



しかし周りが見えてない俺はホントまだまだガキだ・・・。