皆さんこんばんは。

大変長らくお待たせしてしまいましたビックリマーク
前回の投稿のコーナーのところで、好きな都道府県は長野県と紹介しました。今回はその理由について書いていきます。

それは、今から13年前の2007年のことです。
僕は幼少期より筋肉の衰えが進行する障害を持っています。この頃車椅子生活となりました。当時の正直な気持ちとしては人生が終わったと思い、計り知れない程の現実を突きつけられた感じでした。
当時のPTさんより、障害があってもスポーツができる施設があると聞き、東京都にある某障害者スポーツセンターに見学へ行きました。
正直な感想『高齢者がほとんどいて、まるで高齢者施設みたいだ』と感じ、通うことを一度断念してしまいました。
ある日、母親がバリアフリー旅行の本を図書館から借りてきた。色々と見ていたら、長野県にある障害者スポーツセンターが載っていたのを見て行くことにしました。

まるっきり車椅子生活になってから、電車を使っての旅は初めてなのだ。長野までは新幹線🚄を使って行きました。『大宮から長野ってあっという間だなぁ』と感じました。

JRの長野駅から出て、程なく歩くと『長野電鉄』と書いた看板があったのだ。
鉄道好きでもあった僕は、目に魅かれ『せっかくだから長野電鉄に乗りたい』と思ったのです。ただ、車椅子なのでバリアフリー面に関して心配でした。乗り場の窓口へ行き
『どうしても乗りたいので、行って戻って来ることができる駅までお願いしたいのですが…』
そしたら、駅員さん達が一生懸命探してくれて行った駅は当時、他路線との乗換駅であった『須坂駅』でした。電車から降りると、なんと駅のそばに車両基地があった。上り列車を待っている間、駅員さんがかつて走ってたと思われるものから今走ってるものまでの車両についてこと細かく教えてくれたのだ。電車が来るまであっという間でしたが、いろいろと聞くことができたので、僕にとって凄く楽しかったです。

長野駅に戻り、いよいよスポーツセンターへ向かう。
最寄りの駅である『三才駅』に着くと、そもそもプラットホームが無く😲!(今はどうなっているのか分かりませんが…)
その時は駅員さんだけではなく、乗客の方たちも手伝ってくれて降ろして頂きました。『何と御礼を言ったらいいんでしょう』と感じる程、感謝の気持ちでいっぱいでした。
さてここからはタクシーで向かい、そして障害者スポーツセンターに到着。
周りはのどかな田園風景でした。『確か向かってる途中、実がなっていたりんごの木が🍎いっぱいあった』
スポーツ施設に加え、宿泊棟などを兼ね揃えた立派で新しい感じの施設という印象を受けました。

ここではいろいろな出会いや経験をしました。
スポーツ施設を利用するのはこの回が初めてだし、触れたこともなかったので、正直どのように利用したらいいのか分かりませんでした。そこで声を掛けてくれたスタッフがいろいろ教えてくれました。僕のような障害でも使えるトレーニング機器での運動や、漕ぎやすい車椅子(バスケ車)に乗って動き回ったりなど、体を動かす楽しさを実感しました。バスケ車に乗って感じたのが、まず動きやすかったのだ。一漕ぎだけで軽やかに進んでいったので。僕はあまりの漕ぎやすさに感動してしまい、『このまま乗っていたいなあ』と思う程でした。本当に気に入ってしまい、ダメ元で聞いてみたら『今回は特別に』と滞在している間OKしてくれました。なんと、、、😳
とても感動したことだったし、まさかOKしてくれるなんて思ってもいなかったので、嬉しかったです。滞在している間は、いっぱい乗らせて頂きました。
それから夜、外に出てみると屋外のテニスコートに🎾灯がついていて、そこで1人の車椅子に乗った体格の良い人が練習をしていたのだ。僕はフェンス越しにじっと見ていました。動きが素早く、ボールを打つ腕捌きも良く『まるでテニスの王子様みたいだ!』と思いました。
ずっと見ていると、『やる?』と声を掛けてくれました。ただ、僕の持ってる障害の程度では難しかったので体験とまではいけなかったのですが、いっぱいお話を聞くことができました。
テニスを練習していたのは、パラリピアンの方とのことで、素晴らしい機会となりました。いろいろと話してくれました。その話の中で、一番心に残り、勇気と希望を与えてくれた素晴らしい言葉を頂きました。

それは、『諦めなければ夢は叶う』です。

当時の僕は、車椅子生活になったばかりだったので、正直何もできないと自暴自棄になっていました。振り返れば1ヶ月しか経ってない頃だったので、辛かったのではないかと思いました。
そこで長野のパラリピアンの方との出会いがあり、人生の視野を大きく変えることができたからこそ、その言葉を胸に頑張り続けられているのではないかと感じています。これからも頑張っていきたいと思います!


やしの木歩海やしの木