こんにちは。美都です。
いつもありがとうございます。
「フランクル心理学入門」読みました。
ゆっくり読もうと思っていたけど、
勢いに乗ってざああああっと、読んでしまいました。
で、感想は、というと、
む、むじゅかしい。
表紙に、
どんな時も人生には意味がある
と、書いてあって、
内容もそんな感じのものでした。
そんな感じの~、というと、そんな感じの~、
なんですが、美都、イマイチよくわからない。
人間は、向こう側から(超越的な存在から)問いかけられている。
我々人間は、その問いにがんばって答えていく存在だ。
とかなんとか。よくわからないけど、そういうことらしい。
つまりは、人間一人ひとりにはそれぞれなすべき使命というのがあって、
それを地道に淡々とこなしていくところにこそ、意味があるのだ。とか。
日々、やるべきことを地道にこなしていると、
ある日突然、喜びにあふれる瞬間が来る、らしい。
ああ、このために自分は生きていたのだ、がんばってきたのだ、と。
筆者の諸富さんも、そんな経験をしたらしく、誇らしげに書いてました。
けど、美都、わかりません。
人生には意味があるって、どういうこと?
向こう側からの呼びかけって、何?
美都、フランクルさんて、長身痩躯の物静かな人、と想像してましたが、
本によると、フランクルさん、中肉中背で小太りで、エネルギッシュで、
活動的で、いったいいつ書いたり読んだりしているのか(たくさんの本を書き、
論文も書いている人です)、というぐらい、
臨床もがんばっているお医者さんらしかったです。
幸せのパラドックス、ということが書いてありました。
幸せは追いかけると逃げる。求めるとすりぬけていく。
ただ、淡々と日々のなすべきことをこなしていくと、
ある日突然、ああ、自分は幸せだなあ、と感じる瞬間がある、らしい。
けど、美都は、そんなことがなくても、幸せになれます。
お昼ご飯に、大好きなももゼリーを食べたとき、
ああ、幸せだなあ、と思います。
夕ご飯にカレーライスを食べたときも、幸せだなあ、と思います。
(食べ物ばかり)
小説が仕上がったときも、やったあ! と、幸せを感じます。
ブログに、いいね、や、コメントがついたときも、
幸せだなあ、と思います。
そりゃ、大きな幸せはないかもしれませんが、
小さな幸せの積み重ねが、大きな幸せを引き寄せるのだ、
と、奥平亜美衣さんの本に書いてありました。てへ。^~^;
とにかく、もう一回、読んでみないことには、わからない本のようでした。
もう一回読んで、わかるかなあ?
美都、ひねくれてるのかなあ?
使命感、というのに、抵抗を感じてしまいます。
人は誰かのため、何かのために生きる存在だ、と、フランクルさんは言いますが、
その、誰かのため、何かのため、というのがない人はどうしたらいい?
自分のために生きてはいけない?
人間、中庸だと思うんですよね。
人のために生きる、と、自分のために生きる、のバランスだと。
それが人によって、五分五分、だったり、六四、だったり、七三、だったり、
するかもしれませんが。
百パーセント、他人のために生きる、百パーセント、自分のために生きる、
というのはないと思います。
と、今回は、長々と書いてしまいました。
そろそろ新作が下りてこないかなあ、と、指をくわえて待っている美都でした。