人って成功すると攻撃される。


それに負けちゃうと潰れるまで徹底的に叩かれる。


特に日本人にはそういった傾向がみられると思う。


成功者を尊敬したり称えたりしない。


潰されたり、亡くなった後に「あの人は凄かった!」と称えられることが多い。


僕は成功者じゃないけれど、少なからずそんな経験がある。


若い頃お金が無くて貧乏な生活を送っていた。


でも車が趣味だった僕は欲しい車があって、周りの人が寝ている間も働いた。


ゴールデンウィークやお盆、正月も働いた。


そして欲しい車も手に入れた。


それは決して楽に手に入れたものではなかった。


その頃から僕の人生は変わってきた。


人が遊んでいる時や寝ている時に働くとお金になることを学んだ。


でもそれは楽なことじゃない。


若かったから僕だって皆と遊びたい。


以前は正月には飲食店やデパートだって休んでいた。


でもお正月やお盆には人は初詣や挨拶回りで外に出かける機会は多かった。


遊んで楽しい思いをしている周りの人を見て羨ましかった。


そんな中で働きお金を稼ぐことを覚えた。


車を手に入れた後は、あれも欲しいこれも欲しいという思いは膨らんだ。


そして独立した後は正月も休まず働いて頑張った。


そしてお金を稼いだ。


そうなると仕事も楽しくなる。


普段も遊ばなかったわけではない。


若い身体は元気があった。


寝る時間を惜しんで働いて、その合間を縫うように遊んだ。


人の数倍働いたが、人の数倍遊んだとも思う。


正月はどこへ遊びに行っても高い。


皆の正月休みが終わった頃、自分の正月休みをとり出かけた。


正月に仕事をすると普段以上に利益が上がり収入も増える。


旅行に出かけるのも正月明けだから安い。


一石二鳥だ。


しかしその頃から僕を見る周りの目が違ってきた。


一般の人が休む正月を働いてたことなど考えもしない人たちが、正月明けに平日休んで遊んでいる僕の陰口を言う。


南の島が好きな僕は休みに海外へ出かける。


帰ってくれば勿論、真黒に日焼けしている。


そんな状況で外で誰か知り合いに出会えば、必ず言われることがある。


「景気良いね~!また海外?また車も変えたの~!税務署が来るよ~」


大きなお世話だ。車を変えたって海外へ遊びに行ったって誰にも迷惑はかけていない。


自分が稼いだ金で遊んでいるんだ。


そんな時に人を見る目も養った。


僕の景気が良く見えてくると沢山の人達が寄ってくる。


何年も音信不通だった人も急に現れるようになる。


男も女も寄ってくる。


人を見る目がなかった僕は随分と騙された。


家を数件買えるくらい騙された。


若さがあったから乗り切れたんだと思う。


でも僕を騙した人たちはそれなりの生き方しかできていない。


今では夜逃げしてしまったり、追いかけられる人生を送っている人が多い。


歳をとって振り返ってみると、騙した方じゃなくて騙された方で良かったとも思う。


良い人生勉強になった。


その頃は社員を年2回海外旅行と1回の国内旅行へ会社負担で連れて行っていた。


給料も良かった方だと思う。


そんな噂を聞いて入社してくる人も多かった。


でもそんなことで入ってきた人たちは旅行に行ったあと辞めていくことが多かった。


それでも構わなかった。


そんな人たちのことは全然気にもならなかった。


皆が楽しければ良いんじゃない?くらいに感じていた。


でもそのうちにどんどんエスカレートしていったことがある。


その頃から周りに集まってくる人たちは露骨にお金目当ての人が多くなってきた。


中にはいきなり僕の所へ来て、「久しぶりです」と言いながら話をしていたら、いきなり「お金を貸して下さい」なんて女の人もいた。


以前会ったのは1回か2回ぐらいなのに…


他にも自分の乗っている車を買ってくれとか、投資の話などを持ってくる人もいた。


事業に対して自分の考えを切々と話して、事業資金を出してくれとか、どこそこの土地はこれから道路を造る計画に入っているから価格が上がる!買ってくれないか?等と夢話を持ってくる。


冷静に考えてみれば馬鹿な話だと思うような話ばかりが舞い込んできた。


そして断ると、他で僕のあることないことの陰口ばかりだった…


そんなこんなで、昨年までの3年間程の間に支店を6店舗閉鎖して、2店舗を人に任せ営業するだけにした。


景気が落ちた今では良かった選択だと思う。


これも強運なんだと思う。


以前のように全店舗を営業していたら、今頃文無しになっていたかもしれない。


今の僕の収入は2店舗の営業店を歩合制で営業させているので、その利益と賃貸店舗の家賃収入だけ。


贅沢をしなければ普通に生活して人並に旅行へ行くくらいはできる。


今までに仕事上の付き合いや、場所柄等で仕方なく付き合っていた人たちとの付き合いもなくなってきた。


面倒くさい付き合いはもうごめんだ。


そう考えると精神的にも楽だ。


今まで必死になって仕事をしてきたけれど、これからは少し楽に生きていこうと思う。


最初は充電期間なんて思っていたけれど、落ち着いて考えてみると、そろそろ楽してもいいかな?なんて思う。


でもこれから景気が良くなってきたら、また何かをやるんだろうなぁ~とも思う。


飽きるのが早い優柔不断な私だから…


最後に一言


朝青竜のことだけど、確かにいけないことをしたのかなぁ~とも思う。


でもここまで他国の若い青年が日本の国技を牽引してきたことも事実。


まだ29才で体一つでここまで上り詰めた人間を責めるだけ責めて、引退させた挙句に支払わなければいけないお金も減額するなんてことは間違っていると思う。


認めなければいけないことは認めるべきだ。


現実に先場所でも誰も敵わなかったから優勝したんだから。


亀田兄弟もそうだと思う。


皆で責めてマスコミも騒いだけれど、突っ張った若者が親を尊敬する気持ちを前面に素直にだし、体ひとつで世界NO1になっているんだから、もっと認めてあげるべきだと思う。


悪口を言う奴ほど内情を知らなかったり、勝手な奴が多いと思う。


よくテレビに出て朝青竜の悪口ばかり言ってる奴なんて、相撲が好きなのかもしれないが、ただの漫画家で関係ないんじゃないかと思う。


それにへんなおばさんが横綱として認めないなんて言っていたけれど、別にあなたに認めてもらわなくてもいいんじゃないか?とも思う。


悪口、陰口を言うのは簡単だけれども、もっと尊敬したり敬ったりしないといけないんじゃないかなぁ~と思う。







最近買い物に行って思うことがある。


何でも安すぎるんじゃないですか?


デフレに陥っているけど、いき過ぎじゃないですか?


100均が安く感じない感覚がおかしくないですか?


昔と比べても価格が安くなっている物がある。


子供のころ、使い捨てライター等は100円で発売された。


今、安い所では2個か3個で100円で売っていたりする。


寿司は高級な食べ物だったけれど、今は回転寿司屋が主流の時代。


美味しかった行き付けのお店などが、次々と回転寿司に飲み込まれていく。


その回転寿司も1皿100円から90円へと価格競争で生き残りをかけている。


ビールも発泡酒等の低価格商品が出回り、今では自販機の缶ジュースよりも安い。


大手の牛丼屋も価格競争で、今や1杯200円代。


先日、データカードが欲しくて家電販売店に行った。


そこでドコモや他の通信会社と契約すると、なんとパソコンがタダ!または100円!


なんだこれ?


月々の基本料金が2千円程度高くなるらしいけど、2年契約すれば貰えるらしい。


2千円多く2年間ということは4万8千円ということか…


売り方に問題があるように思うけど高くはないと思う。


そのパソコンがどれだけの商品なのか分からないけど…


飲食や物品が安く売っているけど、その売上には運送費や人件費、税金や販売店の家賃等がかかっている。


こんな価格で販売していてまともに利益が上がるわけがない。


利益が上がらなければ給料が上がるわけがない。


このデフレ、早いうちにどうにかしないと取り返しのつかないことになってしまう。


景気の良い時の安い目玉商品と違って、デフレは本当に怖いものであることを認識した方がいいと思う。


ジーパンが数百円とか、寿司が一皿数十円とか、安くて喜んでばかりいられない。


為替も1ドル100円程度に戻らないとダメだと思う。


輸入する商品がそれなりの価格にならないと、デフレは止まらない。


しかし、これからもっと円高方向へ向かう可能性があると思う。


経済はどうなってしまうのかな?



JALが破綻した。


以前ANAは国内線。海外へ行くにはJALを利用するしかなかった。


ANAが国際線に進出したのは何年前になるだろう?


先程テレビで前原大臣が、「日本に国際線の会社が2社必要か3年以内に検討する」と言っていた。


でもそれはおかしいんじゃないか?と感じた。


ならば民間航空会社として今も経営を保っているANAに任せてJALにはそれなりの対処をするべきではないだろうか?


今JALを再生させてこのような考えがあるということは、JALを存続させてANAを国内線に限定させようとしているのかと考えざるをえない。


私の姪が客室乗務員をしている。(JALではありません)


普通の生活をしているように見える。


私からみると一般と変わらない。


しかし以前住んでいた家の前に、JALの客室乗務員と機長が住んでいた時には、その待遇が羨ましかった。


深夜、早朝関係なしに昼間でもハイヤーを家の前で待たせていた。


深夜、早朝の場合には交通手段を考えるとやむを得ないと思う。


私もハイヤーを呼ぶことがあったが、出かける前に呼んで、迎えに来てもらったら出来るだけ早く乗車して出かけた。


でもJALの人は違う。


その人が特別だったのかもしれないが、ハイヤーはいつも30分以上は待機していた。


長い時には1時間以上だと思う。


そんなことを言うと、「こいつはそんなことを見ていたのか?」と思われるかもしれないが、実際そんな光景は嫌でも目についてしまう。


ハイヤーが私の家の前で長い時間待機しているのだから・・・


そんな待遇を受けていた社員がどれだけいるのか?


破綻するのは時間の問題だったのだろうと思う。


再生させてここまでの状況を作ってしまったOBの企業年金を存続させて、良いことがあるんだろうか?


民主党には期待しているけど、ちょっと考えなければいけないかな?と思う。


最後に、僕はJALが嫌いなわけではありません。


今まで良い思い出は沢山いただいた。


飛行中の操縦席にも何度も入れて頂いた。


今では考えられないけれど、あの事件が起きるまではそうだった。


機長が色々と説明をしてくれて、JALの絵葉書にサインと日付を書いてくれて子供に渡してくれたり、色々な飛行説明やプラスαなことで楽しませてくれたりした。


そんな愛される企業がこんな状況になってしまったことが寂しい。




昨日は阪神大震災から15年。


あの時は何をしていたか振り返ってみた。



あの時は3ヶ月前に注文した車が届いて数日が経った日だった。


新車が届いた私は旅行を計画して車で出かけた。


行き先は神戸。


宿泊場所や行き先を限定していたわけじゃなく、ただ神戸方面。


憧れだった甲子園球場や神戸を見てみたいと思っていた。


関西方面にはあまり行ったことがなかったから。


子供も入学前で旅行日数も考えずに、関東の自宅を出たのは震災前日の午後だった。


空いている高速を走れば夜中から朝方にかけて関西方面に到着する予定だった。


東名高速を走っていた私だったが、途中で伊豆に寄って美味しいものでも食べたいと思い、急に沼津で高速を降りた。


そして走っていると料金所があった。


その時、何故か何でもない場所で料金所の縁石にタイヤを擦ってしまい車を左に寄せた。


降りてみるとタイヤの横を擦っていて空気が漏れている。考えられない失態。


擦った時も、あれ?擦ったかな?と思う程度だったのに…


すぐにトヨタに電話してみたら、タイヤは横を擦ると交換しなくてはならない。修理はできない。とのことだった。


購入したトヨタから現在地を聞かれ、連絡を受けた現地のトヨタがすぐに対応してくれた。


しかし、当時、購入した車は発売されたばかりで、タイヤも他の車のものと違っていて、トヨタでも予備がないタイヤだった。


そして現地トヨタで至急取り寄せてもらうことにした。


早ければ翌日に届くとのことで、スペアタイヤに交換してもらい、急きょ伊豆の温泉宿に1泊することになった。


きちんとした計画もなかったのでゆっくり行こうと話しながら家族で温泉に浸かりゆっくりした。


そして朝、布団の中で小さな揺れを感じて、「地震か?」と思いつつ目を閉じていた。


それから少しの時間が経った時に携帯電話が鳴り起こされた。


電話にむかい眠い声を出している私に、「今、何処にいるんだ?神戸に行ったのか?」と慌てたお袋の声が聞こえてきて目が覚めた。


「伊豆にいるよ」と言うと、「神戸に行っちゃいけないよ!テレビを見てみなさい!」と言う。


テレビをつけるとヘリコプターから中継している神戸の映像が飛び込んできた。


神戸の街は見るも無残な状況になっていた。


地震で倒壊し、火事で大変な状況になっていた。


昨日の考えられないような事故がなかったら、今頃神戸の何処かにいたのかと思うと怖くなった。


トヨタにタイヤがあったならば、きっと神戸に着いていたことだろう。


僕は何かの力に守られたんだと思った。



そんなことを思い返していたら、他にもたくさん守られていることが思い浮かんだ。


以前、羽田沖であった飛行機事故もそうだった。


機長の逆噴射事件である。


その飛行機に搭乗予定だったが、九州で道路が渋滞していて間に合わずに、急きょ他の空港に変更して妹の結婚式に行ったこともあった。


そして9.11のテロ。


その前日も僕は飛行機に乗ってオランダからイタリアに移動していた。


最終目的地のイタリアへ行ったのも、アメリカとどちらか迷った挙句にイタリアに決めていた。


ミラノへ着いてからも、帰りはアメリカ経由で帰るか迷っていたほどだった。


いつも僕を守っていてくれる「何か?」を感じずにはいられない…


昨日、息子の高校入試試験があった。


寒い朝、女房と2人で車で高校まで送って行った。


7時30分に到着し、息子は緊張したまま試験会場に入って行った。


空気が澄んでいて空がきれいに見える。


僕は女房と2人で車を走らせていた。


しばらく走っていると景色のいい場所に出た。


散歩をしている人や走っている人が沢山いた。


その時、みんながある方角を見ているのに気が付いた。


僕もその方角を見ると、なんと澄んだ空気の先に額縁の中の絵のような富士山が浮かんで見える。


富士山の見える方角には大きな池があり、その周りの樹木は霜が降りて朝日に輝き白く光っている。


思わず「あ!」と声が出るほどきれいだった。


その先に車を止める場所があった。


僕の趣味は写真。


出かける時にはいつもカメラを持っている。


Cannonの一眼レフカメラのレンズを付け替えてさっきの景色を撮りに行こうとした。


しかし・・・・・


カメラが動作しない…


なんと、電池を充電したまま忘れてきた・・・・・


仕方なく女房と2人で歩いて、先ほどの場所まで行き、カメラはないけれどきれいな景色は脳裏に焼き付けてきた。


澄んだ空。きれいな空気に絵のような景色。


絶好のアングルに高性能の1眼レフカメラ。


最高の条件にドジな私。


写真に撮れなかった分、頭の中では昨日より今日の方がきれいに思い出される。


あの景色は頭の中で、毎日どんどんときれいになっていくんだろうな・・・


同じ条件であの場所に行ってみても、昨日よりきれいに思えることはないのかもしれない・・・


だけど今度はしっかり電池を入れたカメラを持って撮りに行きたい。。。