「やりたいことができる」=「ハッピーが増える」
これは、たとえばこういうことでもあります。
この写真は、宝塚にある某ドッグラン横で撮ったものです。
飼い主さんはベンチに腰かけて、その横でわんこは大人しく座って飼い主さんを見ていますね。
これなんです。
これ。
この姿。
元々、このわんこは「イヌを見るとパニックのようになって、激しく吠え続ける」という子でした。
というか、お伺いした当初は「散歩に出るとやたらと興奮して、吠えながら歩く」という子でした。
当初のご依頼内容は、この「散歩中の吠えがあまりにうるさいから、なんとかして欲しい」でした。
玄関を出る前の段階から吠え始め、道路に出たところで最初のピークを迎えて「ギャン!ギャン!ギャン!ギャン!」と吠えます。
その後は、おしっこやウンチを一通り終えるまでは「キャンキャンキャンキャン」と甲高い声で吠え続けながら、歩きます。
静かにしているのは、道路や植え込みの匂いを嗅いでいるとき。
横について歩くなんていうことも、まったくと言っていいほどできていませんでした。
おしっこやウンチをして、ある程度落ち着いてきたら、ようやくちょっと静かになります。
でも、遠くの方にイヌを見つけたら、もうパニック状態です。
ちらっと姿が見えただけで、激しい吠えが止まらなくなります。
相手の姿が見えなくなっても止まりません。
飼い主さんの声も、まったく届きません。
フードを見せても食べません。
興奮が強すぎたんでしょうね。
完全に、コントロールがきかない状態でした。
しかし、セッションを続けるうちに、少しずつ静かに歩ける時間が増えていきました。
少しずつ、イヌを見たときの興奮が、弱くなっていきました。
「まったく吠えなくなった」というわけではありません。
しかし「吠えたとしても、すぐにおさまる」し、「飼い主さんの声かけで、止まる」ようになりました。
僕は「吠え」のご相談を受けたときに、必ず言うことがあるんですけど。
「明石家さんまに、今後一生喋るな!って、できると思いますか?」
多分、無理ですよね。
あれだけ喋り倒す人、なんなら「喋ることに喜びを見出している人」に、「これから一生喋るな」は、多分無理です。
もしもそれを達成しようと思ったら、ものすごくひどい罰を与えるしか無いのではないでしょうか。
イヌも同じだと思うんですよね。
「吠える」というのは、イヌにとって「コミュニケーション」の一つの手段であることは、間違いないと思います。
イヌの吠えには、必ず意味があります。
「無駄吠え」と言って、無駄だと思い込んでいるのは、人間側だけ。
イヌにとっては無駄でもなんでもないんです。
その「コミュニケーションの手段」を、「うるさいから」というヒトの都合で、無理矢理奪うというのは、ちょっとねぇって思いませんか?
しかし、だからと言って、ずーっと吠えられても困っちゃいます。
最悪、一緒に暮らせなくなってしまいます。
そこで、こう考えるんです。
「今後一生喋るな」
これは無理だろう。
でも。
「ちょっと今は黙っといて」
これならできるんじゃないか?
「吠え」のご相談を受けたら、このような考え方を基本にして、セッションを行います。
無理矢理黙らせるのではなくて、「お願いやから、今はちょっと静かにしてくれる?ありがとう」の方が、イヌもヒトも楽だと思うんですよね。
写真の子も、基本線は同じです。
この2枚目の写真は、カフェでの写真です。
人生(犬生?)初のカフェです。
ここには写っていませんが、すぐ隣のテーブルに大型犬が2頭いました。
でも、飼い主さんの顔を見ながら、大人しく「できて」います。
最初は「うるさいからなんとかして」だったのが、徐々に「できること」が増えていくことで、段々と「やりたいことができる」ようになっていく。
「わんこも、そして飼い主さんも、ハッピー」
そんなしつけの、一つの形だと思います。
続きます