15年ぐらい前からですかね、いわゆる「陽性強化」なんて言葉が出てきて、「褒めるしつけ」というものが、段々と広がりだしたのは。
そして、2000年頃から、いわゆる「リーダー論」もぽつぽつと否定され始めたりしました。
まあ、飼い主が「イヌのリーダーになる」という考え方は色々と終わってるので、忘れちゃっていいと思います。
そんなこんなもあって、ここ最近は「褒めるしつけ」「イヌを叱らないしつけ」みたいなものが、随分と広まっているように思います。
一方で、「時にはイヌを叱る必要だってある」みたいな話も当然あって、飼い主さんからすれば「叱っちゃダメなの?叱ることも必要なの?」という風に、どう判断すればいいのかわからないってこともあるでしょうね。
この「叱る」「怒る」ということについて、じゃあ「行動の科学」ではどんな風に考えられているんでしょうか。
まず、「叱る」ってなんなんでしょう?というところから、話をしないといけません。
というのも、「罰」「体罰」「叱る」「怒る」って、人によってそのイメージがバラバラであることが少なくありません。
ある人は「叱る」と表現しているものが、別の人には「それは叱るというより、注意喚起ですよ」みたいなことはよくあります。
当然、あなたがイメージする「叱る」というものも、きっとあなたなりの「叱る」でしょう。
「叱る」とはなんなのか?まずは、ここから。
先日の一連のエントリで、「行動には目的がある」ということを割としつこく書いてきました(たとえば、これとか イヌの気持ちと問題行動
)
そして、「叱る」というのも「行動」ですから、そこには「目的」があります。
じゃあ、その「目的」はなにか?といえば、それはこういうものになるでしょうか。
叱るの目的
ある行動を、それ以上繰り返させないようにすること
「吠えたら叱る」
これは、「今後、この場面で吠えないように」と思って叱るわけですね。
「飛びついたら叱る」
これは、「今後、飛びつかないように」と思って叱るわけですね。
「イタズラしたら叱る」
これは、「今後、イタズラしないように」と思って叱るわけですね。
このように、「叱る」という行動は、「叱った行動が、今後繰り返されないようにするためのもの」と、まずは定義することができます。
はい、次はー、その「やり方」です。
「言葉で叱る」という人もいれば、「リードを引いてショックを入れて叱る」という人もいるでしょう。
(ガシャーン!!)
イヌ「ビックリしたぞ」
飼主「また叱られたな」
イヌ「空き缶に小石などを詰めて床に投げつけ大きな音を立てびっくりさせることで」
飼主「飼い主が天罰を」
イ・飼「与える」
なんていう人もいるでしょう。
あ、「吠えたら近所迷惑だし、苦情が来たら嫌だし」と思って、「空き缶に小石などを詰めて~」とかいう天罰法をやると、「あのー最近ガシャンガシャンうるさいです」という苦情が来たりします。
逆に迷惑っていうね。
さて、人によって「叱り方」は様々ですが、このように考えてみたらどうでしょう。
よく言われますでしょ?
「イヌは原則現行犯逮捕」みたいなこと。
あるいは「悪いことをしたら叱りましょう」とか。
あくまでも「イヌが何かをやった後、あるいは最中に叱る」わけです。
イヌが何か行動する → 叱る(人によって内容は様々)
つまり、この辺をまとめればこうなります。
叱るとは?
イヌのある行動の直後、または最中に、何らかの刺激・出来事を出現させることで、
今後その行動が繰り返されないようにするための行為
イヌが行動している → 叱る → その行動が減ったらいいな(願望)
こういうことですね。
そしてこれは、行動の科学でいえば「正の弱化(または罰)」もしくは「嫌子出現の弱化」と呼ばれているものです。
そんなわけで、ここでは「叱る」という言葉は、その内容は様々なれど、意味的には「行動の直後(または最中)に、周りの人間がイヌになんかやって、その行動を減らそうとする行為」という風に考えていくこととします。
続きます