【カルマの考察と黄金の花について】
昨日の投稿の続きです。
同じ様に向き合うタイミングが来ていて響いて下さった方も多かった様で
シェアしても良いですか?等
メッセージを下さった方もいらっしゃり
私の拙い文章で何か感じてもらえる事もあるんだなと思えたのでまた投稿していこうと思います。
宇宙から地球に降り、転生を繰り返す中で
「カルマ」というものは、その人が自分で取り組みたいと望んだ課題でもあり
その人を導くある種の「教科書」でもあります。
「カルマを越える」とは
その課題において、自分自身の体、器、魂にしか出せない、自分なりの答えを、自らの霊的誓願に添って導き出し、自分なりの道を見つけ出すという事でもあり
そのシステムと成り立ちを体感を持って理解し、俯瞰し、超越する事で、コントロールから抜け出す事を意味します。
苦しみのたうち回るほどに、抵抗したくなればなるほどに、抗えば抗うほどに
自分の中の「恐れ」を
その人が、今の自分自身の世界、カルマを越えるように開いていく、自分の本質に開いていくことへ促す
古来から脈々と受け継がれ使われて来た錬金術の秘伝のひとつとして
「黄金の花の秘宝」という錬金術秘伝があります。
過去生からこの術を使っていた、と確信できるものの1つでもあり…
ひとつの使い方としては
ヒーリングのひとつのテクニックとして、使える設定として
相手に必要な出力にする事で、ひとつのヒーリングとしてもエネルギー提供もできる術でもあるのですが
(ただ、受ける側も施術する側も、本当にかなりの覚悟が必要なワークなので、今後、普通にメニューに乗せたり一般的に提供するかは未定です)
それだけにとどまらず
日常で起こっている様々な事、それぞれの人の課題、色々とある中で
広く大きな意味で
今世でもこのエネルギーを纏い扱っていくためのイニシエーション(通過儀礼)を
今、通過しているようです。
正直、とても辛くもあり
「生きながらに死ぬ」
この感覚を久しぶりに味わっています。
人は支え合えるけれど、自分の答えは自分で選ぶしかなく。
自分自身の課題(カルマ)に対して
自分の内側から、自らの叡智を
錬金術の「金」の部分を抽出し錬成できるのは
自分自身しかいない。
知ったからできる、学んだからできる、ではなくて
自分自身が体験し越えなければ
真の意味で扱う事はできない、という事を
今、強く感じています。
それでもきっと、自分の魂が望んでいる事だから。
きっと今は踏ん張り時だな、そんな最近です。
踏ん張り時、そんな方々も多いのかもしれないですね。