早朝から「パストラル」の中はバタバタしていた。

店の奥のパウダールーム入り口の横が、俺の「指定席」だ。

無骨なデザインが気に入っているDELLのラップトップを開いて、アメリカンを飲んでいた。

「おい、雨が降るらしいじゃないか?」

「うん、折り畳み傘もね…」

尚子は、プラダのバックパックに用意を詰め込んでいた。

「ビニール袋も持って行け!ゴミ捨て用の2枚ぐらい、きっと役立つから…」

「そうなの?」

「あぁ…俺も取材に持って行くんだ…工夫してみろよ」

「わかった…」

「遅いな、早苗のやつ、寝坊してるのかな…」

 

「ボクをお呼びですかな!?」

両脇に手を当てて、仁王立ちしている小娘。

「早苗ちゃん、ありがとう!」

尚子は嬉しそうに駆け寄った。

「チャコさんの頼みなら、自分、断れないっす!」

なんだこの話し方は、いつもこうなんだ。

原宿に初めて修学旅行に来た中学生のような顔とセンス。

秋葉原をメインステージに徘徊しているらしく…

腐女子っていうのか?

すっかりアレだ。

でかいトトロのマスコットがブラブラするリュックを背負い、カウンターに近づいた。

「リョウ、元気でやっておるかな?」

「あぁ、見てのとおりさ…その話し方なんとかならないの?」

「法律、モラル、マナーを守りさえすれば、あとは自由」

「あぁ、航平がよく言っていたわ!」

尚子が手を打った。

「いいから、チャコは早く出掛けろ!余裕を持って行けよ!」

「そうするわ…」

リュックを背負った。

「いいか?東北新幹線だぞ?間違えて高崎に行くなよ?」

「うん、気を付ける!」

「では、行ってらっしゃいませ!」

俺と早苗の声が偶然シンクロした。

「親子ね…」

尚子はクスッとして、店を出て行った。

 

 

「オヤジさん、アルディージャ、ヤバクないかい?」

黒いエプロンをつけ、ポニーテールにした早苗は、一応、喫茶店の従業員らしくなった。

涼と同い年で二十歳だ。

東京の私立大学に通っているが、人形劇サークルに夢中になってしまった。

施設の子どもさんたちに観てもらうのが、彼女の生きがいらしい。

手堅く就職すれば、一応は幸福になれそうな容姿と才能に、恵美が産んでくれたのだが。

まぁいい。

早苗に与えられた人生時間は、彼女のものだ、寄り道するもよし。

野暮な口出しはすまい。

 

「いつもギリギリなんだな…J2に落ちそうで落ちない…」

「そうだね?」

涼が合いの手。

「おかげで、氷川神社のお守りが受験生の必須アイテムになってるらしいよ?」

「そうなのか?」

「2ちゃんに書いてあった…」

「やっぱり…ちゃねらーか…」

早苗は冷ややかな目で、涼を見下ろし、コーラの入ったグラスをカウンターにドン!と置いた。

「さっきから流してるコレ、優衣ちゃんの歌でしょ?」

「うん」

「創聖のアクエリオン…」

「わかった」

曲が変わった。

 

一万年と二千年前から愛してるー♪

 

「優衣ちゃん、何でも上手いよ、うん」

早苗が腕組みをして頷いた。

しばらくの間、三人は無言で、YouTube (ようつべと言うらしい)に聞き惚れた。

何曲も何曲も。

 

「お!いつもと違いますな!」

モーニングを注文して、日経新聞を読むのが日課の常連さんが、新鮮な驚きを露わにした。

「お気に触らなかったら、ごゆっくりなさって下さい…」

早苗が注文を運びながら、常連さんに挨拶した。

 

なんだ、まともな口が利けるじゃないか!

俺は他人のふりをして、原稿を打っていた。

中学生のいじめについて、調べている。

稿料は期待出来ないが、前から取り組みたかったんだ。

早苗は涼と、コミックマーケットの話題を交わしていた。

 

「涼には早く定職についてもらいたいの…早苗ちゃんをお嫁さんに頂けないかしら?」

店でクリスマス・パーティをした時、尚子が突然言い出した事がある。

「あんな妙な娘でいいのか?」

「だって、子どもが産まれたら、恵美の孫なのよ?素敵でしょ?」

「いいかもしれない…」

落涙をこらえるのがやっとだった。

 

「ただいまー!雨降らなかったわ?」

尚子が嬉々として帰ったのは、夜8時半ごろだった。

「涼、これ…」

例のコンデジを息子に渡す。

「屋台がたくさん出ていて、お祭りだったわ」

「この前のKさんともお話出来たし、他の方とも何人かお知り合いになれたの!」

「優衣ちゃんの歌、どうだった?」

「それがね、舞台の写真は撮影禁止だったのよ」

「じゃぁ…」

「替りに撮影会っていうのかしら、優衣ちゃんを囲んで、みんなでパチパチ…」

「パチパチって…お前も昭和だな、パシャパシャとか、他にあるだろ?」

「意地悪な事言わないの!今日は自信あるわよ?」

 

 

「奥の方がメインステージなの、賑やかなのが分かるでしょ?」

「人の顔をやたら写せないからな…チャコにしては気が利いてる」

「お褒めの言葉と受け止めさせて頂きますわ? ステージだけ撮っておいたの…」

 

 

「次は撮影会の優衣ちゃんね?」

 

 

「制服が似合ってるわよね?」

「可愛い…」

「涼、キミも今度行って来い!母親のボディガードだ!これは命令だぞ?」

「慎重に考慮するよ」

「よろしい…早く他の他の!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「育ちの良いお嬢さんだな」

「そうよ、だって、足利市の輝き大使と太田市のPR大使を任命されているのよ?」

「凄いな!」

本気で感心した時だけのレアな声で早苗が叫んだ。

コイツはめったな事では、褒めない性質なんだ。

「歌ってくれたんだろ?」

「そうそう、今度はしっかりメモったわ!」

 

 

堀優衣ミニステージ ホンダエンジニアリング愛感謝祭2017

 

愛をこめて花束を

How Far I'll Go

さよならのオーシャン(堀優衣ヴァージョン)

母ゆずり(堀優衣オリジナル曲)

 

 

「優衣ちゃんの学校って、授業を英語でするらしいわ?」

「進んでるんだな」

「だから彼女、英語の歌もお手の物よ」

「意味も分かって歌うんだろうからな?」

「多分ね、航平のWhat a Wonderful World とは違うわね?」

「あれはお前、サッチモの物真似で覚えただけだよ」

「すごい早口の連続のところがあるんだけど、フツーに歌ってた…優衣ちゃん凄いわ!」

「聴きたかったな、涼?」

「うん」

「あとね、この前はよく分からなかったけど…」

「ん?」

「さよならのオーシャン、杉山清貴さんの曲をアレンジした堀優衣バージョン」

「うん」

「ファンの人が一斉に応援するのよ!ユイちゃーーん!!て!」

「聖子ちゃーん!!って感じか?」

「そうそう、ああいう感じ!」

「なんか俺も聴きに行きたくなったぞ?」

「そのうちに頼むわ?運転手さん?」

「わかった、まかせておけ!昔は自称 「赤い彗星」を名乗った俺だ…」

「航平のバカナルシストがまた始まった…」

尚子は少しうんざりしてしまった。

折角喜んでいたのに、申し訳ない。

お口チャック!

 

「コーヒー淹れるから、優衣ちゃん話をしましょ?」

「いいね!」

「うん!」

「チャコさん、お待ちしておりました!」

 

こうして、街の片隅の小さな純喫茶「パストラル」は夜更けまで賑やかだった。