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午前中に浄楽寺、バスと徒歩で移動して、午後は万願寺に鎌倉時代に作られた仏像を拝観してきた。両方とも、鎌倉時代の有力武士団、三浦氏と関わりのある寺である。拝観には、いずれも事前の予約が必要である。

学術的に真作とされる運慶仏を全て拝観した中で、私が最も気に入っているのは、横須賀市浄楽寺の5体の運慶仏である。特に、両脇待がそろって阿弥陀三尊像を拝観するのは至福の時と言っても良い。阿弥陀如来像が他に見ることができるのは、他には伊豆の国市の願成就院、形がよく似ているのは奈良の興福寺北円堂の弥勒仏だが、間近でゆっくりと拝観することができて、特別な時間が過ごせるという意味でも浄楽寺は特別である。

今回の浄楽寺での拝観で、阿弥陀像について新しい情報を得た。本堂から現在の収蔵庫に移動の際に解体(修理?)され、胎内仏が中から出てきたという。よく見ると、首の所に取り外した痕跡がある。仏像は、天気やその日の気分などで見え方が違うように思う。今回は、全体的にふくよかな印象だった。天気が良かったこともあり、毘沙門天像と不動明王像の目に入った水晶が光って、生きいきとしているように見えた。

浄楽寺の両脇待によく似た仏像が、同じ横須賀市内の万願寺にある。

看板の説明によれば、「臨済宗岩戸山万願寺は、三浦大介義明の子佐原十朗義連によって建てられたと伝えられて」いるという。ここで拝観することができる4体の仏像の内、「観音菩薩立像は、十九歳の義連が平家追討のため、西国におもむくにあたり、鎌倉時代の代表的な仏像彫刻家運慶に自分の姿を彫らせたと寺伝に」あるという。「また、三浦古尋録という書物には、「佐原十朗ヲ観音ニ祭リ巴御前ヲ地蔵ニ祭リ和田ノ義盛ヲ比沙門ニ祭リ朝比奈ノ三郎ヲ不動ニ祭ルト云四尊トモ運慶ノ作」と記され」ているという。

国指定重要文化財に指定されている観音菩薩像と地蔵菩薩像につては、日本彫刻史が専門の松島健氏が、『日本美術全集』(「運慶の成功とその造像理念」 講談社)で運慶自身の作である可能性を述べていたが、寺の説明によると、他にも運慶作だと考える学者がいるようだ。しかしながら、衣のひだの起伏が抑えられておとなしくまとまっていることから、運慶作ではないという意見もあるという。以前は、雨漏りのする観音堂に安置されていたが、風雨による痛みを心配して、地元で観音菩薩像と地蔵菩薩像にペンキで色を付けた。以前にはいなかった住職が決まってから、仏像を解体修理をした際に、塗装を剥がす作業をしたが、かなり大変だったらしい。その際に、満願寺の仏像を運慶作と決定付ける銘札が出てこなかったのも、運慶作と認めない学者がいる理由かもしれない。

最近の研究によると、以前は鎌倉時代中期以降の作とされていた毘沙門天像と不動明王像について、一体については、観音菩薩像・地蔵菩薩像と同時期の鎌倉時代初期ではないかと、調べに来た専門家が言っていたという寺の説明を聞いた。

実際に拝観してみると、2メートルを超える観音菩薩像と地蔵菩薩像の大きさに驚かされた。写真では、あまり感じなかったが、実際は、かなりリアルな顔の表情で、運慶作の他の仏像によく似た表情だと思った。確かに、衣のひだのデザインがシンプルだが、真作と認められた地蔵菩薩が無いので、地蔵菩薩像については、シンプルな衣であってもおかしくないと思える。ただ、観音菩薩像の下半身の衣が左右対称になっているのは、反論されても仕方がない。ただ、右足の膝が曲がった動きのある様子は、同じような足の動きのある滝山寺の帝釈天を彷彿とさせる雰囲気を感じた。運慶は、工房で複数の仏師たちに指示を出しながら仏像を作った。少なくとも頭部は運慶が製作に深くかかわって、他の部分については、弟子たちに任せたのではないだろうか。

横須賀市指定文化財になっている毘沙門天像と不動明王像については、顔の表情や、体全体の形が、他に現存する真作2体とかなり異なるので、運慶仏ではないと思った。看板の説明に引用された『三浦古尋録』が、どれだけ信用できるかも考慮するべきではないかと思う。

ただ、満願寺の4体の仏像が拝観する人々に感動を与える素晴らしい出来具合なのは確かで、交通が不便であっても行ってみる価値は十分にあると思う。

写真:
_須賀市の浄楽寺
横須賀市の万願寺