













『東寺講堂御仏所被籠御舎利員数』によれば、空海が籠めたと考えられている仏舎利などの納入品が修理中に発見されて、多くの京都の人々が参詣したという。奈良仏師を実質的に率いていたと考えられる、父康慶の後を引き継いで棟梁となった運慶にとって初めての大仕事と言われる修理の過程で、この20代半ばの若き仏師の名声を大いに高めたと思われるエピソードである。
「修理」といっても、痛みがさらに進まないように現状維持したり、オリジナルに戻すことを目指す現代の考え方に対して、当時の修理の考えはかなり違っていたであろう。平安時代の金剛宝菩薩、金剛法菩薩、金剛業菩薩、金剛薩埵、4座像は、全体的には丸みを帯びた平安時代特有の造りではあるものの、それらの幾つかに見られる顔や手の表情の写実的な表現は、欠損部分などが運慶一門によって補作された可能性を伺わせる。現存する運慶仏で最後の作と考えられている称名寺光明院の大威徳明王像は破損が著しいが、同じく平安時代作の大威徳明王は、大きさと手の動きが全く違うにもかかわらず、破損部分がどうなっていたか想像を膨らませてくれる。
今回、撮影可能の帝釈天半跏像は、滝山寺帝釈天立像と上半身が全くの瓜二つと言えるほど、顔と手の表情が同じである。東寺の方は、頭部と台座などが後補であり、関与の度合いや最後の仕上げなどから、ほとんど運慶作と言っても良い出来映えだと思う。