






かつては大宰府観世音寺境内に戒壇が設置されたが衰退し、近世になってから黒田家の家臣鎌田昌勝や豪商浦了無らによる再興が続けられ、1703年に博多禅宗四ヶ寺の管理という藩命が下され、観世音寺から離れた。現在は福岡市にある臨済宗の聖福寺の末寺である。戒壇院の戒壇には本尊盧舎那仏坐像がある。平安時代末期の作で、国の重要文化財に指定されている。
隣接する観世音寺は天台宗の寺院である。『続日本紀』によると、天智天皇が母斉明天皇の冥福を祈るために創建された。発願から約80年の歳月をかけて建設され、746年にようやく完成した。かつては南大門、中門、五重塔、金堂、講堂、鐘楼、経蔵、僧房などを完備した壮大な規模だったが、平安時代に火災や台風などによって、伽藍が次々に失われた。また、中世の律令制の崩壊によって、寺を支えていた大宰府の権力が衰退し、平安後期以降は東大寺の末寺になってしまった。しかし、平安時代の復興期に作られた仏像が多く残されており、それらは国の重要文化財に指定されている。国宝に指定されている創建当時の梵鐘は、京都の妙心寺、奈良の当麻寺の鐘と並ぶ日本最古の梵鐘の一つと考えられている。宝蔵に収蔵されている高さ5メートル前後の巨大な観音像は圧巻である。
観世音寺は、昔の地方行政機関である大宰府政庁跡の東、約600メートルにある。太宰府天満宮にも近いので、天満宮隣接の九州国立博物館と共に観光するのがお薦めである。なお、都市名や菅原道真を祀る太宰府天満宮には「太」宰府という表記を用いるが、歴史的表記としては機関名の「大」宰府という表記を用いる。地元では大宰府政庁の史跡は「都府楼跡」(とふろうあと)と呼ばれている。
写真:_錝撤)榮押´戒壇院本堂の近くにある鑑真和上の供養塔(右)と変形宝篋印塔(左) 4兩げ算皦崙押´ご兩げ算硎睿亜´ゴ兩げ算菶霈癲´β膾防楡庁 大宰府政庁正殿跡
*鑑真和上の墓は奈良の唐招提寺にある。