オッチマーの40代ドタバタ日記 ~44歳で3人目妊娠・無事出産を目指す~ -25ページ目

オッチマーの40代ドタバタ日記 ~44歳で3人目妊娠・無事出産を目指す~

オッチマー家は、パパ&私&ジュニア&ビーンの4人家族でしたが、44歳にして赤ちゃんがお腹にやってきてくれました!→7週で心拍停止。
今後は、44歳での自然妊娠を目指します。
何気な~い家族の日常や育児、妊活について、つれづれなるままに書き綴っていきます。

私が購入した、今回の震災のチャリティーTシャツをご紹介します。



http://shop.mu-mo.net/avx/sv/list1?jsiteid=MSAH&categ_id=5925


浜崎あゆみさんデザインです。

1500円、送料500円です。サイズ、S~XL(男性のサイズで)

3月31日18時までの販売です。



オッチマーののんびり育児日記


そして、モデルの梨花さんデザインのTシャツ。

グレー、白の2種類。サイズM、L。

2100円、送料500円。


http://my-fashion.jp/charity/index.html





オッチマーののんびり育児日記



最後に、親子でおそろいで着られるTシャツです。(100センチ~大人XLまで)

1000円、送料300円。

私は、パパとジュニアの分も購入しました。

ライムグリーン、グレー×水色、グレー×ピンクの3色あります。


http://www.rexpartners.net/shopbrand/006/O/




オッチマーののんびり育児日記


これらの収益金は、全て、義援金として、被災地に送られます。


微力ながら、私もご協力させていただきました。


もしこのブログを読んで、賛同してくださった方。

ぜひ、ご協力をお願いいたします!!!!!



地震の2日後から、イオンは営業再開してくれました。


けれど、お店の中には入れず。

お店の入り口に、あるものを出しての営業でした。


開店前から長蛇の列。

それでもみんな、辛抱強く並んでいました。


私たち家族も、地震の翌々日の午前中、イオンで買い物をするために並びました。

3時間並び、みかん、インスタントラーメン2個、インスタント春雨を2袋、懐中電灯、お菓子、おむつ、飲み物などを買うことができました。


並んでいる列には、気仙沼からガソリンを求めて一関まで出てきた、という男性もいました。

私が前に並んでいた女性と、ガソリンがほしい、もうほとんどないんだという話をしていたら、


「俺も気仙沼から出てきたんだよ。でも、一関もガソリン全然ないな。もう赤ランプついてるんだ。地震当日にお金が入ったから、入れようと思っていたところだったのに・・・。せめて、千厩までガソリンきてくれたらな」と。


その男性の気仙沼のおうちは、幸運にも残っているそうです。

よかった。


私の前に並んでいた女性は、ガソリンスタンドが地震の翌日も営業していたこと、でも今はもう緊急車両のみで一般車には給油してくれないこと、など、親切にいろんな情報を教えてくれました。

電気も、もう水沢まではきているので、明日の午後には一関にも通るんじゃないか、と言っていました。


並んでいる間、ずっと話していて、なんだか心強かった。

みんな、大変な状態なのに頑張っている。

みんなで頑張ろう。


避難所でも買いものの列でも、被災者同士、知らない人でも声を掛け合う空気が生まれていたし、連帯感のようなものも生まれていました。


けれど、やはり避難所での生活は厳しい。

あまりにも人が多く、次第に疲れや焦りからか、喧嘩をする人たちも出てきました。

ジュニアのように小さな子がいる私たちは、やはり周囲に対して、より気を使うことになります。

実際、ジュニアが騒いでいる時に、「うるさい」と苦情を言われたこともありました。

みんな、精神的にもかなり疲れていたんだと思います。


精神的にも体力的にも限界がきてしまい、イオンで買い物をした夜には、私たちは一関の自宅に戻りました。

大きな余震がきたらと考えると怖いけれど、誰にも気を使わず、ジュニアにものびのびさせてあげたかった。

冷たい床にではなく、自宅の寝室で寝たかった。


暗くなっても、電気はつかない。

でも、懐中電灯を手に入れたし、何より自宅では、幸運にも、まだ水道が生きていました。

確認すると、ガスもプロパンガスだったので、使用することができました。

地震から3日後、はじめてあたたかいものを食べることができました。


帰る場所がある私たちは、ほんとに恵まれていたと思います。


真っ暗な中、懐中電灯で照らしながらの生活。

ジュニアも家に帰ってきたせいか、嬉しそうにはしゃいでいました。

親子3人で、久々に誰にも気をつかうことなく、寝ることが出来ました。

家のふとんのありがたみをしみじみ感じました。


そして、パパの会社の同僚から連絡が入り、平泉のほうでガソリンスタンドが営業を始めたと聞いた、とのこと。

ほとんどガソリンがなかった私たちは、自宅に戻った翌日、平泉までいこうと、県道を走っていました。

すると、ものすごい渋滞にぶち当たりました。

もしかして、ガソリン・・・?


そう思い、私だけ車を降り、渋滞の先を確認しにいきました。

するとガソリンをいれる赤い容器をもった人たちが歩いています。

車の列は、JAのガソリンスタンドまで続いていました。


ガソリンが入れられる!!!!!!!!!!!


本当に嬉しかった。

急いで戻ってパパに知らせました。


1時間以上並び、10リットルのガソリンを入れることが出来ました。

そして、ふたたび車列に並び直し、また1時間以上かけて、計20リットルのガソリンを入れることができたんです。


後から聞くと、一関でガソリンを入れられたのはその日までで、以降数日は、まったくガソリンの供給がなかったそうです。


ガソリンをいれた後、私たち夫婦は話し合いをし、荷物だけを一関におき、その日の夜のうちに車で兵庫に戻ることを決めました。


一関でずっと仲良くしていた友達に、イオンで買い物していた食料を届けるため、そしておわかれを言いに、会いに行きました。


その子は、地震当日旦那さんが東京へ出張に出かけていて、地震が起こっても、旦那さんはなかなか一関に帰ってくることができませんでした。

地震の3日後、私たちが一関を出る前日に、やっと帰ってこれたそうです。

それまでのあいだ、小さな子どもといっしょに、マンションの8階で、強い余震や電気水道のない生活とたたかっていました。

たったひとりで、どれだけ怖かっただろう。


玄関のドアを開けた途端、その子の目はみるみる涙でいっぱいになりました。

食料などについては、近所の方がもってきてくださったり、なんとかやっていられたそうです。

けれど、精神的には心細くてたまらなかったと。

私たちが訪ねたその日も、旦那さんはいまだ連絡のつかない気仙沼の両親を探しに車で出かけたきり、何の連絡もない、と憔悴し切った様子で話していました。


そんな友達をおいて、兵庫に戻ろうとしている私たち。

すごく申し訳なくて、涙が出てきて、「ごめんね、自分たちだけ出て行くことになって」と謝りました。

「なんでこんなことになっちゃったんだろう・・・」とふたりで泣きました。


友達は、「早くこんなとこ出たほうがいい。ご両親だって心配だよ。早く帰って、元気な顔みせてあげて。大丈夫、今度会うときは笑顔だよ。兵庫まで気をつけて」と、泣きながら言ってくれました。


私たちだけ一関を出て行くことが、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

友達と繋いだ手を、なかなか離せずにいると、「暗くなる前に出な。ほら、早く行きな。」と。


楽しい一関での生活は、この友達がいてくれたおかげでもありました。

本当に、一関という街が好きになって、兵庫から一関に戻ってくるときなども、「帰ってきた~」という感覚になるほどでした。

その一関を、こんな形で出て行くことが、本当にさびしかった。


なんで地震なんておこったんだろう。

言っても仕方がないかもしれないけれど、本当に心からそう思う。


都知事が、「地震は天罰。我欲を津波で洗い流せ」と言ったこと。

大阪府議長が、「地震は大阪にとって天の恵み。この地震が起こって本当によかった」と言ったこと。


私は、一生許せません。


被災者の人たちが、いったい、どんな悪いことをした!?!?

ただただ、普通に、幸せに生活していただけ。


家族、友達、家、車、船、仕事、幸せだった生活、なにもかもを一瞬で奪われた人たちの気持ちが分からないのなら、人の上に立つ資格なんてない。


被災地の苦しみは、まだ続いています。

でも、みんな、明るく前向きに頑張ろうと、立ちあがっている。

東北、関東の人たちの優しさ、強さを感じます。


兵庫に戻った私たちにも、できることをしたい。

少しでも復興の役に立てることをしたい。


そう思っています。


避難所で寝ている間も、何度も襲ってくる強い余震。

そのたび、とっさにジュニアをかばう。

建物が頑丈だから大丈夫、とパパは言うけど、やっぱり怖かった。

他の避難者の方も、余震が来るたび立ち上がり、入口のほうへと駆け出していく。


みんな、恐怖でいっぱいでした。


朝になり、ごはんの配給。

このときはまだ豪華で、ひとりにひとつ、菓子パンがもらえました。


お昼になると、ひとりにおにぎり2つと、缶ウーロン茶1本。

避難者もどんどん増え、このころには100人はいらっしゃったと思います。


夜には、おにぎりはひとり1つになりました。

避難者も、200人はいたと思う。

最初はジュニアの分のおにぎりもくださったのですが、「うぁ~これ、足りるかな」という声を聞き、ジュニアの分はお返ししました。

パパが買ってきてくれたパンも少し残っていたので、それで乗り切ることに。


昼間にはコンビニに行き、40分ほどならんで、野菜ジュースやお菓子を買いました。

野菜ジュースに関しては、栄養をとらなければと思い、多めに買いました。

とにかく、この先のジュニアの栄養状態が心配でした。

せめて、野菜ジュースで栄養を補給したかった。

今になって思えば、「買占め」だったかもしれません。

反省です。


2日目の夜も、避難所に泊まりました。

ジュニア、やはり騒ぐ。走り回る。

私もストレスがたまって、ジュニアに怒ってしまう。

こんなの、いつまで続くんだろう・・・。


トイレももはや水は使えず、女子トイレはひどい状況。

ここを使うくらいなら、我慢したい。

そう思ったけど、そうもいかず。

病気にならないだろうか・・・って本気で思いました。


2日目は人もかなり増えて、ほぼ一面に毛布がひかれ、人が寝転がっている状態。

2階にも人がいたので、かなりの数の避難者がいました。

プライベートなど一切なく、私たちの陣取ったすぐ近くには携帯の充電コーナーがあったので、人でごった返していました。

みんな、いつ安否確認の携帯が鳴るか分からないので、充電が終わるまで、その場で待っているのです。


まるで、私たちって動物園の動物みたいだね、とパパと話していました。


携帯の充電コーナーには、甲子園でのおなじみの一関学院の野球部員たちがいました。

彼らは、寮生だったようです。

野球の為に実家を離れ、寮に入っていたために被災したよう。


彼らのうち、実家が気仙沼という子が、友達と話しているのが聞こえました。

「おれの家、流されてるだろうな。連絡つかん。おれ、マジで高校やめないけないかもしれないわ」

「ああ、おれも。学費はらえないわ」


彼らは、高校をやめて働かなければいけないのかな。

国がなんとかしてくれないんだろうか。

やりきれない気持ちになりました。


一関学院の野球部の子たちは、避難所のお手伝いもたくさんしてくれて、ジュニアのことも可愛がってくれたし、元気にあいさつしてくれて、本当に良い子たちばかりだった。

まだまだ若いのに、せめて高校だけでも卒業できたらいいのに・・・。


空いた時間には、キャッチボールをして練習していたのが印象的です。






今回の地震はただごとじゃない。

阪神大震災クラスなんじゃないか・・・・。


テレビに映し出された津波の映像に、恐怖でいっぱいになりました。

その時点では、まだ、犠牲者の情報は出ていませんでした。

亡くなった方がいなければいいけど・・・。

そう思っていました。


徐々に、周りが暗くなってきました。

電気はつかないし、灯りになるものがない。

懐中電灯を買いに行こう。

お店、あいてるかな・・・・。


そう思いながら、イオンスーパーセンターへと走りました。


しかし、やはり予想通り、イオンは閉まっていました。

ふと見ると、イオンのうしろにある総合体育館に、明かりがついている。

あれ?ココは電気が通ってるの??


もしかしたら、避難所になっているのかもしれない。

まだまだ強い余震のなか、家で寝るのは怖い。

ちょっと見に行ってみようか。


そうパパと話し、総合体育館に向かいました。

中に入ると、数家族が避難しているようでした。


入るなり、市の職員の方が、「どうぞ、お入りください。毛布をとってくださいね」そういって、案内してくれました。

そして、一家族にひとつ、長椅子を貸し出してくれました。


ちょっと安心して、毛布にくるまりながら、長椅子に座りました。


しばらくすると、イオンの方々のご厚意で、お弁当が配給されました。

から揚げ弁当、ハンバーグ弁当、エビチリ、食パン、バナナ・・・・。

この時は避難者の人数も少なく、地震当日で物資がイオンに残っていたこともあって、とっても豪華でした。

翌日以降、当然のことながら、物資は激減しましたが・・・。


とりあえず非常用電気で、夜中0時までは電気が使用できるとのこと。

そのまま、避難所で過ごすことにしました。

地震当日はまだ、非常用の水タンクもあったのか、トイレも水洗を利用することができました。


でも、とにかく寒い。

暖房にまで電気を使う余裕がなく、防寒具は毛布一枚のみ。

東北の寒さに、この状態はきつかった。

寝る前になると、体育館にあるヨガ用のマットの貸出がありましたが、それを床にひきました。

いくらか底冷えが緩和され、感謝。


避難所全体が22時くらいから就寝する空気になりましたが、ジュニア、なかなか寝付けない。

そりゃそうだよね、知らない人ばかりだし、体育館入口前の床の上でなんて、寝る場所には思えなかったんだろうね。

ストレスからか、奇声もあげるし、走り回る。

周囲の方の迷惑にもなるし、車のなかで寝かしつけ、寝入ったらまた避難所にもどるとにしました。


車の中でひととおり暴れると、ジュニア、私の腕の中でぐっすりと眠りました。

私とパパは、ナビのテレビに釘付け。


刻一刻と、映像が増え、悲惨すぎる状況が映し出されました。

津波の映像をみるたび、衝撃が走った。

同じ県内にいて、同じように生活していたのに、こんなことになるなんて。


大船渡の牡蠣まつりでは、魚市場は活気にあふれてた。

お土産に、さんまを山盛り、来た人に配ってくれてたなぁ。

牡蠣汁を大盛りにしてくれた優しいおばちゃん、どうしてるんだろう。


気仙沼、ドライブしたよね。

きれいな海岸線、海沿いのお土産屋さんの横の食堂で海鮮丼を食べて、パパ、感動してたなぁ。

友達の旦那さんのご実家は気仙沼だったはず。

大丈夫なんだろうか。


陸前高田のドライブインでは、パスタを食べたなぁ。

海のすぐ近くの風光明媚な、のんびりした穏やかなところだった。


見覚えのある場所が、一瞬の津波で流されてしまった。


こんなにひどい被害、見たことがない。


いったい、どうなるんだろう。

明日に控えていた引っ越しなんて、絶対無理だろう。

まったく、先が見えなくなってしまった。




何度も強い余震がきます。

そのたび、車も揺れるし、部屋のエアコンの室外機が、ガタガタと音を立てて揺れる。


車のガソリンは、だいぶ少なくなっている状態でした。

地震が起こる前の午前中、ふと「ガソリン満タンにしておこうかな」と考えたのですが、「まあ、明日でいいか」と思い、入れていなかった。

でも、このままずっと車で過ごすなら、まだまだ寒い一関。

ジュニアのためにもエアコンをつけなきゃ。

ガソリン、いれられるんだろうか・・・・・・。


そう思いながらも、スタンドへと向かって走りました。


すると、信号が全部消えている。

みんな、お互いに譲り合いながら、ゆっくりと車を走らせていました。


一番ちかくのガソリンスタンドにいくと、車が一台、停まってる。

中の人が、お店の人と話していました。

やっぱりダメか・・・そう思いながらも一応窓をあけてたずねようとすると、お店の方が「申し訳ありません。うちはダメです・・・もしかしたら、あっちの○○さんなら、可能かもしれません」と教えてくれました。


でも、ガソリンは残りあとわずか。

そのスタンドまで走って結局いれられなかったとなったら、ガソリンが逆にもったいない。

そう思い、家まで引き返すことにしました。


帰り道には大きな橋があるのですが、さっきの地震で傷んでいるんじゃないだろうか、強い余震でくずれないだろうか、気が気じゃありませんでした。


そして、再び部屋の前の駐車場へ。

車の中で過ごしていると、パパから着信。


「大丈夫??なかなか電話できなくてごめん。やっとつながった!」

「私もジュニアも大丈夫。よかった、無事で・・・。すごい揺れだったね。」

「すごかったな・・・。今現場確認も終わったから。今から帰る。」

「うん、気をつけてね」


パパの無事を確認し、ほっとしました。

実家にもずっと電話をかけ続けたけれど、全然つながらなかった。

きっと心配しているだろうな・・・。

でも、どうすることもできませんでした。


ふと、車のナビに目が行き、

「もしかして、テレビみれるかな??」

そう思い付き、つけてみると、画面が写りました。


映し出されたのは、地震の特番。

マグニチュード8.4の地震が三陸沖で起こった、と報道されていました。

(マグニチュードは、のちほど何回か訂正されました)

津波警報も出ていました。

けれど、映し出されたのは千葉のガスタンクの爆発現場。


??????

どうして、東北の地震でしょ。

なんで千葉?????


事態が全く分かりませんでした。

テレビもあんまりつけていたらガソリンを食うので止め、エンジンをかけたり、とめたりして過ごしました。


パパは、全然帰ってこない。

信号が止まってるから、渋滞してるのかな。

まさか、どこかで橋が落ちたりしてないだろうか。

次第に不安になってきました。

いつもなら、30分ほどで帰ってこられる距離なのに。


結局、電話から1時間半ほどして、パパが帰ってきました。

「ごめんな、遅くなって。コンビニに寄ってたから」


パパは阪神大震災で被災し、お家が全壊しています。

「きっと、これから食べるものも満足に食べれなくなる。」

経験からそう考え、帰り道にコンビニに寄り、私たちのパンを買ってきてくれたのです。

でも、コンビニはすでにすごい人だったそう。

そして車道もやはり混んでいたようで、遅くなったとのことでした。


とにかく、家族3人そろって、安心しました。


それからまたテレビをつけると、今度は津波の映像が。

目を疑いました。

え、気仙沼??

大船渡??

うちのすぐ近くじゃない!!

この前、遊びにいったとこだよ。

いったい、どうなってるの?????


パパとふたり、絶句でした・・・・。

今日で震災から20日たちます。

地震の日のことを忘れないように、将来ジュニアやジュニアの子どもたち、孫たちにも伝わっていくように。

忘備録として、書いておこうと思います。


3月11日。

私たち家族は、岩手県一関市にいました。

翌日12日に、8月からの一関市の生活を終え、兵庫県の自宅に戻る予定になっていました。


家の中の荷物もだいぶ片付き、段ボールだらけ。

必要最低限の荷物とソファベッドだけ、おいていました。


朝から洗濯をし、コインランドリーにいって乾燥機にかけ、その間に、兵庫に帰るまでのドライブでジュニアが退屈しないよう、TUTAYAで「おかあさんといっしょ」のベスト盤、アンパンマンのベスト盤を借りました。


そして、食器も片付けてしまっていたので、ジュニアとふたり、初めてファミリーレストランでランチを食べました。


おなかもいっぱいになって、部屋に戻りました。


ほどなくして、ジュニアはソファベッドでお昼寝。

私はいつものように、「ミヤネ屋」を観てお菓子を食べながら、ノンビリしていました。


すると、軽く揺れました。


数日前に、震度4の地震があったので、それまでにもその余震が何回かありました。

なので、「あぁ、余震かな」と思って、さほど気にせずにいました。


それからしばらくして、また軽く揺れました。

その時も、余震だと思い、「いやだなぁ」くらいにしか思っていませんでした。


そして、14時46分。


いきなり、携帯電話から聞き覚えのない着信音。

サイレンのような、けたたましい音。

なに???と思っていたら、突然大きな揺れ。


え?????と訳がわからずにいたら、テレビでは「緊急地震速報。強い揺れに警戒してください」と。


そういっている間に、ものすごい揺れ。

とっさにジュニアにかぶさり、ひたすら揺れに身を任せていました。


そのうち、揺れはさらに増大。

なんともいえない、家の軋む音。

「ヤバイ、これは本当に家が崩れるかもしれない」

恐怖が襲いました。


そのうちに、カウンターの上にあったものがすべて「飛んで」きました。

ジュニアは、まだ寝ています。

ジュニアの寝ていたソファベッドを私とジュニアの上にかぶせ、体をカバーしました。


揺れは、まったくおさまらない。

家具が壁にガンガンぶつかる音が、一向にやまない。

私は阪神大震災も経験しましたが、その揺れよりもすごかった。

そして、とにかく揺れている時間が長いんです。


しまいにはヒステリックになってしまい、「いい加減にして!!いつまで揺れるん!!!!!」と叫んでいました。

ジュニアも起き、尋常ではない部屋のなかの様子と私の姿に恐怖を感じたのか、泣きだしました。


2階に逃げたほうがいいだろうか。

でも、きっと階段をのぼっているあいだに、この揺れじゃ転げ落ちてしまいそう。

このまま、なんとか揺れをやり過ごそう。


どれくらい経ったのか。

ようやく、揺れがおさまってきました。


私は、ジュニアを抱っこし、裸足のまま、リビングの窓から外へ飛び出しました。

すると、ご近所の方も、みんな裸足で外にいました。


「地震ですよね?」

「うん、地震だ」


みんな、そんな言葉しか出てこないほど、あまりの強い揺れに放心状態でした。


とにかくジュニアを安全な場所にと思い、車の中に乗せました。

まだまだ寒い一関。

エンジンをかけ、エアコンをつけました。


その間も、何度も襲ってくる強い余震。


ジュニアの防寒着を持ってこよう。

しばらくの間の着替え、退屈しのぎのおもちゃ、お菓子もいる。

預金通帳、印鑑は絶対いる。

私とパパのとりあえずの着替えも。


いろいろ思いつき、余震の合間をぬって土足のまま部屋にあがり、荷物を持ち出して行きました。

強い余震がおこると、すぐに部屋から飛び出しました。


パパにも何度も電話したけれど、一切つながらない。

阪神大震災のときもそうだった。

これはしばらくつながらないと判断し、諦めました。


家の裏にあった工事現場の人が、「このへんは震度6弱らしいよ。ラジオで言ってた」と教えてくれました。

その時は、そこまで被害が甚大だと思っていもいなかった。

でも、「高校の体育館、壁が落ちてるよ」と、また工事現場の人に教えてもらい、ふと高校のほうに目をやると、私たちの住むアパートに面した壁が、ごそっと落ちていました。


それだけの揺れだったんだ。

徐々に不安になってきました。


先週の金曜日は、待ちに待った、1才6ヶ月検診でした!


市が開催する検診は、4ヶ月検診以来だったので、久しぶり。

10ヶ月検診は、各自、小児科で予約して行ったからね。


なので、4ヶ月検診のときの、ほわわ~ん…とした雰囲気と同じかなと思っていたら、これが大間違い。


もう、まさに動物園です(笑)


会場に入ると、たくさんの子どもたち。


泣き叫ぶ子、大声で話す子、走り回る子、とにかく騒音がすごい!!


さすがのジュニアも圧倒され、意外におとなしくなっていました(笑)


待ち時間のあいだ、おもちゃで遊ぶ時も、シートのはじっこに座り、おとなしめに遊んでいました。



まず最初に行われたのは、身長・体重測定。

久々だったので、楽しみにしていました。


結果は・・・・・


身長 87.3センチ


体重 13.8キロ


ビッグだ~~~~~~。


予想よりはるかに大きくなっていました。


ジュニアの成長っぷりに感激と同時に、肥満への心配が・・・・。


すぐに質問したところ、「バランスがとれていますので、肥満ではなく、普通体型ですよ♪」とのこと。


ほっ。一安心しました。



次は、保健師さんが問診票をみながら、ジュニアの成長具合について話し合うコーナー。


問診票に書かれていたジュニアができることについての質問事項は、ほとんどが「できる」に○をつけていたので、問題なく話はすすみました。


そして、ココで出てきました、積み木重ねのテスト。

小さめの積み木を5個渡され、「はい、ジュニアくん、これ積んでみて~」と保健師さん。


ところがジュニア、照れて照れて、体をくねらさんばかり。

言われたとおりに積み上げようとはするのですが、なぜか、上に置くとすぐにまたつまみあげて元の場所にもどしてしまいます。

「そのまま積んだらいいんやで~」と保健師さんが優しく言ってくれるのですが、ジュニア、積み上げては戻す、のくりかえし。


結局、最後まで積み上げてくれませんでした・・・・。

でも、家では3個までは積み上げることができます、というと、「じゃぁ大丈夫」とのことで、クリア。


ジュニアよ、保健師さんが美人だったから、照れたな。まったく。(コレ当たってると思う)


その次は、小児科検診。

これは、まったく問題なし。


その後は、歯科検診。

イケメンの歯科医師さんが担当してくれました♪

ジュニアの歯は現在、16本はえていて、あと2本、奥歯が生えれば、乳歯は全て生えたことになるそうです。


そして、心配していた虫歯は、1本もなし!

しかも、歯のきれいさを6段階で評価されたのですが、「一番きれいなランク」で評価していただきました♪


はぁ、安心したぁ。

ジュニア、毎夜、嫌がって嫌がって暴れまくるので、まともに磨けていると思っていなかったので・・・・。


そして、歯磨きを非常に嫌がることを相談すると、


「ひとりで歯ブラシもったらどうする?」と聞かれ、

「喜んで口に突っ込んで、磨いたりして遊んでます」と答えると、

「それなら、歯磨きは嫌いじゃないですよ。

たぶん、お母さんの磨き方に問題があるね~。

力を入れ過ぎなんじゃない?

力を入れたら、子どもは、歯茎にブラシがあたって痛いんです。

ですから、2本ずつ、力をいれずに、軽く磨いてあげてください。こんなんで歯垢とれるの!?ってくらいの力でいいんです。

すごく弱い力でも、歯垢はきちんと落とせて、きれいになりますから。

お風呂で磨くのもいいよ~。

リラックスできるから」とのこと。


ほぉ~、と思い、土曜日から早速、その方法で磨いています。

まずは、お風呂のなかで、ジュニアが自分で歯を磨く。

その後、お風呂上りに、「仕上げはおか~あさ~ん♪ byおかあさんといっしょ」でしています。


すると、今日の歯ブラシでは、ジュニア、ほとんど嫌がらず、大人しく歯磨きさせてくれました!!

感動した。

やっぱり痛かったんだね~。ごめんよ、ジュニア・・・・。



歯科検診の次は、心理相談。

ここでは、主にママの精神面をケアする相談の場のよう。

でも、私は特に悩みがなかったので(能天気か??)、ジュニア、ここでもふたたび積み木重ねをチャレンジさせられました。

でも、やっぱり、積み上げては戻す。

挙句の果てには、積み木を払って机の上から落としました・・・・(^^;)


あと、なじみのある動物やモノの描いてある絵を見せられ、「ブーブーどこ?」などと聞かれましたが、ジュニア、反応なし。

じっと絵を見ているだけでした。

現在のジュニアの語彙数(パパ、ママ、バァバ、バイバイ、いないいないばぁの6語)に問題はないとのこと。

しかし、もっと語彙を増やすためにも、絵本をよんであげたり、そのなかで質問したりしながら、たくさん言葉のやり取り遊びをしてあげてくださいね~、とアドバイスをいただき、検診修了~。


そして、今日、実家にて。

ジュニア、今まで積み木については3段まで積み上げるのが限界でしたが、今日になって、いきなり缶ビールを5缶、つみあげることに成功!!!!!

大人がおしゃべりに夢中になっている間に、黙々と積み上げていたようです(笑)

ふと床を見ると、高々と積み上がった缶ビールが!!

なんで缶ビール、って感じですが、ジュニアらしいかも(笑)


これには、じいじ、ばあば、パパ、オッチマー、全員大興奮でした!!!!!

ジュニアもとっても嬉しそうだったなぁ^^

このあと、もう一度、みんなの前で5缶積み上げることに成功しました。

やったね!ジュニア^^




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イオンで、アンパンマンのカートに初めて乗りはしゃぐジュニア☆

これからも、ジュニアのペースで、のんびり大きくなってね。









ジュニア、ついに、ひとりですべり台にのぼり、ひとりで滑り下りることができるようになりました!!


ほとんど室内の低いすべり台でしか遊んだことがないため(岩手は雪深くて滅多に公園で遊べなかった)、昨日、ジュニアがひとりでどんどん階段をのぼっていく姿を見た時は、ちょっとカンドー。


しまいには、すべり台を反対からのぼり、階段でおりてくることもできるように!


すごいぞ、ジュニア♪

でも、反対からのぼるのは危ないネ。


そして、我が家の前には線路が走っており、新快速や快速電車、普通電車、特急電車など、さまざまな電車が走っていくのが見えるのですが、その電車に向かって、ハッキリ「バイバイ」と言いながら手を振るようになりました!!


なんだか、すごい成長っぷりです。


これでジュニアが言えるようになった言葉は、


パパ

ママ

バァバ

あ~とう

いないいないばぁ!

バイバイ


と6語になりました♪


明日は1才6ヶ月検診。楽しみです☆



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歩いて5分のマックスバリュまで往復を歩き、公園のすべり台で遊んだせいか、お昼を食べたらコロッとお昼寝。


ジュニアが元気でいてくれること。

心も体も、着実に成長していること。


心から感謝です。


岩手から兵庫に帰ってきて1週間。


本当に「穏やか」な日常を送れています。


被災地の方々のことを思うと恵まれ過ぎていて、罪悪感を感じてしまっていました。


ブログに楽しい記事をアップするのも、なんだかいけないことをしているように思えたり・・・。


でも、いつまでも暗い気持ちでいても、何にもならないと思うようにもなりました。


また少しずつ、ジュニアの成長記録を、ここで綴っていこうと思います。



今日のおやつでは、はじめて「1才からのかっぱえびせん」を食べたジュニア。


ものすご~~~~~~~~~~く美味しかったようです(笑)



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いい食べっぷりでした!


最近、スナック菓子を食べる機会が増えてしまって(ばぁばがパパのために買っておいてくれたいたのを、横から食べてしまった)、その美味しさに目覚めてしまったようです。


明日、金曜日は、市の1歳6ヶ月検診があります。


体重増加が怖いなぁ・・・(^^;)

3月14日。

岩手県一関市の避難所の前にて。


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ジュニアだけでなく、避難所では、子どもたちが笑顔いっぱい、遊んでいました。

避難所の中では、よちよち歩きの赤ちゃんが。

避難所の外では、小学生や中学生、高校生たちが、野球やバスケ、サッカーを。

それでも、心の中には、揺れに対する恐怖が隠れていたと思う。


これからは、被災地に住む方々の心のケアが重要になってくるようです。


私にできることは、わずかな募金や支援物資を送ることくらいしかありませんが、たとえほんのわずかでも、力強く歩きだそうとしている東北の方々の力になれたらと思います。