金八先生の、そうあの加藤の名ゼリフ「俺たちはお前に食わせるタンメンじゃねえ!!」だったっけか…。
毎年8月のこの時期になると、大野君のことを思い出す。
高校3年の夏休みのある日、一本の連絡網がまわってきた。
「大野君が昨日事故に遭い、亡くなりました。お通夜は学級委員と先生達が行くので葬儀に参列できる人は集まってください、だそうです。」
連絡してきた榎本さんは、淡々とそう言った。わたしはなぜか“だそうです”の部分だけをメモしていて、それをペンで繰り返しなぞりながら「わかりました。」と答えた。
連絡網は男女混合の出席番号順だから、大野君が生きていたら、わたしに連絡網をまわすのは大野君だったんだ、でも大野君が生きていたらこんな連絡まわって来ないんだと、ぼんやり思った。
大野君は、男子の目立っているグループの中の、目立たないほうの人だった。あまり高校生らしい雰囲気はなく、独特の空気感を持っていて、ワイワイやっている仲間を見つめ静かに笑っているような大人びたタイプだった。女の子と話すのは見たことがない。わたしも話したことはなかった。でも話ができそうな機会は、一度だけあった。
1学期に、何かの行事の後クラス全員で体育館の椅子の片付けをしていた時のことだ。
畳んだパイプ椅子を両手に持ってよたよたと運んでいたら、後ろから「持つよ。」という声がした。わたしが振り返ると同時に、彼は目を合わせることもなくわたしの手から椅子を取り、行ってしまった。
突然すぎたのと、彼の行動が意外すぎたので、「ありがとう」と言う間もなかった。少女マンガだったら、この日以来なんとなく彼のことが気になりだして、好きになって…なんていう展開になりそうなエピソードだが、特にそんなこともなかった。その後2、3日は「ありがとう」と言えなかったのを少し気にかけてはいたものの、そのまま忘れてしまっていた。
葬儀に集まった生徒は、思ったよりも少なかった。他の学校の制服を着た高校生も何人かいた。皆泣いていた。大野君の遺影は学校では見たことがないような高校生らしい顔で笑っていた。
ふと見ると、大野君のお母さんが前から順番にひとりひとりと、挨拶をしている。
そんな中でわたしは、お葬式に参列しているという感覚が持てずにいた。話したこともない大野君。もしかしたら、こんなことにならなくても、そのままひと言も交わさずに卒業を迎えたんじゃないだろうか。
わたしは暑さでぼうっとしながら、彼のために泣けない自分がこの場にいるのは、間違いなんじゃないかと思っていた。そのうちに、大野君のお母さんがわたしのところまでやってきた。
「来てくれてありがとうね、お名前を教えていただける…?」
「…落合です。」
涙を拭い、それでも次々に溢れてくる涙をいっぱいに溜めた目で、大野君のお母さんはわたしを見た。そのすがるような目を見て、わたしは初めて「悲しい」と思った。自分と同じ、まだ17歳の少年が死ぬということ。そんなドラマや映画のような出来事が、時として現実に起こるという事実。
2学期が始まっても、大野君は学校に来れない。
この中に大野君に憧れていた女の子がいるかもしれない。大野君にも、好きな子がいたかもしれない。
好きな食べ物が、音楽が、映画が、スポーツが。やりたいことがあったかもしれない。なにか夢があったかもしれない。
卒業して、大学生になって、就職して、結婚して、子供が産まれて、そんな人生を思い描いていたかもしれない。このお母さんに孫を抱かせてあげたかったのかもしれない。
もう全部できない。何もない。大野君はもういない。死ぬということは、そういうことだ。大事な家族が、両親が、こんなにたくさんの人が涙を流すような、そういうことだ。「ありがとう」とあの時、椅子を持ってくれた大野君を追いかけていって、「ありがとう」と言えばよかったと後悔しても、もう遅い。そういうことだ。
「あのう…」
わたしは泣きながら、大野君のお母さんに話した。
大野君とは、話したこともなかったこと。それでもあの日、彼が代わりに椅子を持ってくれたこと。その時わたしが「ありがとう」と言いそびれてしまったこと。こんなことになるなら、ちゃんとお礼を言いたかったということ。何を言っているのか、本当はよくわかっていなかったかもしれない。でも大野君のお母さんは、「うんうん」と頷きながら、「そうだったの、そうだったの、ありがとうね。」と何度も言ってくれた。そう言ってもらえて、わたしは大野君にも許されているような気がした。
それ以来、ありがとうの気持ち、ごめんなさいの気持ち、伝えたいことはその瞬間に伝えようと考えるようになった。この気持ちはきっと大野君の置き土産だ。だからわたしは毎年大野君と大野君のお母さんを思い出し、手を合わせる。
大野君のお母さんとは、あれ以来会っていない。もうわたしのことを覚えてはいないだろうけど、お元気いてくださればいいと、心から願わずにはいられない。