生みの親より育ての親とか、海の親より函館の親とか、膿の親よりダテ眼鏡の親とか、言いますけどね。 | 株式会社ワークポートスタッフィング営業部紅一点・お年頃「オッチー」がお送りするラブログ「塞翁が馬」は、結構マメに更新する・・・かも

生みの親より育ての親とか、海の親より函館の親とか、膿の親よりダテ眼鏡の親とか、言いますけどね。

20数年前の、ちょうどクリスマスの頃。今まさに子供を出産しようとしている女性がいた。

その人は、人生で二度目の出産だったにも関わらず大変な難産で、陣痛が始まってから生み落とすまでに丸2日を費やした。
その難産っぷりときたら、出産の途中で本人が思わず「先生、もういいです。」と口走ったほどだ。
彼女は当時を「医者のやつ、“もういいですじゃないですよ!”とアセッてたっけ…」と語る。『だってもう疲れちゃってさ~。』と思ったらしいが、さすがにそれは心の中に留めた、と。
そうこうするうちに、いよいよ胎児の心音が弱ってきた。医者が、「胎児が危険なので帝王切開します」と告げると、彼女は「それだけはイヤダ!」と拒んで、仕方なく最後の力を振り絞った。

午前4時9分というかなり縁起の悪い時刻に、赤子はようやく生まれた。まさに瀕死の状態で産声も上げずにぐったりしていたが、その後の懸命な処置によって一命を取り留めたという。赤子は女の子で、「恵まれた子になりますように」との願いを込め、恵(めぐみ)と名づけられた。
このエキセントリックな母親の名は、利恵子(りえこ)。わたしの実母、その人である。

恵は母乳を自力で吸わない根性無しな赤子だったため、ミルクを与えられていたが、「抱っこしていると重いからやだ」という、これまた根性無しな母があみ出した方法がある。それは、名付けて“パンダ式授乳法”。ググってもヤフっても出てこないので注意していただきたい。
まず赤子を寝かせて、首を横にした状態で哺乳瓶の乳首を咥えさせ、ボディ部分は口元~床に斜めに置く。あとは哺乳瓶が動かないように、パンダのヌイグルミで押さえる。中身が少なくなってきたらこんどはパンダを哺乳瓶の下に置き、角度をつけてやると良い。この方法により母親の育児負担が減り、赤ちゃんの自立心まで養われたらいいんじゃない?でもそれは多分ないだろう、という画期的かどうかもよく解らない方法である。

そんなふうにして恵はすくすくと育った。
3歳半でひらがな50音を完全マスターし、絵本「ミーちゃんとはな」を音読。ファミレスでは、教えてもいないのに、ウエイトレスに向かってメニューにあるクリームソーダを指さし、「レギュラー満タン。」とオーダーしたらしい。
感受性が強く、5歳ごろから「楽しかった日」の夜は、眠れずに布団の中でしくしく泣いていたのを覚えている。理由は「今日は楽しかったから、今日が終わるのがさみしい」という、詩人のようなもの。変な子供だったように思う。
自分の子だったらちょっとは心配になりそうなものだが、母は全く気に留めず、わたしが泣いていることに気が付いても「明日も楽しいよ。目つぶってたら寝れるよ」と言うだけだった。それでも母にそう言われると、不思議とすんなり眠りにつくことができた。

学校に上がってから、一度も「勉強しなさい」と言われることはなかった。言われなくとも特別できたという意味ではない。何かにつけて、とにかく放任だったのだ。子供心に 「わたしのこと、どうでもいいのかな」と考えたこともある。
門限などもなかった。中学生の頃、続々と門限が設定される周りの友達を見て、一度だけ母に「なんでうちは、なんにも言わないの?」と聞いたことがある。母は、「あんた、なんか悪いことする?」と逆に聞いてきた。わたしが「しないよ。」と答えると、「知ってるよ。」と母。「だからべつに門限なんてなくてもいいんだよ。」と笑った。

「子は親を選べない」とか「親も子を選べない」などとよく言うが、母が、母親じゃなかったら。母が違う育て方をしていたら、きっと今のわたしは無い。何が良くて何が悪い、という話ではなくて、わたしは今とは違う人間に育っていたんだなあと思う。親も子も本当はどこかで選び合っているのかもしれないのだ。

子供が間違った道に走ったとき、“親の愛情が足りなかった”せいにされたりする。確かにそういう、かわいそうな子供がたくさんいるのも解る。
でも、甘えやがって、と思う場合もある。
親がどれだけ子供を想っているか。考えてみたこともないくせに口答えばっかりしてるやつには、「わたしなんて小っちゃいパンダにミルク飲まされて育ったんだぞ」と言ってやりたい。
それでもちゃんと愛情を感じて育ったわたしと、感じさせた、母。その事実こそが、どこかで選び合って、なるべくしてなった親子の証なのかもしれない。そう思う。