オカリナ職人の独り言

オカリナ職人の独り言

多分、はじめはオカリナを作り始めた頃からの話で、記録としてとっておくような振り返りから。テレビの収録の影響で、普段は『過去を振り返らない男』が振り返って、オカリナを作り始めた頃からの思いを書いていきます。
ひじおとオフィシャル http://claytone.jp/

2020.11.7 18:00 テレビ朝日『人生の楽園』が放送されました。

 

タイトルは 『栃木・小山市~土の音響くオカリナ工房~』

 

1000回を超える番組の中で、オカリナにスポットがあたったのは初めてということで大変ありがたいことです。

番組にとりあげていただく発端は、9月の中旬にリサーチ会社からの1本の電話でした。

そもそもの情報は、クラウドファンディングからみつけてくれたようでした。

その後何度か、連絡があり、通常であれば直接お会いする情報交換についても、新型コロナの感染防止のため、90分の電話取材でした。

テレビ局で取り上げがきまり、すぐに担当ディレクターが挨拶と情報収集のために工房へ。

9/27(日)がファーストコンタクト

撮影は、10/2(金) 5(月)~8(木)計5日間をかけて行われました。

ロケ班は5日からは小山市内に泊まり込みです。

 

10/2(金) ゆめまち ニコニコタンポポオカリナ倶楽部練習 風景収録

10/5(月) 工房にて製作 将軍さま含めインタビュー オカリナ物撮り

10/6(火) 自宅 朝食風景 窯入 益子にて佐久間藤太郎窯 陶器ギャラリー陶庫

10/7(水) 渡良瀬遊水地 自然音の収録 工房にて調律作業・のぶちん収録 YouTube収録風景

10/8(木) 窯出 高谷オカリナの里収録 ロケ終了 撮影班のみで、銀座山野楽器収録

ざっくりこんな感じでした。

これで、11/7に放送でしたので、かなりタイトなスケジュール感のように感じました。
当初、尺があまるのではないかと心配しましたが、かなり詰め込んで、てんこ盛り?になっていましたね。
これ使いたかったんじゃないかなってところもあったようです。多分、1時間の番組でもいける?🤣🤣🤣

今時間がないので、このブログは備忘録的に記載します。

多分、後日、肉づけすると思います。

 

インタービューのセッティング DとADが座って映りの確認です。

 

カメラマンさん

 

工房内にて

 

ライティングもさすがにプロ

 

物撮り

 

こんな感じで、カメラは後ろをぼかして撮っていました。

 

漆を風にあてる干場。ここ結構気に入ったらしいです。

 

おうちでごはん

 

500万はするそうです。

 


SONY製なんですね。

オカリナに対するあこがれは、宗次郎さんに対するあこがれでもあります。

 

「シルクロードのテーマ」、そして初めて「大黄河」を聴いた時の身体に戦慄が走るような感動、

今も忘れることはできません。

 

「益子白土」と出会い、自分が演奏できるオカリナができた頃、これも、益子に通っているときの人脈ですが、もえぎの大塚社長の紹介で、宗次郎さんの地元コンサート(常陸大宮市)の本番前にお邪魔することになりました。

2010年の秋のことです。

その時は、自分の作ったオカリナをもっていって、みてもらいましたが、実際に吹いてくれて、たくさんのアドバイスをもらいました。

「人生の楽園」の予告では

 

「更にプロのオカリナ奏者のアドバイスを得て、次第に腕を上げていったのです。」

 

とありますが、これは宗次郎さんです。

焼く温度、作り方、ウインドウェイの角度、等々、回りに居合わせたスタッフの方たちはこのふたりは夢中で何話してるのだろうか?

というような顔で、半ば宇宙人の会話をきいているような雰囲気でした。

 

開演前の貴重な時間を、1時間あまり、10分前の声がかかるまで、ああでもない、こうでもないと情報交換させていただきました。

とにかく、話が通じることがとてもうれしくて、この時のアドバイスがなければ、きっと今の自分はないだろうと思っています。

宗次郎さんが、コンサートに使うオカリナを気軽に手渡してくれたことにもびっくりしました。
ピッコロ管なんか、僕の指でもてないほど小さいこともカルチャーショックで、4C管には音程調整のために薄い、セロファンのような

付箋が貼ってありました。

 

宗次郎さんのアドバイスをベースにそこから、オカリナ作りは飛躍的な進歩を遂げることになります。
百聞は一見にしかずとは、まさに名言ですね。

 

茂木に古くから住んでいる方は宗次郎さんのオカリナを保有している人も多く、宗次郎さんが世に出るまで苦労話もたくさんありました。

廃校で毎日毎日、宗次郎さんがオカリナ作りに打ち込んでいた頃のお話をお聞きしました。

その話を聞かせてくれた、ロータリークラブのメンバーさんから、宗次郎さんのオカリナをしばらくお借りすることができました。

 

そこから型を起こし、レプリカのようなプロトタイプも作りました。
そこから、変化しておりますが、最初に販売できるレベルになったのは、このプロトタイプから発展した、「スタンダード」と名付けたモデルです。

 

今は作る余裕がなく、蘭シリーズ1本で製作していますが、このスタンダードのファンの方もいて、また作れたらいいなと思います。

しばらくコンサートで使用していた自分のスタンダードは、大子町の神長さんにお願いして、漆加工していただきました。

これも記念のオカリナとして、常に工房に展示しています。

番組オンエアー前の情報としてはこのくらいにしておきましょう。

思うことは、人の縁というものは、とても不思議でありがたいなということ。

もしもこのタイミングで。。。。。というようなことが今考えると本当にたくさんありました。

そして、必然的にそうなったんだろうなとも、また、思っています。

 

たくさんの縁に支えられて、今の自分がいるんだなと感じています。

『人生は人との縁で、できている。』

その縁に感謝!!

 


 

 

それからの行動は早かったように思います。

土祭のあった2009年9月

 

まず、ネットで100Vの電気窯を購入。

ゼーゲルコーンを挟んで、それが溶け出すとスイッチが切れる仕組み。

 

途中、2回スイッチを切り替える必要があるもので、窯にスイッチをいれるとしばらくはついていないといけない。

1回目は、まだスイッチ部分が固く、ちゃんと電源が切れずおかしいと思って途中で電源を落としました。

 

窯が冷えたら、1200度くらいまで上がってしまったらしく、まず見た目がかなり小さくなってる。吹いてみたら音が狙いよりも甲高い。
オカリナの音程は基本的には、体積で決まるので、小さくなったら音程は高くなる道理です。

そして、ウインドウエイに吸水性がなくなり、すぐ結露する。。。

 

今でもこの一発目の大失敗は鮮明に覚えています。

 

土との格闘が始まりました。

 

一番初めは、信楽の土を使いました。

益子の土で作ることが目的ですが、色々と情報を集めて、信楽の土が作りやすいという結論に。

ビギナーなので、まずは作り方を覚えなければ。

 

20個くらい作って、ちゃんと音が鳴るようになりました。音程が正確かどうかは別にしてです。

よし、これならいけそうだから、益子の土でやってみよう!!

 

自由になる時間を見つけては、工房で黙々とつくりました。

工房は実家ですが、賃貸にだそうと思って、内装はリニューアルしました。

しかし、ある事情から賃貸を断念して、秘密基地的に自分が使える場所になっていたのです。

 

今考えると、これがラッキーでした。
 

そして、益子の土の初めは、一番益子で使われている、ろくろに相性の良いすいひ土。

これで、1年近くは頑張りましたが、良いものができない。土が粗すぎるのです。

 

藤也さん(佐久間藤太郎窯 佐久間藤也氏 益子焼協同組合理事長) に聞いたら、なんかたくさん、後から色々と混ぜ物が足されていて細かい作業には向かないと言われてしまいました。


並行して、益子の土はとりあえずは全部試そうと思い、小分けしたものを購入しました。



その末にいきついたのが、『益子白土』。

 

この土は現在、組合で販売されていません。特別に作ってもらっています。

ようやく、良いものができるようになりました。

扱いにくいすいひ土で悪戦苦闘した結果、知らず知らずのうちに製作の精度があがっていたのだと気づきました。

作る過程で、買ったオカリナを壊して中を見るというもったいないことも。。。。
ごめんね、研究のためなのよと、詫びをいれつつ。。。。。です。

 

演奏にも力をいれました。仕事以外はどこにいくにも、ポケットにオカリナ。
山の中では、オカリナがとりわけ響くポイントがあって、山歩きが趣味みたいになりました。

 

ようやく、自分用のオカリナ。AC(4C)管を作れるようになりました。

 

今も残していますが、最初に演奏に使用したオカリナがこれです。
落として壊してしまったので補修してあります。

今でもちゃんと鳴ります🎵

 

 

 

3か月ほどたち、自分でオカリナを作ってみようかなと思い、土をいじり始めました。

2009年7月頃のことです。


焼く窯もないのに🤣🤣


生土のオカリナ、当然うまくできません。鈴木先生の「ハンドメイドオカリナ」を買ってそれを参考にしながら、土いじりに没頭しました。

でも、やっぱりうまく鳴りません。生土だから、しばらくやってると口の中がジャリジャリします。

 

そして運命の2009年9月19日早朝。益子の太平神社。オープニングセレモニー。

鈴木昭男さんが吹く塤(つちぶえ)が境内にこだまして、土祭(ひじさい)は幕を開けました。

 

『人生の楽園』の予告では、

「土祭(ひじさい)で奉納された土笛(オカリナ)が、益子町の土で作られたものでは無いことを知ったのが全ての始まりでした。」

となっていますが、正確には、奉納されたのは「演奏」だけでした。

 

音の奉納です。素晴らしい音色でした。感動的な音色でした。

と同時に大きな衝撃と違和感を感じました。

「土祭」(ひじさい)は

「窯業と農業の町として、足元の土を<命を循環させるすべての原点>として捉え直し、感謝をし、そこから新しい暮らしのあり方を見出していこう」

 

という趣旨で開催されました。そのオープニングです。

オカリナは作れなくても塤を作る人がいるのだなと期待をしていたのです。
ところが、音の奉納、外部からサウンドクリエーターを呼んで、音だけを奉納したわけです。

 

ちょっと待って。。。。。。最低でも、「益子の土」で特別に作った土笛を奉納演奏して、その笛自体を奉納しないとのっけのセレモニーから祭りの趣旨とは違ってしまうのでは?原点はどこ?


強烈にそう感じたわけです。

それから先の土祭には来賓として呼ばれている行事もありましたが、正直、最初から体裁を整えただけの借り物なのかなという思いが残り、楽しめませんでした。

 

そして、駅隣接の施設で行なわれた反省会?では、その想いを押しとどめておくことができず、意見させていただきましたが、あまり響かないようでした。

『誰も、作れる人がいないから』

それが答えでしたが、誰もチャレンジしないんだと感じてしまいました。

今では、オカリナ作りは陶芸的な知識だけでなく、ちゃんと音楽的な耳をもっていないとできないので、仕方ないと思って理解できますが、それだけ、益子に期待していたのだと思います。


その時、

それなら自分で、益子の土でオカリナを作ってみよう。
自分の作るオカリナの名前は土祭がきっかけなのだから、土音(ひじおと)にしよう。

 

「益子の土で作ったオカリナで演奏したい」

そう決意した瞬間でした。

 


 

2020.10.8 『人生の楽園』の撮影が終了しました。


普段は将軍さまに、『俺は後ろは振り向かない男だぜ!!』とかっこつけていますが、

この番組取材を受けるに際して、否応なく自分の半生を振り返ることとなりました。

 

振り返らないので、玄関開けっ放しだったり、トイレの電気つけっぱなしだったりはよく叱られます💦


日にちがたつと、また、その気がなくなるだろうことは確実なので、忘れないうちに書いておこう。

もともとのきっかけは、2009年4月、長男のヒロが高校三年生になった春休み。

父さんのライブにでてやってもいいよというので、銀座のmiiyacafeで親子ライブをやったのが思い立った時。

ヒロ17才の最終日、翌日が誕生日でした。

 

https://youtu.be/Hpb6ydyaPWQ

 

 

メロディライン違ってるし、尾崎ファンにはぶっとばされそうですが。。。。。みたいなものではあるけど💦ヒロのピアノとギターと歌、合わせるだけじゃなくて、なんか他に楽器を、と思ったのでした。

で思いついたのがオカリナ。プリマのオカリナ、どこかに買ってしまっておいたのが、これが引っ越しの荷物に入ったままででてこない!!
のいつものとおりの展開。。。。。8回も引っ越しやってるとわかんなくなります。

 

やむなし、買おう。

 

当時は、足利銀行の益子支店におりました。

そこで、疑いもなく、益子なら当然のことのようにオカリナを作ってる人はいるはずだからと思い、探しましたが。。。。ない!!

 

隣の笠間にオカリナのメーカーがあるということを聞いて伺ってみましたが、行ったタイミングが悪く、奥さまがお出かけになるところだったせいもあるのでしょうけど、ほんの少しの会話でどうも高い所にお住いの方なんだなと感じ、あげてのはてに

 

「せっかくなので、売ってあげましょうか?」

 

と言われ、心は決まりました。

 

そんなオカリナ、買いませんて。。。。

そこで、ネットで物色、一応メーカー品、ある程度の金額のものならと、購入。(naturalとmidiumの黒陶の値段はそれと同じにしています。)

ところが、ピッチが低すぎて使えない。A=440Hzとかそういうれべるではなく、あとで調べたら、420Hzくらいの代物でした。

これは、縁がないのかなあと感じてしまいました。

ここでいいオカリナに出会っていたらこの物語自体なかったかも。

 

で、もたもたしているうちに、益子町で土祭(ひじさい)が始まりました。

そして、ここが、オカリナづくりの出発点となりました。