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本日のお茶会へようこそ。



今日は、「ふくおかと学ぶ岩手の魅力 2回 花巻まつり② 花巻まつりの歴史」ということで、初回で解説した「花巻まつり」の起源や変遷について紹介していきます!では、早速行ってみましょう!



時は戦国、群雄割拠のこの時代に花巻まつりの起源であるとされる「観音祭」が始まりました。観音祭は、観音寺(現在の延寿寺観音堂、花巻市仲町)の祭礼でした。


現在の延寿寺観音堂の外観

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(出典 : アメブロ花巻市仲町「延寿寺(観音寺)観音堂」 | やまの書き放言い放 神社 ...)



当時の第二代花巻城代 北信愛(きたのぶちか、のちの北松斎(きたしょうさい)、以下松斎公)(1523~1613)は、合戦の際に髻(もとどり)に観音像を忍ばせ、戦場に向かいました。言わば守り神のようなものです。このような経緯で観音様を祀るようになり、それがきっかけで観音祭が行われるようになりました。松斎公が死去した慶長十八年(1613)以降はその追慕の意味も加わり、その命日に行うようになったことから松斎祭りとも呼ばれる様になりました。


ちなみに、松斎公は文禄2年(1593)に現在の岩手県花巻市に町場を開くことで、花巻を開町しました。このような偉大な功績から、現在でも松斎公は花巻市民から親しまれる存在です。


北松斎公の肖像画

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(出典 : くぐる鳥居は鬼ばかり花巻城跡 其之弐 (岩手県花巻市) : くぐる鳥居は鬼ばかり)



その後、観音祭は「鯨まつり」と名を変え、この祭りでは唐竹で大きな鯨をつくり、紙を張って鍋墨を塗り、これを車に乗せて曳き歩きました。これが現在の花巻まつりの風流山車のルーツとなりました。



また時を経て、「鯨」は京都祇園祭の山鉾に似た「屋形山車」へと姿を変えました。町の豪商たちが、祭師たちに豪華絢爛な屋形山車を作らせ、お互いの山車を競い合わせました。そのようなビッグイベントを通して、農民たちの一年間の労働を労ったと言われています。それと同時に、農民たちは稲や作物の豊作を祈りました。


また、おそらく江戸時代後期になると、現在山車の運行と共に演奏される「花巻ばやし」が、演奏され始めたと考えられています。



屋形山車は明治時代になると、その豪華さの絶頂に達しました。この当時の屋形は高さ13メートルもありました。詳しいことは次回解説します。


屋形山車は、大正の末期になって、町に電線が張られるようになってからは、現在のかたちの風流山車に移行していきました。ここまでくれば、現代の花巻まつりとほぼほぼ変わらない印象です。



しかし、昭和になると伝統ある花巻まつりに危機が訪れます。そう第二次世界大戦の勃発によるものです。この戦争によって、花巻まつりは一時中絶しましたが、戦後多くの人々の努力によって復活し、現在に至ります。



このような変遷を追って、花巻まつりは400年以上の歴史を歩んできました。私は、一人の花巻市民として先人たちに敬意を表しつつ、花巻と花巻まつりのさらなる発展に尽力していきたいものです。


今日の話も難しくてごめんなさい笑



以下、参考資料

Wikipedia 花巻まつり https://ja.m.wikipedia.org › wiki花巻まつり - Wikipedia


Wikipedia 北信愛 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%BF%A1%E6%84%9B


https://iwatetabi.jp › detail.spn.phpWeb results花巻開町400年祭記念山車 - 観光スポット|いわての旅:岩手県観光 ...


https://makimaki-hanamaki.com › ...Web results花巻まつり 400年以上続く、山車を追う- | まきまき花巻



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