三谷ドラマ「もしもこの世」だが

視聴率が悪いとかなんとからしい

観てますよ、初回からフラットに



思うに昭和、平成、令和と生活して

自分たちも変わってきた事が多い



それは過去の自らの失態から学んだり

失敗じゃなくて過去の自分が若さゆえ

いまでは恥ずかしいと思える行動で

納得したりしなかったりしながらいまは

現代のルールに馴染んで過ごしている



そんなとき昭和の雑で場末感のある

シチュエーションのドラマに対して

今の私たちはたとえ同時期を生きてた人

でさえも、多少の嫌悪感を持つのでは?



昔はそうだったけどいまはもうイヤだと

よく我慢してたな、社会が成熟してなくて

いま思い出しても腹が立つという人も



粗暴で今より不潔で今の常識越しに見ると

私たちは瞬間的に、嫌悪感を発動させる

そういう清潔で正しい、キレイな空間や

雰囲気に囲まれすぎていま馴染んでしまった



人間、誰しも明るい場所から突如暗闇に

放り出されてしまうと目が慣れるまで

見えないことがある、アレに近い現象で



おそらくその世界観に納得して慣れて

物語を受け入れる耐性を獲得したり

態勢を自然とつくっていくのだと思う



視聴率はどうかわからないが昭和や

平成含めた理不尽ハラスメント社会は

クドカンの不適切のやーつで免疫はある



一番の違いは、配慮がなされたか否か

80年代のこの時代は当然ながら無い

だから人間臭さが際立つし、情熱的で

迷惑をかけない配慮をするマナーという

計算が理解の中に組み込まれてこない



でもあえて言えば本来の人間らしくて

情があり素直で感情的でホンネである

逆にいまはどこか演じてるくさい雰囲気



素を見せず配慮とマナーのホドコシを受け

失礼のないようにほどなくこなすのみで

大きな爆発力はないが平均点は取れる



でもそれがブレイクスルーしない原因で

いまの良さ、昔の良さいろいろあるかな



私たちが第二次世界大戦以前の

いわゆる戦前のシチュエーションや

それ以前の時代の常識をある程度

受け入れやすいのは、あの頃と今とは

肌感覚では繋がっていないからです



戦国時代や江戸時代の世俗的な

日常風景や殺し合いしていたなど

なんとなく受け入れてしまうのは

今と繋がっている実感がないから

教科書の内容的な妙な客観性を持つ



その点から見ると80年代やその後の

日常風景はわりと今と繋がっている

切り離されていないぶんだけ無意識に

整えられた現代と瞬時に比較してしまう



そしてイヤな感覚を直感的に感じる

マナーやルールが整わず粗雑で乱暴で

人間の悪い欲の部分が丸出しに感じられ

配慮がまるでない社会や人間関係など

暗い汚い粗暴な世界観に感情移入できない



あとやっぱり戦後、特に政治に関心を

持たせずにエンタメや生活スタイルの充実

そこへシフトしたのが明らかな80年代

コレは現代のいまの環境と繋がりやすい



その多くの配慮ない社会を少しずつだが

訂正して改良してきたことが実を結び

整いに整え、整えすぎたかもしれないが

それがいまの令和の世の中なんでしょう



落ちた食べ物をそんな汚れてなければ

拾って食べるとか昭和の世代は幼少時

当然のように体験したことだが、今は?



おそらく汚いからバイ菌がいっぱい

ついてしまったからと知識で知ってる

そうなると口にするのはためらうし



やったところで親に叱られたりする

だからもったいないとかより清潔が

優先されて育ってきた人が増えてる



そのうちこういう人たちが社会の

中心的な世代になり、素直に謝る事が

できないようなリスク回避型の人間で

多数派を占めていくような怖さが笑



ワタクス特有の考えすぎかと思うが笑

若干、昭和の名残を受けた世代としては

両方の視点を持つからこそ気になる



ある程度進みすぎて私たちの社会は

逆に整えたがゆえに生きづらさも

増してきているような気がしますね



果たしてどちらが幸せかと考えてみる

それも大事なことかもしれないですね