一度書いた気がする視点か
外国のスポーツ実況と日本の
スポーツ実況との違和感
主に欧米ですが気さくでリラックス
リスペクトしつつも同じ高さの目線
遠慮もしないし、自分の主張も交える
抑揚があってなんとも味がある感じ
これはね、言語の違いや文化の違い
そういうのもあるとは思うんですよ
日本の実況は堅くてつまらない
伝えることのプロ意識が飛躍しすぎ
誠実に正確に、丁寧にデスマス
で済ますんですけどなんか心が無い
むしろ心や感情入れるなみたいな
黒子の存在に徹しろと叩き込まれる
そういうイメージすらある日本
メジャーリーグなんか観てると
やっぱ日本語の実況もわかりやすいが
何言ってるかわかんなくても外国の
実況が心地よく感じることがある
先日も副音声の現地実況に切り替えた
男性と女声が話していたのだが、自然と
笑ったり喜んだり、局のアナウンサー?
日本とはまた立ち位置が違うんでしょう
展開なんかは映像観ていたらわかるし
細かい情報はもうあまり伝えなくても
画面から伝わるもので十分ではないか
たまに名前や単語でなんとなくわかる
内容まで正確にわからないが、でも
急にテレビで流れていた会話が理解
できる瞬間がくるらしいけども笑
昔とは違ってわかることが増えてる
それが画面に出したりできる時代だ
ということは、ラジオから始まった
アナウンス技術の承継がテレビにも
当然あった昭和の時代と常識が変わる
日本は説明口調で、デスマスで丁寧に
外国実況は実況というより司会者的な
会話を楽しみながら素に近い演出
言葉もどうなんだろうか、そんなに
説明をクドイ感じにしてないような
大谷選手に来ていただきました(日本)
ショーヘイが来てくれたよ(現地)
なんとなくこんなニュアンスに近い
言語以外でわかる感覚でこうかなと
これは和訳したような内容で直接に
意味を耳から聴いて感じたのではないが
YouTubeなんかで観れる動画などもそう
大谷。おぉ〜、ハッハッハ、素晴らしい
いい笑顔、みんなが話したがって集まる
やはりスーパースター、ユニコーンなんだ
インクレディブル、他に彼を例えられる
いい言葉なんかあるかい?笑、みたいなね
非常にフランクで普段の会話の延長上で
こちらもリラックスして楽しめる
かしこまる相手にかしこまる口調で話す
かしこまる態度で聴いている視聴者が
少し失礼な態度をすると苦情殺到となる
なんかスパルタな変な指導者がずっと
付きっきりで監視してるような日本
自分たちで苦しくしてる日本の特徴
デスマスは丁寧で、リスクがなく落ち度なし
でも素を見せてない怖さが若干ある
やっぱり日本人は培ってきた国民性って
どうしても変えられないんでしょうね
少なくともそう感じた人が生きてる間は
名残がまだ影響している世代までは
続いていくんでしょう、あと30年?
YouTube通じてみるよく観る動画では
日本人らしき実況がゴーンヌッって
言ってるけどそうじゃないんすよ笑
日本人らしき人がそのまま真似する
これも代々続く悪い癖ですけどね笑
アナウンススキルだとか超えたところに
自然と馴染み入ってくる言葉がある
培ってきた伝統みたいな考えに縛られ
日本人の実況こそAIみたいに感じる
これからの時代、人間らしい感情に
出会いにくい世の中になるのかも?
既に私たちも感じている感情が希薄な
当たり障りのない文字列の音声に
囲まれて違和感すらなくしているが
気づかぬうちにこういう展開は忍び寄り
気づかぬうちに乗っ取られてしまう
日本人がAIに一番影響受けやすい体質で
自らは物事変えられない弱点を克服できず
AIの言う通りに物事を進めても人間として
違和感を感じにくくなってしまうのか
必要な部分は確実にあるとしても
すべてじゃないよねとわかってる
でも惰性的に流されて受け入れて
気が付かない、いや気づいていても
正しいと言われたら動かせないのが
日本人の弱点で致命的になるのかも
未来の日本人たちはどう解釈していくのか
古い常識を介錯して切り捨てる発想は
外圧がないとできそうもない気がする