人間がハラノソコで抱えてる
誰もが持つ、それが腹いせ爆弾
やはり不満があるとそれを人間は
どうにかしてなくしたいと思う
不満は自覚がなくとも、不安や
羨望、そして嫉妬と入り混じって
知らず知らずのうちに心を支配する
それは避けられないものだが
近い相手にはぶつけられないため
場当たり的にネット空間の無数の
見知らぬ者に矛先が向けられる
それが可能なツールが生まれ広まり
声をコントロールできなくなった
だけである、だけで、昔と変わらない
顔や素性が知られなければと考え
悪い顔を自らつくってる自覚はない
うまくいかない腹いせにしてる覚えは
ないとしても、そう捉えられてしまう
そういうケースもあるだろうなと
そもそも、腹癒せと書くようですが
癒やしを自分の腹、己自身に与える
抱えておけない居心地の悪さや思いを
放出して自分を癒そうとする思惑
これが悪いことだとは思わないし
人間の自然なメカニズムというか
生理現象的な反応ではあるんでしょう
ただ、それが他人への迷惑となると
その行為自体も悪い行いとみなされる
しかしそれは当事者同士で判断すべき
他人がクレームを入れてグレーを黒に
変えてしまうものではないのに
最近はガマンもできなくなってるし
必ず白黒、勝ち負けハッキリつけようと
相手を倒そうとして戦いに持ち込む
それも勝ったほうが気持ちがよくて
腹癒せになっているからですけどね笑
さらに第三者的に観覧席に座っては
ヤジを飛ばし、けしかけて楽しむと
何かで観たのだが、昔はお笑い芸人は
バチバチで相手の成功を喜ばない時代が
当然のようにあって、それが原動力に
なっていたという話
そして時代は変わり相手の成功も
いまや共に喜ぶ和気あいあいの
雰囲気に変わってしまったという
バチバチの緊張感はなかなか時代的に
楽しめなくなったのは残念でもある
でもSNSを介して見えるのは他人と
共に喜ぶことも、あるにはあるが
目立つのは、勝ち負けの意識では?
時代と逆行するようなのは何も
中年以上の世代のせいだけでもない
むしろ若い世代にとっても普段は
和気あいあいを演じているけれど
腹の底では、やはり他人と比較して
悔しいことも嫉妬も入り混じってる
最近でも24時間テレビなどを観て
気に食わないことを自由に野に放ち
面白がるハイエナメディアが拾いあげ
別に聞かなくても良かったことを知る
上田や欽ちゃんがキツイと言うが?笑
若い世代はそう育てた親も含めて
過剰なほど守られたなかで育ちすぎた
わかるが、まぁまぁまぁまぁである
その声を真摯に受け止めすぎるきらいが
日本人らしいリスク管理で染み付いてる
まぁまぁまぁまぁ、という少しごまかす
両手のひらを開き下に向け抑えるように
おさえておさえて、というジェスチャー
コレって意外と大事で大事に至らない事も
なぁなぁ的な雰囲気のつくり方を嫌うが
わりと大事なことなんですよ、まぁまぁまぁ
そう言ってお互いに抑えるように促して
鎮静させる効果をもたらしていたと思う
これは、まぁまぁまぁまぁというのと
なぁなぁは似ているようで似ていない
妥協とも少し違うが、妥協とみなして
それでは駄目だ、厳しく追及すべきと
思い込んでしまって昨今の流れができた
当然厳しくすべきところもあるけれど
何でも見境なくなっていってる感じ
線引できずクレーム腹いせ天国状態
常に腹いせ爆弾を投下準備完了状態
最近は相手を負かす快感に酔いしれる
同時に相手を褒めること同調することで
快感に酔いしれるタイプも同じように多い
一番身近にどこにでも感じられるのは
最近では「芸能人と一般人」の問題もか
一般人カテゴリーのYouTuber界隈や
SNS界隈から成り上がった感のある人が
芸能人をやり込める姿に胸を撫でおろす
これも勝ち負けを意識する延長で
相手を打ちのめそうとするサマを
観ている人間も勝ち馬に乗って
酔いしれようとしているのがわかる
素人(一般人)発のメディアのSNS
芸能人も利用するが、どこか自分たちの
土俵を奪われたような邪魔されたような
羨望だけでなく不満や嫉妬、苛立ちが
入り混じって混乱を招いている気がする
これも芸能人は、昔の流れからいくと
なりたい人は大勢いても、ほんの一握り
選ばれた人が認めてもらってなる世界
あるいは、認めてもらうために頑張り
実績を残して自らのし上がる的な世界
混在しているんでしょうけども、彼ら
いずれも自分が結果選ばれた人間という
プライドは必ず持っていると思います
だから芸事に関しては一般人より自分が
努力も意識もしてきたプライドがあり
ぽっと出の一般人を低くみてしまう
そういう習性がどうしてもできる
実際、芸事に関してはそういう専門性が
認められた者にだけできる権利がある
そういう世界観や常識の中に存在している
芸能人であることを芸能人や芸能界自身が
強く意識してしまうような待遇や環境を
周囲もつくってしまうんでしょうから
そこに一般人とみなされた者たちが
普段の生活では持ち得なかった機材や
メディアを持てる、使えるようになり
様相が一変してきた雰囲気はある
似て非なる同じ環境に近い状態を
簡単に一般人が得ているのだから
私たちも叶えられなかった夢を叶えたい
素直に思うだろうし、こうしたほうが
いいのではと簡単に言える伝わる状況
それに対し応対せずにいられない流れ
すべて応えることへの煩わしさもあるが
芸能人は一般人を無下にできない
自分に負担がかかっても丁寧に親切に
応対するのが、神対応だと、そして
いつしかそれが当たり前の対応だと
これでは芸能人も昔以上に気遣いが必要で
神経を尖らせながら、粗相のないように
振る舞おうとして、逆に必要な個性を
失っている悪循環も生まれているのだろう
生まれてしまったメディアは私たちは
もうどうすることもできないのだから
使い方や雰囲気のつくり方をみんなで
工夫するしかないのではないかと
一般人は自分たちが一生懸命マジメに
やって生きているのに華やかな世界で
キラキラしている人らがちゃんとせず
自分らがちゃんとしてるのに何故お前らは
ちゃんとやらないんだと感じてしまう
昔は聞こえてこなかった角度の文句が
ダイレクトに伝えられるという環境は
いいことばかりではないほうへ動く
それも人間の感情がもたらすもので
避けられないものだと悟ってはいる
だからこそ、いったん熱が上がった
状態の両者を落ち着かせる意味でも
まぁまぁまぁまぁ、とすることの重要性
あるのではないかと感じますね
妥協ではないが、これで主導権を握られ
いなされるのも気に食わないと感じるから
余計、それに反発して昨今のような混乱を
招いているのだろうと思います
しかし、やはり勝ち負けを意識して
すべてに勝ち負けや優劣をつける心理で
生きてきてしまった影響が大きいのか
勉強だけ頑張った人間はそうなっちゃう
常に勝ち負け、勝ち取って上回って
そのイスを獲得してきたプライドがある
どうしても同じ苦労をして勝ち上がり
自分と同じように段階を踏んできた者しか
認めたがらない傾向があるのではないか
いろいろわかるけどコッチもつらけりゃ
アッチもツライ事もあるんだからさと
まぁまぁまぁまぁと言える心の広さや
優しさが失われているのかなと思う
やりようありますよ、互いに共存する
いままでの常識でない方法もね、それも
私たち次第ではないかと思うんです