暑さが一段階ギアが上がる感じで
私たちが観測し始めてから最高の
気温や大雨などの自然災害が多発
もういまの時代では想定通りという
予報からの予防、思い込みにまで
信じて妙に納得してしまっているが
どこか仕方ないと思うだけで人間は
これまでの悪行?笑を見直すこともなく
避けるだけ避けてシェルター的発想で
どうにかやりすごそうとしている
それに対してもっと熱を逃がすまちづくり
水害などによる水を逃がすまちづくり
そっちをやるべきだ〜!なんて考えてた
もちろんそれも重要なのかもしれないが
根本的に人間が抗って勝てるほどの相手か?
どうにかコントロールできるとお思いか
本来の自然の猛威が目を覚ませば
人間など小さいツブテでしかない
地球を間借りしている身を忘れる
昔のまだ解明されていない状況下に
生きていた人間たちは多少、自然や
地球という存在までは認識してないが
畏怖の念と逆らえない気持ちが強い感
でも私たち現代人はどうだろうか?
少しばかり自分たちの都合良く考え
なんとかあまり変更せずに避けようと
していないだろうか?少しずる賢く笑
確実に現代人は知識や情報として知り
うまくやれば避けれる、だから上手に
怖がればいい、そしたら怖くない
みたいな、ナメた態度になってる気が
でも一瞬、思ったのは自分たち人間が
実際に知り得ない推測の域を出ない
単純に知らないだけで、もしかしたら
これも地球の通常営業状態であって
人間程度の活動でどうこうなるほど
弱くなくて、たまたま、いまそういう
時期にあるんじゃないのとも思ったり
つまりはこういう極端な天候によって
地球がうごめくのもそのサイクルの1つ
実は時代の目盛りがそこに到達しただけ
私たちが知りうるメモリーにはないだけ
なんて事を考えると妙に腑に落ちる
ってしときたいだけなのかもしれないが
大きなサイクルの中に私たちもいるのだが
なんだかんだで忘れて自己中になる
平穏な時期からボルテージが上がる
そういう目盛りのところに、人間が
たまたま、いまいるというだけの話
なんて思ったりもしないこともない
という事は、私たち人間は逆らわずに
積み上げた小石をどんなに壊されたり
流されたりしたとしてもですよ?
文句言っても容赦なく崩れ去るのも
甘受しないといけないのだろうなと
仮に多くの人が犠牲になったとしても
哀しみと共に生き残った人間たちで
誰も恨むことなく生きていくしかない
私たち人間の意向だけでどうにかなる
そんなものではないのだからと
どこかで覚悟しとかなきゃならない
一生懸命築いてきた歴史、伝統や慣習も
無慈悲に流され壊されて瓦解する事を
どこかで受け止めなくてはならない
そういう知り得た自然のメカニズムに
逆らうことなく付き合っていくしかない
そんな気はしないでもないですね
ただ、私たちは以前と同じ方法のみで
小石を積み上げるだけなのかには
疑問の余地は残るとは思うんですよ
違うやり方で小石を積み上げる事も
考えつつ、最小限にそれでもすべてを
受け入れない事にはやっていけない
人間だけの世界観で見るとすべて
人間の仕業で悪くなったと考えがちだが
もっと大きな計り知れないサイクル
その中に私たちはいるだけなのでは?
どんなに積み上げても逆らえない相手と
折り合いをつけて行かなければならぬ
そういうことなのかと思ったりもする