なんかアレですな、コンビニの

スイーツの記事ってなんか見てしまう

別にたいしたことはないんですよ?

無きゃないで全然いいんです、きっと



昔にくらべると商品を見せる技術も

そのおいしさも段違いなんだろうから

人をある意味で、ダマすかのよう



人はそんなそそのかされてる自分に

若干気づきながらも、食べると

うまいからやめられないを繰り返す



嗜好品の類いと同じことしてしまう

酒やタバコとやってること大差ないが

他人に迷惑かけていないのだから

大したことじゃないとも思ってる



自分を納得させる材料は多くて

言い訳が利くし、咎める時代でもない

口酸っぱく言う親もいまの時代は少ない

そういう親たちすらハマっている笑



でも普段から行くコンビニという

場所だからこそ、気軽に行けるからこそ

自分が無理しなくてもアクセスできる

現実の場所としても、実現させてしまう



今度行ったらあるかどうか見てみよう

もしあったら一回、買ってみようとか

心理的な壁が異常に薄くすぐ突破可能



なんとなく地味にほとんどの人の状況

生活空間や環境にマッチしやすいし

買うことにためらいもない、コンビニ

文字通り利便性の権化相手ではね



ずっちーなと、ずりーやり方だと

あの手の記事も個人で自由にやらなくなり

人の思惑が入り込みすぎるんだろうな



コメ問題も同じ、人の思惑の最たるもの

シンジローは売り手の切り崩しをそそのかす



スイーツに限らずアイスとか含めて

原材料とかお決まりの表示

これもだからなんだ状態、すでに



気にして買わない、じゃあ食べないと

手を止めることにはならない人が

ほとんどになってるのでは?



でもよく見ると◯◯剤、△△剤など

自然でない人工的につくられたような

これ体に悪いんだろうなぁというのが

当たり前のように入っているものだらけ



より美味しく、より安く安全に長持ち

すべての思惑を叶えようとすると

やりすぎて本人かどうかがわからない

加工画像みたいになっても構わんと



売れなきゃ儲からない、生活できない

なんでもやれることはやるって理屈を

これからも通用させようとして大丈夫か



タップリ入って多幸感を得ようとさせ

沼にハマっていくと数十年後、体壊す的な

数十年先を見て人間は過ごすことはない



だからその日、その週、その月、その年

でも持続可能なテーマとは矛盾する

どこを我慢してどこの利益を崩させて

全体の平均点を上げるかが課題となる



昭和時代とかからそういうのが始まってて

体に悪いものを常に取ってきたような人は

わりと早めに体のバランスが崩れていく



個人の感想ですけども笑、確証はないが

ジャンクな生活をしてた人はわりと早い



昔は法律もなく、平気で売るために

着色料や甘味料など人工的な添加物

昭和時代のひどい状況とは異なるが



ある程度の基準に従った添加物で

商品に魅力を与えエスカレートして

どんどん売れるために開発を続ける



それでも日本は外国と違うらしくて

日本の添加物の危険性を指摘する声もある

たぶんそういう事に無関心でいい年代も

当然あっていいんですよ、そりゃねうまいし

でも全部それだとどうもバランス悪い



それでもうまくするために添加してるから

そりゃ自然のうまさよりうまくできちゃう

技術は進歩してドーピング気味に飛躍的に

美味しさや夢の組み合わせで惹きつける



うまさとうまさを魅力的にかけ合わせて

ぜいたくな至福のひとときをそそのかす



おそらくこれが楽しみで生活してるって

そういう人も現実、いるんだと思います



日本のコンビニの側面には人を怠惰にし

利便性と誘惑に負ける人間を量産していく

なんだか大事なモノゴトを私たちは

無意識に無料引換券的に放り出してしまう



私たちは何を失くし続けているのだろう