テレビの枠でやる仕事の中には

面白くする為の演出効果を狙って

あえて、する事がありますよね



お約束的な事もその流れを知ってて

相手側も乗ってくれ、画面上の意図ある

面白さが演出されると面白くなる



こういう効果を考えて演出したとして

相手側次第になってしまうと演出自体が

今はハラスメントや暴力的行為に映る



やりすぎだろうと言う声は必ず挙がる

むしろ昨今のSNS時代はその反対する

声を際立たせて閲覧数増加を目論む



どうやらこのワルダクミは正当化され

やりすぎな演出を断罪するほうが

正義感の高まりと閲覧数やバズる効果を

生んで正当化されてしまうようになった



江頭は芸人の個性として、呼ばれたら

やるべき事は期待されている演出に

そのちょっと上くらいの過激さで

スレスレの際々の芸当でやり切るのが

お笑い芸人としての矜持だろうなと



江頭をやりすぎだとか、永野芽郁が

怖がって困っている、守ってあげた人

素晴らしいって事を言い始めるのは 

あまりに短絡的でセンスが無さすぎでは?



芸を殺す事に対して理解が得られない

そういう流れを持ってきた人間がいて

先生、〇〇君が△△さんをイジメてる〜

ってすぐ告げ口してしまう優等生タイプ



彼らは、しきりに酷いとか可哀想とか

放ってしまうとダメージ効果が高い攻撃と

自分でわかってやっているように思う



やはりこういう芸には相手側の資質や

力量が問われるのだが、番組の流れ上

当日活躍していた永野芽郁に行くのは



番組開始からの流れを観て感じていたら

江頭が永野芽郁を選んでも何ら不思議はない

脱力タイムズのようなすべて流れを知り

台本が最後まであるるならまだしもね



永野芽郁がアドリブで効果的に返すより

恐怖感が上回り、芸の流れを汲み取れず

台無しにしてしまった感も、無くはない



ある種、江頭も賭けに出たのだろうが

番組的に当日ポイントになっていない

タレント相手に突撃するわけにもいかず



アンミカに行ったのは苦しまぎれでも

返しができる人と信頼と計算があって

いったのだろうから、アンミカならばと

(どうやら最初アンミカのようで、むしろ

ツカミ的に行ったのかなと流し見で失礼)



女優さん相手に行くには当日の番組で

活躍しててさらに返しの期待ができる

お笑いのノリに勘が良くて対応できる

主演タイプでないと難しいだろうなと



相手がノリがわかってアドリブ的に

期待できる人でなければ、あの芸は

成立しづらいんだなと、あらためて



番組の演出する側も誰に行くべきか

その人は返しが期待できるタイプの人か

そしてその人が当日番組の中で活躍して

ポイントになっていたかどうかである



これは相当難しい判断になるだろうし

こういう演出をするならば、相手側も

期待できる人がいてドラマのメインに

なっているような人でないとムリですね



お笑いのノリができ返しが気っ風の良い

そういう態度を取ってもこの人ならばと

許容され周囲もポジティブに笑いに対し

サポートできるような人でないと



大きく言えば、演出が見切り発車的で

勝手に想定以上の事を期待したが

失敗に終わったのだろうけど

出演者のキャラや構成とにらめっこして

やれると踏んでいたのか疑問ですね



吉高由里子あたりならば、なんとか

面白くなっていたかもと想像するが

こればっかりは永野芽郁を責めても

仕方ないことなのかな、難しいね笑