ドラマ御上先生、観てますか?

いまのクールでは、クジャクと

御上、年通しでの、べらぼう

この3つだけ観てるんですが



べらぼう、アレは以前も書いたが

みんなで動かして乗り気になって

全体が動いていく面白さやワクワク



そういう楽しさ、平坦ではないが

目標に向かって打開して進む姿に

観る側も引っ張られている感じが

心地よい感覚になっていくのかな



戦国モノに疲れ飽きた私たちや

戦国モノ好きしか所望しない人へ

何か違う面白さを見つけてねと



変える楽しさ、面白さに気づいて

主体的に実行してと促している

コレができない国民なんだが笑



戦いは終わってはいないけれど

日常でなくなった現代と共通する

社会課題との向き合いと奮闘

いまの時代に投影できる部分もある



クジャクはミステリー的なもので

原作アリなのであまり情報入れると

面白くなくなってしまいますし



コレはコレであまり深読みしすぎて

マニアックな楽しみを追求したい人

調子づいてる人、的な意味で言うと



研究づいてる人が得意げになって

ひけらかしたり、大げさにしたりと

評論、評価を空気読まずに始める

これが邪魔なんですよね〜ホントに



その一定層の焚き付け感があるが

はっきり言えば大げさリアクション

構ってほしい彼らの承認欲求に

つくる側もバズるという麻薬に

取り憑かれ付き合いすぎてる気が



そこに加担し自分も乗ってしまうと

新鮮さが欠落するので、考察なんぞ

見聞きもしたくないので極力避けてる

ドラマ自体も何度も観ず浅く観てる



あまり何度も口に含んでも

大量に含んでもコーヒーの味って

わかんないでしょ?たとえ違うか笑



御上先生、コレは新鮮ではないが

世代や人によってはハッとさせられる

ワタクスも常に書いてる事と近い



考えて話し合い、おかしなところを

改善しながら抵抗勢力と闘う姿

自分らで動かそうよという姿に

我々が感じるべき事があるのでは?



そして取り巻く世界や社会の現実

誰が何が原因でどうしたら変わるか



それを考え実践していく過程の

イキイキとした姿、いい意味で

皆を焚き付けて促して確かな胎動を

自分たちで実現させるように促す



初めは半信半疑、でも心を動かされ

自分たちの意思で自主的に自発的に

動いていく姿に清々しさをおぼえる



コレ、ホントは大人たちがかつて

やりたかったことでしょ?本心は

みんな知ってる、でも見ないふり



肩肘張らずにスッとできる雰囲気が

この国にあればまた違ったんでしょう



妙な役割意識にジャマするな的排除

みんなが考える事なのに選ばれし者だけ

やる権利があるみたいにしてきたから



関わらないほうが得策的な流れには

逆らおうとしなかったからこその結末

それがいまの日本の社会ですよね



コレは若者への学園モノではなく

かつての若者であった大人たちが

薄々感じていてわかってたけど



保身に走るしか許されない風潮で

仕方なく見ないふりしてきた事

逃げてきた事です、周りで浮くから



大人たちの逃げてきた過去を

生々しくあぶり出し、私たちに

喉元突きつけられているような

焚き付けられて戸惑ってるような



結局、大人たちだって気づいてた

でも保身や自分を有利に進めるため

見ないふりしてきた事ばかり



これを書き始めたのはドラマの序盤

そろそろ投下するタイミングかなと



黙っていることが正しい風潮になり

時代をなんとなく過ごしてきた世代

その結果招いた現実を下の世代が知る



下の世代はそのカラクリを知りつつ

逆らうと将来がうまくいかないと悟り

見ないふりをしながら避けて

部屋の片隅に足で寄せて背中を向ける

コレも伝統芸能的に迎合していく流れ



良かれと思っても自分を救うのは自分

誰も他人のために良くすることなど

そんな損する行動をしないようになる

そこへのアンチテーゼみたいなのも



結局、偉い地位に登りつめた人も

所詮、見ないふりをしながら避けてきた

そういう人間の一種で変わらない



どんなに真面目な人間でさえそうで

むしろ真面目な人ほど用意周到に

リスク回避をする賢さ、ずる賢さ満載



だから彼らは生き残れるんですよ

それが知恵だと勘違いしながら

彼らは変えそうで、何も変えない



彼らは自分の保身のためにマイナスに

なることを受け入れるはずがない

それは負けることと同じに捉えるから



だから社会は進まないんですよ

こう書いていくと御上先生の兄か笑

って思うでしょうけど、紙一重で



いろんな人が心の奥では思ってること

それを表に出す人が日本では少ないだけ

だから誰も信用し合わずしようともしない



繋がりがあるようで、ない現実社会と

リスク回避で瞬時に切り離す浅い繋がり



こうやって漂いながら、自分が自分でない

役割を演じながら年齢を重ねていつしか

自分が誰かよくわからなくなってしまう



こういう人、実際多いんじゃないですか?

特に中年以上の世代は何かと遠慮して

すべき事からも逃げてきたのではないか



自分が不利になることを先回りして避け

相手を懐柔しながら、有利な方へ導く

こういう怪獣が闊歩する息苦しい世界



日本人を日本人自身で崩すくらいで

ようやく変化の芽が出始めるのだろう



でも大半はドラマをドラマで終わらせ

また損をしない日常へときびすを返す

私たち世代はまだまだ動けないまま

年老いて終わるのだろう、きっとね



常に誰かや何かを、あてがわれて

問題をクイズのように出してもらって

それを夢中になって研究し尽くして

現時点ではコレが答えですねと

なにもやってないに等しいやったフリ



胸を張って声高らかに宣言するだけ

分析して分析だけで終わるメンタルを

植え付けられてきた私たちには

変えられないのかもしれない



分析しているだけでは明日は変わらぬ

新しい世代が中心になるまで私たちは

邪魔者扱いされながら生き続ける



考察やネット記事に一喜一憂しながら

なにも進まず消費し続けて終わるのか

私たちは崖っぷちに立っているのだが



見える景色はバーチャルでキレイに

飾られた現実逃避の世界に酔いしれる

これでは何も見えていないに等しい



何もできずただ流されるまま漂い

負を次に繰り越しながら、あとは

よろしくと去っていくのだろうか



ドラマのメッセージを理解しても

私たちは現実からは逃れ損得勘定

私たちは消費と浪費を繰り返すだけで



まだ何も成し遂げてもいない

いや、何も成し遂げる責任すら

感じていないのかもしれない