なんだかんだ自分も含めて

こうすべきだと素直に書くこと

正直な思いをつづることも

決して悪いことではないが



常に正誤を問われる苦しさもあり

自由な発言に対しての責任の重さ

必要以上に感じさせてしまうのは

ある意味、不健全でもあるのではと



私たちはもう一歩進んで、人間らしい

自由を担保できる締め付けない道を

つくる課題があるのではないか



どうも関わる人数が多くなると

混乱が生じて、全体がうまく進まず

停滞や渋滞を余儀なくさせられる

いま私たち、ココなんでしょうね



邪魔しないで、という側面と

みんなにも権利がある、当然だ

という側面に優劣をつけるのか

または、あえてつけないのか



他人や自分以外を得意げに

分析して互いに評価しあう

自分のことはさておいてね



これで満足しようとしている現状も

問題ではあるんでしょうけど

要は受け手の処理の仕方の問題



何でもかんでも聴いてもらえると

遠慮なく関わろうとしてくる

おそらく面と向かってはできない事も



それに対して発信者のほうも

無視できてもいい事が、どうしても

無視する事を悪いと感じて自責の念を

持ってしまうからでしょうね

それは応えないほうに責任あるよと



相手の要求に応えてしまうと

どんどん自分だけが苦しくなる

それでも応えていかないと世間に

評価してもらえないという呪縛



あとは、文句を付けたい衝動を

抑えられないのは、その個人が

抱える問題の憂さ晴らしにしてて



おそらくそんな事してても

何も改善などしないとわかってて

それでもどこかにぶつけて吐き出し

自分の中に溜めないようにしないと

箱詰めされた自分が苦しいからでしょう



ホントの解決法は、そういう人が

自分の問題を解決するための選択肢が

社会に無くて、どうしようもできず

他人に当たってしまう状況の改善でね



そこをみんなで考えてやろうよと

誰かが旗を振らないと始まらない

待ってる人は潜在的に多いはずです



いまの抜け道をみんな通っていくと

過剰な手間しか持ってない現実

現代人はもう少し自分たちで

頭を使い工夫しなきゃいけない



それぞれの幸せはそれぞれにしか

わからないことではあるが

各自が叶えようと努力したいのに

その環境が無いとか自己責任とか



そういう社会になっているから

誰かの打開の旗振り待ちなんですよ

そこに手をつけてみんなで考える



気恥ずかしいような感覚もあり

素直になれそうにない状況であっても

コレをやらないと解決しないのだから



自分が夢中になれる事があって

それが少しでも叶える方向に向かう

ステップがあれば、人はやる気が出る

他人になんか構ってるヒマや嫉妬感情が

他の方向に向いて緩和されていく



いまはある程度のポジションをまず

争って獲得しないとその権利すら

得られないみたいな状況なのでね



それでもそのしくみを甘受していく

それしか生きていく道がないとなる

そうすると、面白くもない日々に絶えず

情報が流れてきて知ってしまう他人の成功



その失敗も含めて、自分のたぎる思いを

ぶつけて解消しているだけになって

その自覚もある、けどどうしようもない



この辺りに頭を柔らかく使っていく

柔軟に誰かのせいでなく、別の道を

探っていかないといけない時代だろう



大きな発想の転換と創造性が必要だが

道をつくる人間たちは過去ベースでしか

リスク回避の発想ができないタイプばかり



官僚や政治家にない発想が大事で

そこをうまく活用しつつ大衆の

やる気と自主性を引き出していくしか

道はないのだろうと思うのです



やれないことはないと思うんだが笑

誰かが旗振り始めないとこの国は

前に踏み出すこともできずに

怒りに任せ地団駄踏むだけになる



言論を封じてもそれは過去と同じ

過ちを繰り返すだけだから

現にいまは細かいミスを互いに指摘し

糾弾することに終始して停滞を続ける



利口な現代人には似合わない

私たちが過去より優れているなら

打ち克つべき課題ではないだろうか