ニンゲンシリーズです笑

なんか掴めそうな感覚

書いてみたくなる衝動



アニメと人間の境界線が

あいまいになってる感じ

最近、強く感じませんか?



アニメと日本人は結びつきが

深いのはなんとなくわかる

理想が込められたものが多い



だがそうじゃない人間の世界を

大事にしようとしなくなってる



人間をアニメで表現する機会も

以前よりも増えてきているし



人間がアニメに寄せていく感覚も

最近は無意識に増えているような

アニメのドラマ化がそうですよね



どうしたって先にありきの偶像に

寄せていく事を良しとするでしょ?



アニメはキャラクターをつくる際に

人間らしい失敗を排除しがちになり

完璧をいくらでも理想像として描ける



人間がやってしまうミスや感情的な

アニメからすれば、不具合な部分

それを認めてこなかったのではないか?



これはつくる側の良い作品にしようと

失敗しない理想像を描くために

都合よく書き換えてしまう部分だ



良い作品はキャラがミスや失敗をしない

いくらでも好きに綺麗に表現できるから

ストーリーが理想的すぎてしまうきらいが

それが間違いだとも思わなくなる流れ



この流れに追従するようにドラマでも

完璧な所作やスキルを忠実に実現しようと

目論んでその道を進んでしまう



それに慣れていく大衆は、気づかぬうちに

アニメや人間が表現するリアルの境界線を

あいまいにして、アニメ方面に寄せていく



ワタクスはこういうツクリモノが生む

ハードル上げていく怖さみたいなもの

感じてしまうんですよね笑



人間を使う(雇う)とお金がかかる

だったらコストかからないほうへ

AIやアニメで表現するような映像、画像も

そういう理屈も込みで流れができてきてる



あぁ、なんかこうやって人間が

やりたいことを勝手にやれない

状況をつくって、そこは人間が

やらない部分だから入らないでと

立入禁止を食らうような感覚



仕事にしても、人間がやりたい

自分でやりたい、手作り感覚で

全部やってみたいと思っても

やれる自由はあっても仕事として

成り立たなくなっていくようなね



機械やAIでやったほうがデキが

良くなり、早く正確にできる方を

使う人の側は選ぶようになっていく



でも長い目でみると私たちは

逆のことをしようとしていかないと

やりたいことも自分でできなくなる

これは本当に幸せなことなのか



仕事が限られたパート部分のみに

限られ、全部自分でできる喜びを

奪われてしまう危惧はないだろうか?



人間が生きることに主眼を置かず

単体レベルのみで、過ごすことに

主眼を置くと、ダメな予感しかない



人間がニンゲンとして歩まざるをえず

その競争のなかで選ばれたニンゲンが

技術を活用してこなして自分の利を得る



これだけでは人間ヤバいなと

直感で思わないのかなと、いや

たぶん思ってるはずですよ笑



技術の進歩に合わせて過ごすと 

人間は少なからず、一時的には

やらなくてもよいことが増える



しかしそうなって当たり前に近い感覚に

既になっている私たちは、少しずつ

感覚がマヒしていってるのだろう



自分の手でやる、作業する、過程を

気持ちを込めてやりがいを見つける

それを楽しむという部分が不要となる



単純にラクになったとしても私たちは

それが本当に望むものだったのかを

十年先、二十年先の視点で俯瞰すると



面白い部分を自分でできなくさせて

それに追従してきたが、なんだか逆に

面白味が無くなったなと気づく日が来る



既に現代でもたとえが急で申し訳ないが

カレーはお店で提供されて食べるもの

レトルト買って食べるもの、だとか

コンビニでできたものを買って食べるもの



私たちは材料を揃え過程を楽しむより

美味しいものをお金を払って食べるほうが

コスパが良いと思ってしまっている



自分でつくる面白さや過程を楽しむ

その時間をコストと天秤にかけて

安いほうを選んでしまっている



何もカレーに限らずだが、自分で

イチからつくりたい、やりたいと

思う部分を省略させても構わないと

常識化してしまっている現実の怖さ



そのアニメ的なニンゲンを理想像にして

ハードル上げ続けて完璧を求め続け

それを表現したものを賞賛して愛でる



行き着く先にいる人間はニンゲン

ツクリモノのような隙のないニンゲン

人間が表現したい理想的な人間を

ニンゲンとして表現してしまう



その結果が招く怖さに、私たちは

まだ気づけていないのではないか



どうやったら人間が理想を追求しすぎず

ダメな部分を認めて互いを許したり

あえて手間に応えて需要と供給を

つくり出すかという視点もこれから

重要になってくるのだろうなと思う



ニンゲンの行き着く先に、私たち

無防備な人間は立っていられるのか

取り組むべき課題のひとつではないか