夏のドラマが佳境を迎えている

終わったなかでは笑うマトリョーシカ

新宿野戦病院を観てましたが

あとは残りはブラックペアン2かな



笑うマトリョーシカは良かったなぁ

続編とか要らん笑、謎めいて終わるのが

一番いいんですよ、ホントに余韻でね

VIVANTも次やったらダメなんです笑



先日終わったのが新宿野戦病院だが

こちらは、うーん、まぁわかるけど

少し拍子抜けしてしまった感じかな笑



なんかこう、期待して観てしまってると

どうしてもハードル上がるでしょ?



最終回って特にそうですが

期待や妄想で盛り上がっているうちが

一番面白い、そのピークだからね



ハードルが上がりきっての最終回に

わからないドキドキが一番のスパイスでも

観てしまうと、嗚呼ってな感じが漂う



最後に現実を観させられると、おぉ、おぅ笑

最後驚きで裏切ってほしい気持ちもある

でも人間が考える選択肢には限界があるし

突拍子もないことをすると逆に無理がある



想像してた通りの展開で観終わって満足

っていう気持ちをなんか上回ってほしいと

それでも願うから、落胆も大きくなる



贅沢なんですけど、そういう、もっとこいよ的

欲求が叶えられないと多少、ガッカリします笑



新宿野戦病院は最後は、大きな裏切りもなく

だろうな的な流れもあり、サザンのアレは

あえて歌ベースに演者をハメ込むよりは逆かな



ドラマベースにちょこっとサザン入れると

逆にいい味出たのかなと感じます



あまりに正面すぎて、でも「不適切」と

同じパターンだとまた逆につまらないから

あえてハズしたのか、お願いしても良いのでは?

桑田なら喜んで受け入れたでしょうけど笑



小池のおっぱいイジリをするなら

ドラマの中で桑田佳祐にシーン演じさせて

小池に岡山弁で叱られるかハグされる

その流れのほうが面白かったのでは?



ただ、世相を反映した言葉や映像

たくさん散りばめられていたと思う

私たちがどう感じ取るかが重要だが



日常を変えることやリスクを取ること

そうしたほうがいいことでさえ最終的に

躊躇してしまうし、惰性でこれまでの

安定を選んでゆくことしかしない



自分たちや社会全体の悪い部分を描き出し

それを伝えられ、眼前に差し出されたとしても

私たちは自分の意思では変えられないもの



それも人間らしいといえば、人間らしい

なるべくしてなっていき、崩れ去って初めて

ソレを始めることになるんだろうなと思う



新宿野戦病院は、初回から小池の英語イジリ

していた人はいま、恥ずかしいでしょう笑

そこは別にどうでもいいのに反射的に言っちゃう

でもああいう反応は人間ですからつい出ちゃう



反射的に反応した言葉が独り歩きする感覚

昨今はいろんな場面で常に存在感が高い現象

メディアがエサ与えてるだけですけどね



ヤメロと言われても見たくなる人がいる限り

なくなることはないタイプの感覚的批判



学んで変えることを、新たな話題で忘れ

またふりだしに戻って同じことを繰り返す

反省はしないのだろうと覚悟してます笑



やはり最終回ってなんか妙に期待かけすぎ

終わる寂しさもあるし、特に原作ない場合

アレコレ考察させておく時間を与えてるぶん

拍子抜けもするんだろうなと感じますね



最近はヘタに考察すると余計に落差がある

だからあまり考えないで、その場その場で

楽しむ、受け止めるってほうが好きです



ただ、クドカンらしい軽いタッチのベースに

刺さる言葉や表現を入れてくるので

心に言葉が残りやすい効果がありますね



以前も書きましたが、コメディベースに

シリアスを入れるほうが受け入れやすい

スッと入る滑らかさが生まれるから



シリアスベースに、コメディ要素を

入れるのは、よほどじゃない限り

受け手の側には難しいのだろうなと



ドラマを観て、世相や過去の過ちを

思い出しそれでも仕方なかったと

腹に落とし込んで、また繰り返す



やはりいくら強い意思を伝えても

誰かが動かすまでは動けない日本

その欠点を自覚しながら正せずに

現状を甘んじて受け入れ続ける姿勢



これからも続いていくんだろうな

肺がんのリスクがあるとわかりながら

吸い続けるタバコみたいに笑



それでも人間は肯定しながらやめない

刺さっても刺さっても、変わらない

誰か救世主が動かし、それにぶら下がり

ようやく全体が重い腰を上げ動き出す



ワタクスが生きているうちにこの社会は

変わるのだろうか?でも考え、感じたことは

残しておきたいものですね、誰かのために

人知れず、同じ空の下で叫んでみます笑