オリンピック関連のニュースを

観たり読んだりしていても最近は



多くのその他大勢、イコール一般人が

アレコレとすべてに顔を突っ込み

意見を言いたがり混乱を大きくする



メディアは観たり読ませたりで

広告収入を狙うからシテヤッタリ

メディアが騒ぎを大きくする

仕掛けをいたずらにけしかけていく



それぞれが調子に乗ってる気がする

無責任に近い感覚でスルーし合う

どんなにやっても何かしら言われる



もう無視する感じでもいいのでは?

でも無視することもできず対象者が

その負担を抱え込んでしまう流れだ



そもそもが誹謗中傷しないでと

いうのが基本的にムリなこと

思うにほとんどは人生経験の豊富な

中高年以降の人で占められると推測



基本的に知識や経験がないと

理論立てたり、感覚的に即座に

反応できないものが多いでしょ?

ある程度の年齢でないとムリですね



彼らがなぜそんなにも主張して

相手にぶつけたがるのだろうかと

そこがポイントな気がします



人によってはストレスや機嫌が悪い

そんなことを誰かにあてがいたくて

気楽に文字にしてしまう怖さを

ツールとしてつくってしまった

これはもう戻せない現実ですから



ここからは自制する以外はない

こちらの都合よく理解してくれる

そんなこと相手に通じるわけがない



それを聞いたら逆にエスカレート

もっと困らせてやると目ギラギラ



自分でもどうしようもない何か

ストレスを抱えていて重たいから

自分以外に逃がしたいと思うのは

自然なことだがそのツールとして

SNSは利用されている



他人に構ってほしくてとは

本人は絶対に言わないが

深層心理ではそうなのだろう



他人に干渉することで得ている満足感

それによってつながっている感覚は

人を少しだけ気持ちよくさせるから



有名人も発信するリスクを知りつつ

すべてに答えることも応えることも

できないことを知りながら発信する

応援(だけ)してください、と



応援しかできない人がどれだけいるか

彼らが面白くないと思う気持ちを誰も

現実を見ようとはせず打開策も生まれない



むかつく感情、気に食わない感情

これは強いし、しつこく自分自身に

まとわりついて剥がすことはできない



そしてSNSというツールは彼らの

追い風となり、一歩の初速が異常

踏み出してしまえば止まることなく

同じ思いの風に乗ってラクに走れる



どんな相手でも文句が浮かべば

文字を連ね、同意し拡散して叩く

顔も名前も知られることがなく

偉い人や有名人にも遠慮のかけらも

必要なくぶつけることができる



書いたことなど、机のウラにつける

ハナクソのごとく放置して終わり



ハッキリ言えば彼らは日常が

まるで面白くないから、そうする

そうすることでスッキリしたい



日常が向かい風なら、この追い風は

さぞ心地よいだろう、やめられぬと



面白いと思えることがすべて

サービスやビジネスという名で

誰かの発するものの受け身だから



満足のいくものを自分でつくったり

見つけたりすることができない



何か夢中になれるやりがいや

生き甲斐が見つからない

もうほとんどやり尽くしたのだろう

しくみが決まりきってしまって

そこに入れないともうやることがない



人生が生活する事ばかりで

束の間の快楽や欲求を満たす

それしか残されていなくなった



美味いものを売って食べさせよう

快適なものを売って買わせよう

絶えず四六時中、おすすめされる



その流れに身を任せるしかなくなり

その恩恵でまぎらわすしかない



年齢的に一度、経験し通過した

物事というのは、残念ながら

飽きがきてしまうものだと思う

初めての場合を除いては



すると新しい何かを見つけないと

自分は楽しめなくなってしまう

現代人はほとんど、やり尽くした



提供されるレベルのものは限界で

あとは自分たちで生み出すしかない



一度経験した盛り上がりは過去と

比較されて、当然その時の高まりは

感じることができない、つまらない



もっとこうしたらいい、こうすべき

相手にボールを次々と投げ入れる

だって、それしかやることがないから



やりたいことが見つからないから

やりたくてもできないしくみが

ガッチリと構築されて崩れないから



あてもなくボールを投げぶつけては

満足のいく返しをしてこいと促す

何も変わらず次世代へ負荷だけ残す



現代人は個人ツールを得たものの

それもすべて構図は誰かの後追い

結局は列をつくり列に並ぶことを

要求される仕組みで変わらない



何より後追いを推奨する教育が

施されていたと改めて感じる

全体を進めるには効率的で軍隊的

従っていれば前に自然と進むから



マニュアルが好きになり拠り所で

二番手以降で立ち回っていれば

プレッシャーも軽く、負荷も低い



いま世の中で充実して活躍する人は

その場があり、止まらぬ社会の中で

勝ち抜いて選ばれてきた人たちだ



その彼らは自分の見つけた道を

一生懸命に走ろうとしている

しかしその路肩には夢敗れて

目的を失った人間たちがたたずむ



表情は思わしくない、何か抱えている

彼らには誰も手を差し伸べない

差し伸べ方もわからず、リスクもある



差し伸べたとて、誰も解決できない

解決するためには自分でやるしかない



しかし自分でやるにも動かせないしくみ

そうなるとレールに乗るほうがラクだ

レールのポジションを争い奪い合う

そこで敗れた者たちもまた佇んでいる



そういう人たちが自分の生きる意味を

見つけられる社会だろうか?否である



目的や面白さ、充実さ、やりがい

すべてをどうにもならず八方塞がりで

たたずむだけの人たちの気持ちは?

察するにあまりあるが、どうにもできない



そういう人を背負って引きずりながら

選ばれた人たちは自分の道を健気に進む

応援してくれと、親でも家族でもないのに



もう応援なんかしたくないんだよと

心の叫びが聴こえる、彼らのあきらめの声

ため息、嘆き、すべてが選ばれた人たちに

ぶら下がるしかないと、つきまとう連鎖



社会課題をもう少し、自分たちで取り組み

工夫して打開できるようなやり方を

考えていかないと、ただのシカバネになる



非正規や氷河期、何も手を打たずに

うまくいっている人たちの日常が

切り取られ、絶えず頬をかすめていく

面白いはずがない、羨むばかりでは



もう追いかけても追いかけても

何も埋まらないんですよ、ホントは

やったことがなくても新しい流れを

つくり出して自分主体でやる



それしか方法は残されていないし

世の中はそうしない限りもう

動かすことはできないのではないか



鑑賞だけではつまらなくなり

干渉するように感想を世に放つ

だが誰も片付けることなく放置



世論に応えると高らかに叫びつつ

自らの強固な鎧を脱ぐこともなく

取り分は取るだけ取って根こそぎいく

政治家や勝ち組たちに期待はできず



ただたたずむばかりの弱者たちは

どうやって人生を完走するのだろうか



今日は少し、重いものをぶん投げて

ネットの片隅に置いておきます笑