面白い感覚だなぁ

日本に住む普通の日本人の

ワタクスのような感覚



いわばごく一般的な

日本人の感覚でいえば



バスケでアメリカの大学で

プレーしていた冨永選手ね

あの結婚しました写真は



いちいち報告いらねーよ感

おぉ、なんかアレだな笑、感

キャラそっちじゃないと思った



などなど、いろんなルッキズム含め

アタマに浮かぶワードがたくさん

言わないだけで、浮かぶんです笑

バカにするとかそういうのじゃなく



彼らは大谷翔平もそうだけど

自然とアメリカナイズされていく

アメリカの風土や文化に馴染んでいく



それはね、結果は差別的になるが

日本人である自分は、見たまんまで

ツッコんでる感覚なんですよね



それも日本の文化で育って

当たり前に無意識にしてること

それまでの価値観で無意識に



ただ、思うのは日本のことを

世界基準に寄せていく自由

もあるけれど



逆に日本の感覚で過ごす自由も

視点を変えればあるのではないか



誹謗中傷的なポイントから言うと

どちらかに寄せろという誘導があり

それが逆に自分たちで苦しくしてる



外国人はそこまで合わせてこない

そういうイメージないだろうか?

自分たちの主観は自分たちで決める



だからそう思えばそうするし

そう思わないときはそうしないよと

当たり前に振る舞うナチュラルさ



変えないトコは変えないよってね

それが大きく言うと価値観でしょ?



誰かや何かに従い軸もないまま

考えを変えるようなフラフラ感

こうしなきゃいけないという呪縛



違う立ち位置も可愛がる気持ち

日本で培った価値観も守るのが

逆にいま大事になるかもしれない



これをスンっと口や文字に

出せてしまうのがSNSであり



結局はみんな口に出して書いて

自分から放出しないと気持ち悪い

そういう感覚もあるのかな

ワタクスのコレも同じでしょう笑



NBAあきらめたのかとか

結婚よりバスケ頑張れとかね

心のどこかでシュッとよぎる

感情を言葉にしてしまう

そこなんでしょう、普通は



だからものすごく素直といえば

素直な感情であって、放出することで

ストレス解消になっているのかな



だとすれば、そんなこと言わないで

というのもどこかで誰かの血管が

詰まっているのかもしれない



言葉の欠陥ではあるけれど

人間はアタマによぎるものを

内圧で閉じ込めるとしんどいよね



感じたまま、身につけた価値観を

自分たちが過ごしやすいならば

なんでもかんでも世界基準に寄せる

ってのもまた違うかなと感じる



自分たちの文化に軸があるようで

ないグラグラな日本人像があり



外国の人はその国の自分の

価値観を通すのも自然なことだし



そう言うなら日本人はこう考える

って堂々と振る舞えない芯の無さ



外国人も実は、日本人がそう

考えてるならそれはそれで仕方ない

文化に踏み込むまで訂正しない

ってスタンスだろうと思う



日本人「こうしなきゃいけないよね?」

外国人「いや別にどっちでもいいよ」

日本人「いいんですか?そっちに

変えなくても責められませんか?」

ってなことです、きっと



でも日本人は自分たちが悪いと

思い込んでしまって納得しようが

納得しまいがとにかく自分たちが

全部悪いから直そうと考えてしまう



ちょっとわかりにくいかな笑

要は、我々はこう育って考えた

文化のもとで生きてる何も別に



自分たちから過剰に否定して

変えなくても良いのだという事



自信や信念がないように見えるし

相手の外国人もそう受けとるのでは?



ある面では突っぱねて主張して

価値観を通すような場面も

あってもいいはずなんですよね



それをなんでもかんでも世界基準に

あわせすぎる意識に偏ると

逆に日本人は信念がないのか?

って逆手に取られる場面も

これからあるのではないかな



外国を参考にして変えて良いこと

外国を参考にして変えなくても

良いことだってあるはずですよね



そこのバランスが悪いのは

日本人の自分の文化に対する

自信の無さみたいなものがあり



軸がない分、影響を素直に

受けやすくなっている状態で



ヘタすると外国人に逆に

コントロールされていくリスクも

あるのではないかと



アメリカナイズされてもいいが

彼らとて、すべてが私たちにとって

ナイスなこと、ではないのだから



押し通して自信持っていい事も

あるはずだと思いますけどね

ってゆー話もあるよって話です笑