人間は弱くなる自分を

補うのか、受け入れるのかで

生き方も変わってくる。



あとで後悔することもあるが

それでもその恐怖を結果的に

受け入れるかどうかは同じこと。

その時が早いか遅いか、突然か。



普段の生活がすべて、なのかな。

人間はそれだけを追求していれば

しあわせなのだろうか。



私みたいなものが何もできるはず

あるわけがないと、一人が思えば

みんなが思う。逆もまたありうるのに。



普段の生活を継続していると

いざ天変地異、自然災害によって

瓦解したときの混乱ぶりは

想像にかたくない。



人間にとって大事なことは

まずは生きるために食べる。

食べるためには食糧をつくる。



土台があって材料ができ

材料があって初めて製品となり

その製品を購入することで

現代人はようやく食べられる。



この過程を無慈悲にそして

突然にぶっ壊されるのが

天変地異、自然災害だろう。



当たり前のことではあるけど

食料を求めようにも、食べる素材が

なくなったらどうしようもない。



食糧危機は現実として自然災害が

起こってしまうと土台が崩れる。

立て直すのも簡単なことでは。

それだけでは済まない事態も起こる。



ゼロからイチをつくる作業を

どこかで他者や他国に依存して

私たちはその味つけを工夫しますと。

いまの日本はすぐ倒れてしまう。



古来より食糧難には定期的に

悩まされてきたはずなんだが

快適な生活に慣れてしまうと

食べるものをつくること自体から

だいぶ離れた生活になってきた。



すぐに補うことができるなら

人間は満たすために補うだろう。



だが、補うことができないなら。

人間は奪い合いを始めるだろう。

満たすため、手っ取り早い方法で。



快適な生活に慣れてしまい

いざとなったときに発狂する者も。

小競り合い、いざこざ、すべてが

ストレスをさらに加速させていく。



日本人は世界の国と比較しても

まだまだ我慢強いほうではある。

だが、ねちっこく根に持つような

不快指数の高い国でもあるから。



動きたいときに自分では動かせず

待つという選択肢をも受け入れる。

他の国では考えられない忍耐力だが。

同調圧力効果の賜物なのだろう。



たぶん自然に逆らうことはできない。

自然と近いところで生きていくしか。

生きるという意味で、自然の恵みと

最短距離でできることをもう

これ以上手放してはならない。



前も書いた記憶はありますが

コンクリートや家ばかりをつくって

楽しむ場所、売れるものをつくって



食べるものを買えばいいと思い込み

実際、そういう生活をしているとね。

いつか痛い目を見るのだろうなと。



食糧をつくるための土台づくりが

ゼロだとしたら、そこから穀物や

野菜などを育てるまでにもかなりの

時間と労力を必要とするでしょ?



このゼロイチだけでもいったん

壊されるともうしんどくなるけど

土台をつくらないと、食べるものも

つくれないのだから。



現代人の多くは、ゼロとイチを

当然のように飛ばして、さらに

流通するものを待って極力安く

買い求めようやく自分で調理する。



あるいは、その調理すら誰かに頼り

できたものを金銭と引き換えに得て

ようやく食べることができる。



すべては売るために整え、開発し

生活するために利便性や新商品を

絶えず繰り返すことで続いてきた。



簡単に薄っぺらい弁当を捨てる国。

仕方ない、ルールだからと捨てる国。

疑問も持たず、体裁を気にして生きる。



もっと要らないものを捨てないと。

捨てることに疑問を持たないと。

全部可能になる世界がこれからも

続くと思ってはならないのだが。



そのぬるま湯につかっていると

すぐに手の届くラクな空間で

自分をすぐ満たすことをしてしまう。



いまの延長上で長生きするためとか

こうすれば快適だとか、その方面ばかり。

食糧を生むのは他の人、買えばいい。



地球全体が食糧難になったら買える?

他の国は法外な値段で売りつけるだろう。

いや、もう売ってすらくれないだろう。



自分たちの食糧を簡単に分け与えるか?

お金すら意味のない世界になったら?

食糧はお金に変えられないものになる。



自分たちでつくるしかないよね。

土を耕し、畑をつくり、稲をつくり

エネルギーがなければ手作業でやる。



つらいよ、でも生きるために

食べるためにこんなにも努力と

忍耐と体力を使い果たしながら

つくって食べて、人間は生きている。



簡単に食べ物や飲み物を粗末にしない。

いま意識していないとすぐにできない。



本当に突然に訪れるのだろう。

そしてすべてを、流れに身を

任せすぎたことに心から後悔する。



その時準備すべきは普段と変わらぬ

生活の延長線上の備蓄ではない。



普段とはもう変わったことへの

自分の意識や覚悟ではないか?



町をコンクリートで埋め尽くす前に

田畑を潰して売り飛ばす前に

もう一度、考え直さなければ。



一度捨てた土台は急には

取り戻せない。時間がかかる。



田舎こそ特にそうすべきなのだが

今日もどこかでどうでもいい建物

どうでもいい老人ホームをつくる。



もっとやることあるだろう。

稼ぐだけでは通用しない事態が

起こった時には遅いのだから。