タイトルがエロく感じるのは
気のせいです、イキますよ。
改めて思うけどこんなにも
他人のことに首を突っ込む習性
背景に何があるのか。
究極ここでしょ、たぶん。
いまはマジメが強すぎる。
逆らうと陰湿な目に睨まれ
徹底しすぎるから、より怖い。
マジメで知識の言葉の暴力が
実は、一番怖いなぁと思います。
マジメが中枢に入り込んで増えた。
それ自体はある意味で一定のしくみが
成熟しピークを迎えたことだ。
おそらくはイイコトで埋め尽くして
年月が経過すると固まってできるもの
異物化してるが、取り除けなくなる。
マジメですべて動いてきた社会
ようやく叶ったものの、なんかやっぱ
居心地悪くなってるなぁと感じる。
彼らは特に名前もないが
世の中に確実に存在する。
執念深く徹底する狂気を
目とその指に宿す。
老眼でしょうかねぇ。
ワタクスには見えないが。
それをやると終わりだし。
彼らはすぐに言う。
いや笑えないと。
笑えないのは、素直に笑う
その感情をむりやり抑えられて
育ったのからかなと想像して。
良い悪いだけで悪いことを
ひたすら捨てる選別をした親に
逆らわず遮断して育ってきた。
善、善、善と紡いだマジメ世代
笑えないというマインドを獲得。
思惑や執拗さ、時に陰湿さも見せる
全然、善としてないが、然としてる。
彼らは正しいと思うことだけを進め
正しくないと、ヒステリックに反発。
正しいことで獲得した経験と自信があり
相手より自分の論理が何より優先する。
自分のミスがあってもミスを相手に
言われると怒りで震えながら怒鳴る。
人から言われるのはイヤ。無視する。
相手のミスには目をひらき
自分のミスには目をつむる。
彼らにどこまで付き合うべきか。
ネット上では相手構わず発せるし
年齢も性別も腕力も、向かう度胸も
何も要らないから、誰でも遠慮せず
自分の本能がむき出しになる。
顔が見えないのをいいことに。
おそらく気持ちいいんだと思う。
相手のことを考えず突っ走る衝動的な。
自分の正しい知識が相手を論破していく
その快感に酔いしれているんでしょう。
誹謗中傷をした人が見せる行動は
ちょっと異常で、異様な雰囲気さえある。
まず特定させようと思うこと自体
常識外だったが、できてしまう。
そのツールを得た時代にいる。
私たちは自分で制限するしかない。
究極はそういう事で、あえて制限する。
これからはあえて制御した状態を
意識的に受け入れないと社会が変わらない。
普通の感覚があるなら、思い留まるが
正当化しながらエスカレートしていく。
ほとんどが相手に対して義憤に駆られ
無性に腹を立てて、一気に駆け出す。
正義感生クリームたっぷりのってる
言葉をぶつけることでスッキリ解消。
暇つぶし?やっかみ?ストレス?
彼らは、私たちもそうですけどね、
役割以外のことに興味があるのに
役割以外のことができないんですよ。
役割だけしとけ、あとは放っておけと。
そういう分業社会にしてこなすこと
それが機能しなくなっても動くなと
プロが直すから、プロが担当するから
ジャマするなという流れをつくった。
これに対して、自分も何かできる
でも何もさせてもらえないジレンマ
しようとするとジャマだと言われる。
こういうストレスを多くの人が
抱えていることに、気づかない人が
勝ち組たちの中には多いのだろう。
おそらく、ここのストレスを認めて
役割を分業にしつつ参加して手伝う
逃がす場がネット上しかない状況を
分散させるような社会になれば。
そういう活性化をすると、自然と
文句だけをつける人は少なくなる。
それと同時に逆に必要以上に意見に
合わせて苦しくしないことも大事。
ほとんどの人が待っている状態で
係の人間が、一人で多くのタスクを
抱えてあちこちと走り回るのを
私たちはスマホを片手に同じ空間で
見て評価しているだけの風景。
手伝えることたくさんあるのに。
みんなでやったら早く進むのに。
みんな同じ所に注目してていき
アラが見え声を拾い同調を強めていく。
なんでこんな走り回る人を
平静を装い手伝う気も見せず
放って置けるのだろう。
人は役割を超えて動いたときに
進化するんだろうとうっすら思う。
災害時だけでなく平時でもね。
役割がない分、それでも人は
関わりを無意識に持ちたがる。
各自が意見を自分の中に見つける。
言いたい、書きたい、見せたい。
そういう心情をどこかに出したくて
つい当たりやすい存在、イコール
ターゲットにみえてしまうSNS上で
コンタクトできてしまう存在にぶつける。
普段、リアルで腕っぷしが弱くても
相手にたてつく気持ちは、同等か
むしろ日頃のウップンでそれ以上。
世間で有名になるということは
そういう嫉妬めいた感情の前に
晒されていくということです。
ノーガードで出ると完全にヤラれる。
無性に腹が立ってやる無性加害で。
性加害では無いと書くけど人によっては
ソレ以上にダメージを与えるだろう。
ヘンな話ですけど、自分以外の事に
過剰に反応し息巻いて叫んでいる人も
無性に腹が立って自身も加害した
その現実に気づいているのだろうか。
おそらく、バレないとわかってて
攻撃してる自分を十分理解しつつ
刹那的に解放する喜びにひたる。
だから有名人などはみな
世間の目を必要以上に気にして
ゴマするくらいにヘリクダる。
なんかみんな利用しているようで
利用されている感じもしますね。
話題にはしてほしいけど
あんまり攻撃されたくもない。
厄介な相手と知りながら綱渡り。
だが一度ゲキリンに触れてしまうと
ムダに騒ぎを大きくしていき
マジメに裁く、それこそが
逆に雰囲気を悪くしてしまう。
だから従わざるを得なくなった。
私たちはこうやって守っているのに
なんでアイツらだけ、ズルイと。
道連れ心理で相手を呼び込むのだろう。
松本はね、全然関係ないオジサンで。
尼崎出身で素行悪い面白い60歳男性。
私たちが普段生きている範囲では
ほとんどの人が関わりのない人です。
間接的に知っているという存在で
そもそもが、その他人の存在を
勝手に身近な存在と感じて疑わず
もっとちゃんとしてほしいと
相手に求めるのは、おかしな話で。
テレビに出ているだけで
私たちと同じようにちゃんとして。
知ってるけど関わりないオジサンに。
冷静に見るとおかしな構図でね。
でも言いたくなる、参加したくなる
ただ観ているのも逆にストレスだと。
だけど冷静に考えたら何故に?
大多数がほとんど関わりないのに
こんなにも騒がしく関わりたがる?
なんでですのん?と思いますね。
代わりを育てる気などまったくなく
ダメの烙印で排除、気持ち良いと。
良くなった、スッキリした~。
でも代わりが育つまでガマンできる?
ガマンしないでしょう、彼らは。
気に入らないなら、即叩き落とす。
妙な理屈ですけど大衆と同じに
引きずり降ろす必要もないし。
いまのツールがある以上できるのは
声が届いたとしても、あえて無視。
それを貫く姿勢がスポンサーも
絡めて窮屈に拍車をかける。
分業的国民性みたいなものが
得体の知れない負荷を呼ぶ。
おそらくは、長い間日本は
こうやって少数の権力で大多数を
ガマンさせコントロールしてきた。
しかし都合よく人は我慢きかない。
言いたくなる、それが人間の感情。
自分を圧し殺した役割にはめ込み
ガマンしとけよ、とささやかれて
ガマンを美徳に昇華してきた。
社会がうまく流動的になると
役割が機能しなくなるリスクを
危惧して押さえ込もうとする。
そのハケグチがネット上となった。
変わりたい、関わりたいその感情
うまく自分たちでは処理できず
相手を見つけぶつけるだけでも。
ここを風通しよくすることで
役割が増え参加できて役に立てる。
そうすれば少数が走り回り
大多数が待つだけのガマンは
緩和されていくのではないか?
この不自由で非効率なしくみで動く
日本の雰囲気を変えることって
どうしたらできるんでしょうね。
組織より個人の意識を低く評価し
集団でシステマチックに動く
計算された方程式をこよなく愛す。
けど、積年の課題にも個人からは
意識して向き合わず誰かが方針を
示すまで待ち続ける姿勢を繰り返す。
これもみんなわかってるはずだ。
だがそれでも誰か責任のある者が
リスク背負って動いて成功するまで
誰も参加せず日和見決めてしまう。
それが私たち日本人の現実ですね。
いつまで続けるのだろうか。