ショウヘイ、へ〜〜イッ!!
ダジャーズすか。数字がもう。
ちょっと思いついたのは
大谷がアイデアを出した
っていう契約の仕方。
ドジャースがチームにとっても
戦略的補強につながるような
ルール上、得をするやり方を
提案したっていうアレね。
アレを日本でやるとなんとなく
日本人からは反感食らいそう笑
特に周りがね、関係者だけでなく。
お前が言う立場にないみたいな。
結果出して物言えとか、ペーペーがとか。
うまくやろうとすることへの全体の
門戸開放の制限、選民系の権限思考
いろんな環境における湿度の違いが。
かなりフラットでしょ。アメリカは。
日本は何かとタテのラインを意識する
教育や社会環境にあったし、いまも
中高年以上で当たり前に頭に残ってる。
若い人たちも次第に、選ばれた感を
自分の中で強めていき大半は同じになる。
生意気な!みたいな感覚をもつ日本人
すごいね、面白いな君は!素晴らしいぞ
みたいなアメリカのカラっとした
湿度の低い感じ。差が出ちゃいます笑
まぁまぁ、なんとなく嫉妬めいたものも
客観的にはあるんでしょう。
羨ましいのと同時に、自分の境遇と較べて。
でも大谷なら許すとか。
アイデアそのものにフォーカスせずに
まず人にフォーカスして上下関係の中で
損得を踏まえたうえで判断するみたいな。
日本人は相手次第で同じ事柄でも認める。
誰誰が言うなら、ダメなら、イイならと。
お前が言うな的な感情を見せるでしょ?笑
これは常にどこか至るところで
上下関係が発生してて、上も下も
同じようにその意識をしてしまうから。
その小競り合いが常に存在してるから
くつろぐにくつろげない感じもありで。
すべての能力を素直に自分からは
活かして表に出してはいけないような。
そんな空間でネッチリと湿度を帯びた
雰囲気を甘受して、我慢して生き延びる的な。
言葉にするとこんな感じの気持ちを
自分の境遇から共感することもあるのでは?
大谷はもう、イメージで悪いことを
しないし、しても大谷の意見が正しい
みたいな見方をもうみんなしてしまう。
もしかしたらこれから大谷も
間違ったことするかもしれないし。
その時に周りが列をなしたがって
大谷を批判するなんて、みたいな
雰囲気を確実につくるでしょ。
日本人は特にそう。わかってるけど
逆らうと自分が不利になるから我慢。
みんなが黙るから自分も黙るみたいな。
昭和時代の、学校の授業で挙手しない
あの教室が見えてきませんか?笑
中高年には懐かしいセピア色の景色。
日本はあのマインドがすべてですよ。
悪いけど、核心をつくとアレが大半。
大人になってからアレは間違ってたと
後悔するけど、当時は悪目立ちを避け
良いフリを見せるとからかわれるのを
避けたいみたいな、無かったですか?笑
フラットな判断やバランスを保てなくなる。
みんながそうするなら、自分もそうする。
そう考えることで不利を免れるとして動く。
こういうどっちかに振れて狂信的になる
日本人の怖さみたいなのは外国人は昔から
感じていたんじゃないかな。従順な狂信。
戦前と戦後もその精神は地道に受け継いだ。
変わっていないことなんだと思います。
このマインドがまた戦争になだれ込んで
同じ繰り返しをしなければいいですが。
あの官房長官の松野?アレもそうでしょ。
キックバックの代表みたいに生贄にされ。
みんなが受け取ってるから仕方なく。
残念ながらそういうふうに見えます。
後ろで操ってる奴を出せ、マスゴミも。
絶妙な表情してますよね、逆に自分が
イジメられてるみたいな顔されると
こっちも困りますよ笑
あぁいう表情する人がリーダーや
その側近にいるのを見せられると
こっちもなんか情けない感じになる。
こうやって学校の人気者じゃない人
集団を引っ張る魅力のない人の多くが
教育制度を従順にこなして上にいった。
気がつけば、権限ある者の多くが
この手のタイプの人で埋め尽くされた。
打開できずにいるのも納得ですよね。
うまく仕切れず、求心力もない人が
上に立ち続け、代わる代わる務める。
これが日本のすべて、なのだろうかね。
違う世界にリーダーはいるのにね。
情けないのを選んで、任せて
認めてきた私たちの罪も大きいね。
自分の人生だけ優先してきたツケ。
同調圧力線上の自己責任主義の国。
誰も助けず沈むのを上から眺める国。
あぁ、大谷からズレすぎたな笑
ただ大谷越しに見えた日本人の景色が
あまりに情けない感じがしたので。
少しだけ、鼓舞してみました。
お前が言うなってか?笑