人間が暮らす世の中とは
複雑怪奇なもんですね。
羽生の報道の件もそうで
報道の記事内容を開かないこと
それが一番、大事なことで。
でも人間の心には
必ず悪い心がある。
覗き見してみたい欲求がある。
人間の欲求やストレスは
枯渇することはない。
どんどん増えてエスカレート。
そこにつけこみ商売たくらむ。
わかっていても他人の不幸や
スキャンダルには目を通して
見てみたくなる人間の欲求。
こんなことして濁してる暇は
ないだろう。でも引きずり込む。
まぁまぁまぁまぁ、と注がれる。
ワタクスはそこの商売には
参加しなくてもいいかなと思う。
それやる人がいるなら、その狙いを
理解したうえでやらない人もいていい。
彼らの狙いはわかっているのに
うまく誘導して有利に持ち込むのも。
それもわかっていても、欲に負ける。
日本人は大抵なぜか同じゾーンで
同じルールで制限あっても、従って
競い合うのが正しいと思ってるようで。
それが一つのジャンルで
スポーツ的な要素がある競技
みたいなのならわかるが。
社会は競技ではないのだから。
どうしても社会の中に人間を
押し込んで安定を保とうとする。
人生はルールがあるようで、ない。
いかに制限無い自由なほうに
自分を寄せられるかが、カギ。
常識は強烈に私達を
引っ張り続け、引き寄せる。
非凡なものに憧れつつも
すべての人が持ちうるでもない
才能にあこがれ、同時に嫉妬する。
処理しきれない溜飲を下げるのみ。
政治と国民の問題についても同じ。
改善するのは私たち主導でないと
これから先、改善することはない。
なぜならうまくいっている人ほど
現行制度を変える必要がないから。
どこかで自分の立場の優位性を
維持しながらやってみせようとする。
現行では数は限られ、用意されてない。
だから争いは激化し、やむことはない。
世の中を常識と変わらぬサイズで
見るのであれば。結果こうなる。
進まないのは進ませてくれないから。
そうなると、わかると思いますが
世の中の構成、レギュラーと補欠が
わりとハッキリする社会になる。
レギュラーをヨイショしつつ
自分もレギュラー気分を味わう者
レギュラーになれず悔しい思いを
引きずりながら、レギュラーの起こす
あらゆるエラーにヤジし放題で解消。
こちらは誹謗中傷タイプの者。
そういう勢力に二分していく。
レギュラーを支持する補欠と
レギュラーが気に食わない補欠が
終わりのない言い争いを始める。
ホントは自分でもやりたいのに
やれる場ができないことを悟り
相手を引きずり降ろすことばかりに
心血を注ぐようになっていく。
真ん中にスターがいて、それを
守ろうと、あやかろうとする者たちと
スターが気に食わない者たちが
代理戦争を行うことさえある。
人が死ぬことだってあるだろう。
それでも構わず、情報錯綜も構わず
カオスは、よりカオスを極めながら
それも、なぎ倒して争いは加速する。
レギュラーを決めると
レギュラー本人はやっぱり
明け渡したくないわけですよ。
レギュラーの座から落ちたくない。
これはスポーツでもなんでも
レギュラーだった人は共感できる。
レギュラーじゃない人は
別のことで可能性や自分を
見出していく人もいれば
何もできずただ流れに身を
任せる人も多くなってしまう。
それが制度を維持しつつ
うまくやろうと小出しにして
自分の立場を維持しながら
進めてきた日本の現在の姿。
変えたいと思って動きたくても
なぜか制度が邪魔になったり
ルールが邪魔になって進まず。
防御ができてるんですよ、既に。
そのルールのなかで挑戦してねと。
ダメならそれはルールなので仕方ない。
残念でしたね、他で頑張れと諭す。
すると、やる気を出した人も
やる気なくす。消極的マインドに。
ここの取り巻く周囲の、環境崩しこそ
実は解決への大事なキーポイントで。
変えなくても済む人がいること。
彼らは本心では変えたくないから。
いま、自分がうまくいってるから。
そういう人の気持ちを想像すれば
容易にわかることでしょ?笑
政治家の魂胆も、リスク負わずに
難しいですねと嘆くだけ。
そらぁ盤石を敷いて継続するよう
流れをつくっていく。当然そうなる。
上級国民たるレギュラーが
いくらヘタこいても影響はない。
でも水位はここまで上がってこないと。
制度を変えなければ、万全な立場。
それが許されて結果的なミスを
自分の責任の及ばないところと
まるで無かったことにしてるうちに
国全体のチカラは削がれ後退した。
それでもやっぱりしがみつきたい。
誰も自分からは交替したがらない。
上級の立場を放棄することはない。
カズがジョホールバルで途中交代
あの時の顔は、確実にオレ?オレなの?
引っ込められるとは思ってもいない。
レギュラーはなんで自分から下がる?
なんで交代しなくちゃいけない?と
自分の優位をキープする主張をする。
「勉強してる」外形を見せれば
まだ通用すると思ってるんですよ。
結果、何も出せなかったとしても
勉強してるのに、頑張ってるのにと。
ただ、両者ともに正論がある。
その正論は必ず両者に存在していて
自分の主張の上に成り立っていれば
その正論を自ら下ろすことはない。
正論を有利に導ける立場にいる者
制度やルールを現行でうまく使う者が
使えている者こそが有利に進められる。
だから争いがあっても優位な側の
正論がいつも押し切ってしまう。
たとえ相手のほうが進めるために
どうみても正しい選択だとしてもね。
争いというのは、その正義の攻防。
公平な負担、たしかに正義だろう。
ただ有利な者たちには安定や貯蓄
弱者にないカードを持ち優位に進める。
これをやられると兵糧攻めをされ
籠城しても私たちはいずれ降伏。
幸福など訪れることはない。
誰も戦いたくはないだろう。
みんなが幸福になるためには
公平な幸福を得るためには
優位な者が不公平をあえて
飲み込んで負担しないと
物事は変わることはない。
自分の財布は硬く閉めたまま
余裕のない相手に公平を要求する。
優位な立場にある者たちよ。
自分の立場を今一度考えよう。
そして何をどうすれば動くのか。
大きな石の前で頑張るフリだけで
その盤石の石が動くと思うか?
相手の意思を動かすなら盤石を
あえて自分から取り除かないと
事態は動かぬ。時代も動かぬ。
そろそろ本気で動かさないと
お前らも沈むことになるぞ。