生成AIを使用したCMが

賛否あるらしいと目にした

ネット記事経由で観ましたが。



アメリカのハリウッドでは

俳優の組合がストを起こして

抵抗しているという話も。



単純には言えないけれど

少なくともアメリカのほうは

はたらく人を自分たちで守る

その意識が高いのがわかる。



自分だけでなく、自分と他人も。

そして未来のためにもやるのだと。

権利を錆びつかせないように闘う。



組合とかストとか、日本だと

なんか、ややこしくするなよと

否定的なイメージを持ったりね。

どうしても、厄介者イメージが。



これは知らぬうちに搾取される

人間の権利、そこへの意識の違い。

そこスルーするんだ?という意識の差。



当然逆に、アメリカ人そこを

スルーしちゃうの?ってのも

あるだろう。内容によってはね。



日本人の反応は本当に好意的なのか。

AIに対して、すごーい。区別つかない。

技術への称賛や驚きを感じるだけ?



やっぱりなんか意識が違うのかな。

おおむね、好意的で「安く済むなら」

「問題を起こす可能性がないなら」



タレント起用するよりもいいと

人間がやるより、好意的な視点を持つ。



この視点はすごく危険な面も

あるとセンサーが反応してる国と

そうでない国。



利便性にすべてOKを出して疑わず

判断力が磨かれていないのか

削がれ続けて機能してないのか。



大事な局面においても主張せずに

惰性と平穏、安定を好む傾向。



経営の視点は、経営の視点であり

人間や働く者たちへの視点ではない。

必ず相容れない部分は存在する。



だから、お互いに主張して闘うのだ。

主張しあうことを認めている。

それが当たり前のことなんだと。



経営の視点は、経営者のための行動で

彼らの主張であり、咎める必要もない。



問題は、働く者たち。アメリカで

自分たちの「食い扶持」を奪われる

そのおそれがある行為がまかり通る。

それを看過できないと、抵抗する。



これが日本人の意識のスイッチに

存在しない、もしくは最初から

布きれで隠されているような。



自分たちの主張で対抗しようと

意識も行動もしていないことが

大きな問題で、直ってないなと。



言わないとつけあがる側がいて

働けなくなるよと暗に示したりね。



当然、言われる側もバカじゃない

理解はする、だけどそこから先

自分ではどうしようもないと諦める。

ココですよね、日本の場合、ずっと。



意見はあるんだよ、みんなが。

ただこれを実現するためには

行動を起こしたり、アクションのため

うまくまとめたりしないといけない。



そしてその目的を実現するために

意味を理解して共有しなければ。



そこまでいくのが、日本は遅い。

いやそこまで行かないんじゃないか。

誰かが首尾良くやるのを待つ。



心理的に阻害してしまう要素が

あって、どうしても逆らえない。

関係にヒビが入るのを嫌い

主張すべきところで押し黙る。



以前にも書いた内容とも被るが

外国人は普段、バラバラで自由でも

いざというとき共有してスイッチを

入れると一緒にいる人の分以上の

パワーや勢いをちゃんと生み出す。



スポーツの応援などもそうで。

日本は決め事を守って最初から

応援する意識で観客席にいるが。



外国はスポーツをまず自分主体で

楽しんで、自由に感覚で反応する。



だがいざ、ここぞというときに

歓声だけで互いにスッと合わせて

雰囲気をグッと持ち上げて見せる。



この根底にあるスイッチング。

日本は決めてこなしてレギュラー性。



レギュラーには規則性というのと

他が侵害してはならないような

雰囲気を併せ持ったみたいな

スポーツでのレギュラーも含む。



外国、特に欧米などは、自由で

違いは認め合うし、互いの

権利主張があって当たり前

という前提を共有。


が、いざスイッチが入ると

ガッと瞬時にみんなのパワーを

集める。一気に高めるムード力。



イレギュラーにも対応できてる。

コロナなどへの意識でも同じで。

その瞬発力の発揮に迷いがない。



日本人はそれも薄々感づいてる。

だが途中でもう諦めが勝ってしまい

どうせダメなんだからと抵抗しない。



その意識が強く出て、ムダになるなら

やらないほうがマシだとか

自分には何にも得がないからとか。



意外と集団心理の中での孤独を悟る。

その早い諦めが日本のネックなのか。



主張してこなかったからできない。

それもあるが、主張しても結果

時間と手間がかかるだけで



迅速に進まないことを悟って

諦めたほうが負担が少ない。

そっちを選択してしまうのだろう。



そうなると完全に主従関係で

文句を言うのをためらうようになる。

こういう心理的な負のスパイラル

日本人はずっと抱えている気がする。



その意識や心理、社会構造が

この生成AIへの反応に見える。



できないことはないのもわかってる。

でもみんなが黙り、損得を考える。

結果、何も動かないまま。



普段は集団の中に安堵しながら

心の奥底で孤独を悟るのは

どうせ、どうしようもないから

というネガ深い諦めの境地だろう。



キッカケをどうつくるか。

すべての問題に横たわっている

日本人の大きな課題ではないか。