一定数、反省を促そうとする人

いますよね、おそらくネット上に。

リアルでは、言えないからです。



ただこの一定数って無限に膨らむ。

言っていい数を制限しても結局は

解決や良い方向には向かわない。



抑えることって一時的なこと。

やっぱりどこかに圧力が移り

ヒズミやユガミが生じてしまう。

そこがまた火種になるだけ。



彼らはなぜそんなにも相手を

責め立て、完全な反省を要求

するのか。そこを見ないと。



彼らが日頃、周囲からそう言われ

せき立てられて、せかされてる。

やれよ、完璧にやって一人前だと。



自分が言われてることをネット上で

相手側にしているのだということ。



理不尽と正義の境界線に立たされ

まるで反抗できない日常から。

受けたストレスを他に流したくなる。



自分がされていることを他人に

ぶつけて解消するような人が

一定数いるんでしょう。



言っていいわけでもないんだが。

そうせざるをえないストレスを

与えて、解消は個別の問題と逃げ

逆にすべての逃げ道を塞ごうとする

それが、私たちの社会だということ。



あと、言われてる人もいれば

言っている側の人、上司や上役

こっちも仕事と同じ癖で、つい

スイッチ入ってしまう人もいる。



彼らもまた自らの上司や下への

不満など無意識に解消している。

根本的に、仕事の考え方も間違ってる。

そういう影響も大きいんですよね。



怒った口調の人がついつい

全然関係ない他人に強めの

怒った口調で口走ってしまう。

そんな感覚に近いのかも。



だから世間的に立派な人や

地位や立場のある人であっても

そういう責め立て方をつい

見た相手にしてしまう。



彼らに対し、言われる側も

黙ってて。うるさい!

見なきゃいいでしょ?

ってだけでは、黙ることはない。



学校の全校集会のときのように

先生が何もしゃべらず黙る

すると自然と自分の声の大きさに

気づいて静かになるというアレ。

そっちも実は、何も解決はしない。



この場合は彼らの心の中にカギが。

うるさくしてしまう彼らの心

何が原因でそこまでしてしまうのか



その原因を解決する方に

相手も自分も目を向けること

実際に解決を促す行動に移すこと。

難しいがそっちしかないのでは?



ここでこれを自分で勝手にやれよと

放り投げると、結局は自分自身に

また投げた物が返ってくるだけ。



彼らに仮に自分で取り組む

夢中になることができれば。

非常に抽象的ですけれども笑



彼らの衝動的ストレスの緩和

他人への干渉はゆっくりと緩和

誹謗中傷の火種は小さくなる。

決して消えることはないけども。



だがそれは誰かにやってもらう

待つだけでは一生、始まらない。

自分で解決策を生み出す楽しさを

知って行動して解決に向かっていく。



そういうことに夢中になると

他人を気にする必要がなくなる。



いまの社会やSNSの構図を考えると

誰かがショーマンシップたっぷりに

承認欲求たっぷりに見せつける。

どうよ?いいでしょ?すごいでしょ?



この構図を利用してビジネス展開。

飽きるほど腐るほど、多すぎる。

知らずに乗る、知ってて乗る含めて。



プレイヤー以外はほとんど見てるだけ。

相手が楽しそう、羨ましいなど

複雑な感情が芽生えるが抑えて我慢。



自分の境遇を重ね合わせて

つまらない自分に、ストレス感じる。

ただそのストレスは外に出さないと

苦しい、つらい、気持ち悪くなる。



褒めたりケナしたり審査員になる。

そういう解消の仕方を覚えてしまった。

推し活?いやそれは逃げの面もある。

応援?何が変わるのだろうか。

逆に利用されているだけである。



自分が叶えていく何かに夢中に

なっているなら話は変わってくる。

他人への応援や要求は緩やかになる。

本当に夢中になってたら他人は見ない。



でも日本人の多くは誰かに

何かを用意してもらわないと

何も行動も起こさない身体に

なってしまって、均質化して歯車に。



そこのスイッチを自分では

入れられなくなったことが

最大の原因だろう。

外国人には信じられないだろう。



現実では自分ができない

やりたかったことを求め

誰かをみつけては責め、要求

褒めたりけなしたりする。



現実では何も変えられない

そんな環境で生きるしかない。

そういう類いのストレス。

わかっているんですよ原因は。



自分だって活躍したい場があり

活躍したいんだ、という本心。



でも既存の幅に合わせていると

誰も席を譲るわけもない電車に

放り込まれているだけだから。



現実では黙って歯車を演じる。

目立たぬようにソツなくミスなく。

なんなら応援する席を争い合う。



何者でもない人が自分の中にある

ウズウズした気持ちを抱えきれず

どこかに放電してるような。



極端に言えば、彼らにも

社会のなかで活躍の場を

つくればいいんですよ。



つくることを任せて許す。

一流という聖域のハードルは

一時的に下がってしまうだろう。



だが工夫すれば各自が納得できる

やりがいを狭い日本でもつくれる。

いずれ全体がポジティブに回る。



より狭く感じさせ実際に日本で

人の可能性を狭くしてるのは

横並び思考と場の少なさ

そして開拓力と新規への許容

これらに対し消極的になるから。



そりゃ国全体が成長しませんね笑

本気じゃない、なれない人が

多いんですからね。



要は、同じように本気で活躍する

自分を活かしたい場が現実にはない。

誰かにぶつけるだけの場に集まって

所構わずぶん投げるだけの解消。



じゃあ、見るなよ、言うなよと

責められる側は必ず言う。



でも言わなきゃやってられない

っていう側面が隠れてるから。

自分でもわからない衝動に駆られ

やってしまっている人も多い。



これだけ意見があるならば

みんなが自ら取り組めるように

促す場をみんなで意識してつくる

それが本来的には、ベスト。



ただ、上級国民たちは嫌う。

自分が上にいる立場を維持し

コントロールを効かせたいから

人を制御して手綱握ってる。



抑えるところを抑えれば

いまのところ行動に移さない

私たちは、まだ黙ってるから。



そこが決壊すると怖いですよ笑

逆にそこをうまく活かすと

私たちはもう少し、自由になる。



滞っていたものがうまく回りだす。

凝り固まった筋肉が和らげられ

血の巡りが良くなり身体がラクになる。



そっちを目指してみたらどうか。

まだ誰もうまくできないだろうが

いろんな人が競いながら高めれば

いろんな人が変わる余地は必ずある。



やり方がわからず、黙るだけ。

現状のストレスをどこかに逃がす

それだけでは何も解決しないだけ。



おそらくいまのベースを崩さずに

自由な発言を取り締まる方向へ

向かうのだろうが、何も解決しない。



これまで以上に息苦しくなるだけ。

そして何もかもが気に入らないと

誰かを傷つけることは終わらない。



もっとやり方、あっただろう?

なんでこうなってしまったんだ?

いつか気づくときがくるだろう。



それは薄々気づいていながら

私たちが行動を起こさなかったから。

おそらくその時、自業自得を知る。



そうなる前に、ということですね。

なんかそんな感じがします主観では。