今回のテーマは個人と協調。

日本人は組織からの個人。

まずは組織で忠誠を示して

個人はその上で自己責任でと。



やっぱりね日本人は他人を

気にしすぎているんです。

しすぎるようにさせられた。



しすぎて前に進めないことが

たくさんあるのだろうと思う。



社会の環境自体が変わらないと

意識があっても組織に潰される。



同調圧力という姿のない怪物を

日本はつくりあげた。



協調するという大前提を

自分からやめられないから。



真逆の発想をあえて意識し

やりづらくても重んじないと

環境は変わることはない。



組織のために個人が犠牲になり

ないがしろにされても

致し方ないと決め込んで進む。



戦前と同じで根っこは私たち

日本人はまだ変わっていない。

これ肝に銘じないと繰り返すぞ。



日本しか知らないワタクスの

外国のイメージでは、外国は

もちろん協調もするでしょう。



人として当たり前だと思うので。

協調ラインはもちろんあるはず。



でも個人のラインが第一あって

そこを一番に考えるのは当たり前

っていう理解が個人個人、相互にある。



そのうえで、協調ラインに対して

みんなが合わせにいくなら、いく。

第二志望なんですよ。

みんなに合わせることがね。



なんなら合わせないことも

どこかで認めてるくらいで

ちょうどいいと思ってるかも。



だから第一志望は個人、自分。

第二志望が社会との協調だが

状況に応じては個人の判断を

優先するのも互いにいとわない。



日本は真逆にしてるんですよね。

外国との決定的な違いを生む原因。



何も外国が正しいという前提でなく

うまくいかない日本が他の方法を

考えるのであれば、外国がどうか。



違う考え方や視点に触れないと

間違っているかどうかもわからない。



すべて個人を組織に捧げることが

尊いことだと意識付けされてきた。

協調でなく強調されてきた。



いま、すべての常識を捨てるくらいで

ようやく変わり始め、気づき始める。



それほど強固に強行され凝固された

私たちの閉鎖的なマインドの悲哀。



大多数の人は自分では動かせず

そのマウンドに上がることさえ

容易ではないまま、時だけが過ぎる。



外国の優先順位の考え方を

自然にできると私たちも実は

自分の意思を素直に表明しやすい。



想像してみてください。

おそらくほとんどの問題の

根っこは発想の固定化で

動けなくなってることで

生まれてきているものです。



日本人はどこかで

その順番を間違えて

実行してしまった。



だが、やってみたらどうだ。

いろんな権利を無視しても

悪いとは思ってなかった時代



そのほうが管理しやすい

日本人であれば支配しやすい

ということに気づいてしまった。



軍隊的発想を持ち込みやすく

正当化しやすい社会環境が

常に整えられていった。



そして、管理しやすい状況を

繰り返し、優越感も生まれる。

リーダーが心地よい組織に酔う。



従う者たちもそれに慣れてしまうと

その中でうまく立ち回ろうとする

人流が生まれてくる。



次第に今度はその狭い世界で

攻略する立ち回りの仕方を

工夫して踏襲していくんです。

そのやり方を疑いもしなくなる。



従順に飼い慣らされた者たちも

やり方を受け入れるしかなくなる。

そういう選択肢だけを残していき

自分で選んだように見せかける。



こういう組織がなんとなく生まれ

得体のしれない空気の正体になる。



日本が外国と交わることが少なく

人も交わらず、考えは固定され

閉鎖的な環境で独特の文化形成。



そういう土台が日本には国土的にも

昔からあったんだろうと思う。



いつの時代の人間も

自分がうまくやりたい

と思う気持ちで

立ち回ろうとする。



そのための狡猾さは問わず(永遠ず)

時代を超え、途絶えることはない。



時代が変わっても攻略の仕方や

うまくやろうとする人流は

止まることはなかった。

誰かがうまくやろうと暗躍する。



個人から、協調でなく

協調したうえでの個人であって

失敗したらその責任は自分で。

ずっとそういう土壌があった。



協調するラインを一番に置くと

規律を保ちやすい

組織を動かしやすい。



ただ人の数だけの機能はしない。

何割か落ちても人権よりも

全体の組織力を優先したのだ。



そこを重視する姿勢が根底にあり

うまくやろうとたくらむ側の意図と

マッチしてしまったんだろう。



昔からそうやって人を仕込んで

そうなるように発達段階から

わからないように組み込んできた。

だから日本にいると不思議に思わない。



なんらかの形で外国に出た人が

その個人ラインと協調ライン

その順番が逆になってることに

気づくのではないだろうか。



日本にはおかしなことが

たくさん存在しているのだが

おかしなことで得をしてる人が

組織の上にいるのであれば

直したり、正すはずがない。



やったふりをして自分が

有利な状況を保ち続けるだろう。

結果変わらないのはそのため。



あるいは変えるとしても

自分の立場を確保したうえで

トカゲのしっぽ切りをする。



ということは、声を挙げても

正確には反映されることなく

波風が立たなくなり、凪になる。



うまくいってる人たちが

とりあえずやる素振りだけみせ

コントロールしながら見た目

寄り添ったふりをしてるだけ。



こうしてほしいと願っても

叶うことがないんですよ。

肩透かしされて終わるだけで。



だから私たちは極力、自分で

やるべきなんです。

自分が主体となれば変える権限が

持てるようになるわけだから。



問題はそのキッカケと雰囲気を

つくって誰でも個人の意思で

始めやすくすること、サポートを

充実させることが明らかであること。



みんなそうですけど、自分に

不安があるまま進むよりは

多少不自由でも安定してるほうを

日本人は結果的に選択してしまう。



だからいくら声高に叫んでも

リスクがあっては誰もやらない。

誰もやらないと全体もやらない。



これまでもみんな声をあげて

挑戦してきた歴史があるだろう。



でも結果的に同じパターンで

潰されてしまうだけで。

それを繰り返しているだけだ。



100人の活き活きした躍動より

1人のリーダーを置いて従い

駒となってメシが食えることを選ぶ。

変わるわけがないですよね。



まずなによりも怖がらない

サポート体制を示すことです。

それができるのは民間しかない。



個人が主体的に動く意識が

定着すれば、組織を第一におき

個人がその後ろに申し訳なくいる

古来よりの日本人像がようやく



順位が入れ替わるように

近づいていき、かわして

トップに出ようと走り出す。



私たち現役世代がたとえ

追い越せなくても諦めず

私たちから繋いだタスキを

次の世代が追い越して必ずや

先頭に立ってくれるはずだ。



個人がちゃんとタスキを受け

先頭を走るのが内外から認められ

自認できたとき、ようやく

日本は変わるのだろう。



それまでは私たちは残念ながら

捨て石になる運命なんだろうな笑



何か大きく変わるための中間に

いるのはもう、生まれた時代が

そうだっただけでどうしようもない。



わしゃ(話者)べッパン気取りか笑

最近はその手のドラマが多すぎ。

ワタクス、影響されたのだろうか?笑