ツイッター社がいろいろと騒がしい。

イーロン・マスクのしわざだが。



自分、もともとやる気ないツイッター。

使ってもいないのでその視点から。



どうやら日本人が世界一の依存度だと。

ツイッターのヘビーユーザーが多く

日本がアメリカの3倍の時間も

閲覧や発信をするために使っていると。



これが意味するところが大きい。

日本ってなんでこんなにも個人が

ドンと自信もって独りで構えられずに

同じ船に常時、集まりたがるのだろう。



国民性がこんなところにも

出ているんでしょうね。

集まりに顔を出していないと

ハブられる不安心理みたいな。



学生ノリの延長心理が残り

その後自立したが、一歩上がって

成長、成熟に移行する大人には

なりきれていない部分が見えてくる。



日本人は特に多いのかもしれない。

ある意味での幼さから脱却できない。

作業的にオトナをこなしているけど

うわべ感が強い、社会人オトナ演出。



経済的な自立、社会的な自立とは

また違う、人間がそうなっていくのが

自然だよな〜的な、ふるまいについて

子ども時代を引きずらないで脱却する。



大人に考え方やふるまい方が脱皮する。

そういうことができない人が日本は多い。



場合によっては幼稚な部分と解釈するし

そういう事が集まったり、依存したり

してしまう心理の根底にある気がする。



大人になってもその移行ができず

子ども時代の趣味を続けていても

自己肯定感の維持のために自分にOK出す。



周りをみて、ああ自分だけじゃないや。

好きなものをまだ、やってていいんだ

そう認識して昔から依存する趣味にも

没頭していき、年を取ってもそこは

成長して脱却することがないままになる。



ちょっとややこしい説明ですね笑

まぁでも、想像しながら読んだら

なんとなく伝わるイメージかな?笑



いまの中高年世代から認めだした感。

肯定しすぎて気づかない人のほうが

いまは多くて、当たり前だと思ってる。



あんまりみんなが言うことじゃないので

表現自体も伝えるのが難しいんですけど。



たとえばアニメに没頭した子ども時代

これは誰でもあるはずで否定しない。



それをいい意味で卒業する大人時代に

直面して、そこで大人の趣味嗜好に

移行していく、その中で大人界隈の

自然なふるまいが身につく。



こうしてちゃ、いけないんだなって

昔は大人になったら、子ども時代に

やってたことをしてちゃダメだ的な

雰囲気ってあったんですよ、確実に。



以前も漫画雑誌を卒業した自分の

感覚を書いたことがあるけれど。



辞める環境にない人はずっと

スーツ着ながらマンガ呼んでる。

いまは雑誌がスマホに変わって。

でもやってることは変わらない。



まぁオトナはオトナで移行しても

ダメでクソな部分もたくさんある笑

すべてオトナに移行したら素晴らしい

ってわけではないからね笑



子どもは大人のマネをしていたし

酒やタバコもそのイメージが先行して

大人へのあこがれ、みたいな部分を

子ども時代に感じていた人も多い。



ただいつしか子ども時代のキラキラを

いつまでも維持できるような技術が

実現してきたというか、ビジネスが

そこを利用してきたというかね。



アニメやカードゲームなど趣味を

そのまま維持できるように仕組んで

お金を出させるように仕向けて。

中高年がそこを狙われて久しいでしょ?笑



ゲームの課金もその誘導の仕方がね。

ダマされてもいいと、やるオトナと

もうそれは卒業したとあえて距離を

とって立ち寄らず、立ち寄っていても

自分をブレさせない軸ができてる人と。



そういう幼稚と解釈してきたことを

続けられる環境が整ってしまった時代。



これも大きな違いだと思う。

昔は続けたくても続けられないから

自然に捨てて次にいく感じだった。



それに依存してしまうと、もうそこから

他人が引っ張り出してもまた戻る。

違う意味の引きこもりな側面もある。



オトナが納得して金を出してるんだ。

何が悪い?という肯定感をお互いに

根拠にして認め合って続けてしまう。



たぶんそういう心理は以前から

人間にはあるんだろうけど、ツールが

そこを実現し甘やかせ許してしまった。



人間はそこから堕落もしていくし

良いことと同時に悪いことも

ツールから受け取っているんです。



おそらくツイッターはそういう人中心。

集まりたい心理を利用して

ツールを業者も客も活用している。

商売に引き込んだり足を引っ張ったり。

一番いまの世の中の感情が出ている。



駄々っ子な側面も見て取れる。

匿名とはいえそこは隠しきれない。

いちいち反応したくて、それは

お互いに見ている共有感覚の確認で。



独りじゃない安心?拠り所の確認?

これに時間、場所、年齡関係なく

集まってこれる場所がツイッター。



日本人がツイッターを使う頻度が

高いのは不安心理とも関係アリで。

それを団体化、一体化することで

和らげたり、補い合ったりしてる。



社会の見えない不安を

何か同じことを共有して

没頭することによって

紛らわしているような感じに見える。



日本人の多くはこうやって過ごしてる。

それを日常化しすぎてエスカレート

しすぎても自分からは辞められない。



それがオトナかどうか。オトナの定義に

よるんでしょうけどもね。



外国人は自分の時間が中心にあって

そこまで入り浸って依存しあうなんて

考えられない感覚なのかもしれない。



でも日本人の生活圏で生きていると

外国人もそうなってしまうでしょう。



だから、教育や社会含めて日本人は

独特な世界観を無理なく無意識に選択し

気づいたら同じ場所に集まって

震えている小動物のようになった。



小動物は仲間がいると一気に強気になる。

攻撃を仕掛けては、一斉攻撃に酔いしれる。

まぁあとはもう、言うまでもなくで。

読んだ方が想像するとおりでしょう。



ネットに依存する心理と

人間が次の段階に今のものを

捨てて移行するオトナの作業を

してこなかった日本のオトナたち。



いろんな社会問題がここにも

凝縮してるし、スパイスになってる。



日本人ってね、こういうところを

自分たちで反省して実際に

直そうとできないんです。



方法がわかっていてもやらずに

思考停止してしまいがちで。

困難からの回復、レジリエンスを

見せていくことがすごくヘタ。



だからとりあえずいまは置いといて。

他のことをやろうとしてしまう。



実は逃げでもあるんだけど

教育うけた人生の道の歩き方自体が

障害物があったらよけていけと。



時間のムダだからよけて避けて

他の安全な問題ないところを歩けと。

そういう「こなし重視」の教え方の

結果なんだろうなと実感しますね。



日本人全体の心理が根本から

治ることがない病気ですから。



ツイッターがダメなら他に

集まれる場所を見つけて

同じように集まるんでしょう。



どうしてもそれが欲しいなら

日本人が独自につくればいい。

ただそれでは社会はうまく

成熟しない方向に戻るだけだが。



昔のオトナが仕方なく子どもの

オモチャを捨てて移行したように

ツイッターというオモチャを捨て

類似品でなく、違う方面に意識が

向いていくといいのだが。



日本にいるかぎりは無理な気もする。

大きく見ると日本人全体はそんな感じ。

間違っているかもしれないが、ワタクスは

日本人全体はそういうふうに見えますね。