山下達郎の件について少し。

なんかもうなんでも出されたら

とりあえず食いついてみるのか。



得体の知れない世間というのは

ずいぶんと節操ない様子で。



世間のほんの少しの声も

意図的に燃えそうなものを

拾っては放り投げて楽しむ。



SNSからつまんで集めて

ネット記事とのあわせ技。

見たいだろう?見たくなるだろう?

思うツボ、大衆ホイホイ。



ファンやめた、ガッカリした

という発言を印象的に切り取り

さも衝撃的に報じる側の

常習的な胡散臭さもさることながら。



「そういう流れには乗らないよ」

という山下本人の断固たる決意が

ちょっと見えた気がしますね。



いま世論の喧騒に呼ばれても

入っていくのは得策じゃない。

いくらアンコールされてもね。



流れって、抗って向かっていくと

余計なチカラを使わされながら

あらぬ方向にも飛び火していって

燃えなくていい箇所まで燃やす。



相手は燃えれば燃えるほど面白く

火の粉の責任は微塵も感じないし

ただ相手にぶつけるだけの身勝手。



なんでもかんでも責任ある言動を

すべての局面で間違いのないよう

完璧を求めるようなヤカラには

付き合う必要はないと自分も思う。



この流れは表にいる人たちの首を

ずっと締め付けているのでは?

なんの種類の嫉妬なんだろうかね。



なぜ、そんなにもえげつないほど

他人にパーフェクトを要求するのか。



そしてそれに応えようとするのが

真摯な姿勢だという流れをつくる。

違うよ、全然しなくたっていい。



誰しも完璧ではないはずなのに

相手に対しては完璧を要求する。

99点を取ってもミスした1点を

叩きまくるような流れは異常で地獄。



これに巻き込まれるのはゴメンだと

山下達郎は心の底から

思っているのかもしれない。



ファンです、と言われると

無下にできないのを立場上

利用するかのようにして

昨今は大衆が一番上に来ている。



意見が通ると気持ちが大きくなる。

ここ数十年で大化けしましたね。

良いか悪いかは別として。

余計な負荷を生むのも事実でしょう。



山下のいる世界は日常とは違って

ファンが上に来たら、もう終わり。

同列に来ても、世界観は死ぬと思う。

特に山下達郎のような才能の場合は。



昔のアーティスト、芸能人タイプで

ずっとファンも山下と同列以上には

いなかっただろうし、なろうとしない。



そういう孤高の存在感で、

ある意味でファンと近くない

一定の距離感を保ち存在感のある

アーティストだと思ってる。



おそらくホントに好きな人なら

たとえ発言にガッカリしたとしても

心の中で留めておいてガマンする。



アーティスト本人に傷がつくのを

ファンは避ける心理になると思うので。



心酔している人ほど、コアなファンは

逆にガッカリした自分の気持ちは

相手のために、口にしないのではないか。



裏切られたような思いには

なりようがないほど心酔してる。

相手が傷つくくらいなら黙る。

ファンってそれくらいの思いで

続けてきていると想像する。



だから本当の意味でファンの声?

って正直、疑問に思いましたね。

数珠つなぎする責任への誘導であり

食いつきいいだけのネタの仕掛けだ。



性加害の問題に山下がどう思うか

どう考え、どう結論を出すのかを

無意識に山下に求めて期待している。



そして欲しい答えになっていない

期待に応えないことに反感を覚える。

見損なったと、勝手に決めつけても。



これよく考えたらやりすぎなんです。

相手に100%の完璧を要求して

自分(大衆)は何もせずリスクなし無傷。

ズルいだけの勝手な理屈とテンション。



彼が関わる範囲外のところに

これにも答える責任があると思わせ

言うこと聞くよな?当然答えるよな?

って脅しているようなもの。



同じ男性として永山絢斗の

釈放時のあのヒゲどう思います?

この局面で失礼だと思いませんか?



と急に意見を求められても。

答えなきゃいけないのか?全部。

なんでも聞けば答えるのが礼儀

みたいにしてきた弊害だろう。



山下の対応はなんら普通なこと。

自分の作品まわりのエリアだけは

壊されないように死守するのだと

そういう決意を感じますけどね。



それも相手に乗らない戦略ですから。

担ぎ出されて同じ土俵に出される

それはやっちゃダメなんですよ。

それをわかってるんでしょう本人は。



世間の流れには絶対に乗らないよ

という感じか。これから先の

コメントを期待する流れにも

乗らないでしょう、きっと。

勝手に切り取るでしょうけども。



彼は自分の作品も含め、

関わった作品、提供した歌い手

いっしょにつくった共同体としての

意識を強く持っているような。



身を粉にしてつくりあげた

作品という側面からただ守りたい。

そのラインを絶対に決壊させない

という強い意志を感じる。



それを作品と歌い手に対して

自分の関わる範囲内で守ろうと

しているのだと感じます。



一緒につくってきた者としての

責任感に近いものかもしれない。



性加害は別問題として切り離す。

じゃないと、勝手に作品まで

ないがしろにされ、食べかけを

残したまま次の獲物を狙う奴らに

それを許してたまるかという意識。



そして年月をかけて紡いだ

活動や作品の領域への無秩序な

侵食は絶対に許さないと。



飛び火に対してしばらくのあいだ

動じずに自分の足で留まっていると

流れはある程度、変わってくる。



ウズウズしてる欲求のハケグチは

他の問題に向いていく節操がない

流れだと気づいているから。



いまは何を言っても

薪をくべ続ける人や

メディアがいるわけでね。

その流れには乗りませんよと。



山下達郎の作品はワタクスは

ど真ん中の世代でもないし

あまり夢中にもなってもいないが。



いまは、ジッと地に足つけて

耐え忍ぶ局面だと思っている。



それはズルではなくてね。

でもズルいと捉える世間が

正義に見えるかもしれない。



トータル的な視点でみると

その判断のほうが正しいように

思うからなんでしょう。



作品をつくり先の先まで展開を

つくる人たちはその場だけを

見て瞬時に、決めるはずがない。



それはいろんな事件や逮捕で

作品が中止等の影響を受け続ける

昨今の流れをつくり手として

演者として、許しがたいものと

思っているからに違いない。



侵食しなくていいところまで

侵食され、誰も守ろうとせず

面白がるだけになっていく流れを

大局で勘づいているから。



自分の関わる分野で守るべき

作品や活動のエリアを守る意志。

悪いことではないと思うけどね。



大衆が守ってくれるわけでもなく

自分たちで守るしかないのだと

そう思ってる断固たる決意でしょう。



性加害の件にまで自分が

詳しく関わってもいないのに

自分から発言するわけがない。



そこは個人の領域であって

勝手に意見を表するのも違うと

確信してるから言わないはずで。



すべての意見に

真摯に応えることも

答えることも

絶対必要、なわけがない。



そこを自分から主張して

あえて押し切っていいと

個人的には思いますね。



いまは世間の正義が正しく

見えるかもしれないが

冷静になれば全部に真摯に

というのは、相手の思うツボ。



ワタクスはいつも書きますが

世間がイイと思うことの反対に

真実や突破口があると思うので。



また次のエサに食いつくまで

本人は頑固に自分の作品まわりを

守ろうと動かないでしょう。

それでいいと個人的には思いますね。