近所でボールを蹴る音や
弾ませる音が聞こえてくる。
昔、自分もやってたなぁと
思い出しますね。遊びは外で。
部活だけじゃなんか足りない。
ちょっとボール触りたい気持ち。
なんとなくわかるなぁって。
テレビゲームがまだ十分
家庭に普及していなかった時代
田舎なのでね、余計に。
昭和時代はまだ道路事情も
空き地事情も、雑も雑でね。
田舎は特に整ってなかった。
子供でもね、堂々としたもんで
他人の所有地に入って遊んで
怒られたりもしてましたね。
やっぱり時代は野球やサッカー。
ボールを扱うような遊びが人気で。
最近の子どもらは選択肢も多様化。
バスケやバレーやラグビーなどの
大きなボール、重いボールに限らず
バドや卓球など軽いものも扱う。
もっと小さい頃は鬼ごっこなども
やるにはやったが。
手打ち野球もやったかな笑
ビニール製のボールや
軟式テニスのボールとか。
なんもないときは昭和は
新聞のチラシを丸めて
セロテープで留める、これよ笑
卓球の球も使ってた。
変化球投げやすい。
高学年や中高生になってくると
部活でやってる種目を目にする。
若い躍動感とともに真っ直ぐに
ちょっと足りない不安や自分を
埋めるために練習してるのは
昔も今も変わらない。
何十年か前の自分たちの状況と
比較してしまいますね。
同じです、あの頃の気持ちがわかる。
空き地はいつのまにか少なくなり
空き地であっても何らかの管理で
目が行き届くようになって久しい。
入れるようで入れない空間を
増やし続けてきたセンスを
私たちは自己評価でサゲない。
あまりに自由がない空間を
大人たちは自分の都合で
つくってしまったのに。
自分たちが子供の頃にはしゃいだ
あの大声出しても怒られない
怒られてもあまり気にせず堂々と
笑って許してくれた当時の大人も。
いま私たち世代になってどうだ?
子供の声は元気になるからと。
ちゃんと謝れば許してくれてね。
でもいまの大人はどうだろう。
時代は生活圏内を整えてきたが
なんか狭苦しい雰囲気とともに
迷惑かけてはいけない意識が
すごく高くなりすぎてるのかな。
ワタクスも小学校の頃だったか。
近所のガラスを割ってしまって
泣きながら謝りに行った思い出。
やるなよ迷惑だ!といまの時代は
なんとなく言えてしまう雰囲気。
直接でなくてもSNSを介して遠回しに。
そのほうが意外と伝わる効果。
そして彼ら子どもたちに
なんとなく、ほんとになんとなく
寛容になれない雰囲気がある。
たしかにうるさかったりする。
それでもそれは大人がどの時代も
ある程度ガマンして寛容になって
子どものしたいことを邪魔しない
そういう配慮もかつての大人のように
受け継いで通るべき道なのだ。
だから多少のことは目をつむる。
そういうガマンを意識して受け継ぐ。
みたいな感覚って大事かな、やっぱり。
先日ウチの母、ローバー(老婆)が
ウチの家の壁にボールをぶつけている
近所の子どもをやさしく諭していた。
それは逆にあっていい。言うべき。
全部ダメや全部OKではなくて
本来、行動すべきなときもちょっと
怖がるようにオールオアナッシング。
コロナなどいろんなケースでも
日本人はこの感覚を無意識に
身につけてしまっているから。
いろんな意識で逆に窮屈に
互いを縛りつけてしまう現代。
お金を払わないと入れない
レジャー施設ばかりを当たり前に
受け入れてしまっていないか。
子ども時代のあの純粋な気持ちは
無下にできないのだが
どうにもこうにもすべてを
窮屈にしてしまう雰囲気は
ストレスを増やすばかりで。
もっと緩くしてやれないものか。
それは子どもたちだけでなく
私たちをもラクにする気がする。