例のダーキシ襲撃未遂事件。

あの青年は選挙制度に不満が

あってやったのだと報じられた。



ワタクスも似たようなことは

ずっと書いてますがあのラインを

越えてしまうのは、違うから。



おそらくみんな似たような不満

社会の中で抱えているのだが。



日本はそこでどういうアピールを

すれば社会に風穴が開くか

その手段がないからなのだろう。



日本の社会はオトナになるに連れ

どうにも動かしようがない現実を

悟ってみんな諦めていくでしょ?



それは社会の成熟度合いが

高いようで低い証拠でもある。

一度落ちると這い上がれない

それも熟知してるから失敗を避ける。



避けるマインドが消極性を高めて

押し黙ったままの人が増えた。

潜在的な不満のエネルギーを

ネット民に姿を替えて吐き出す。



失敗できても挽回できるのは

磐石で潤沢な資金がある地位

そこにいる人たちに限られてしまう。



同じ能力や意思があったとしても

ハナからアドバンテージが違う。



多くの人の心には不満があり

それを表現して変えていく手段が

限られて狭められていってる。



現実をまざまざと見せつけられ

歯向かっても仕方ないんだと

悟って意気消沈させられ諦める。



ここを強引にこじ開けようとすると

あの青年のような行動に出るしか

選択肢が残っていないのだろう。



ということは、考えてみれば

すごく悲しくて絶望するより

ぶつけてしまえと玉砕覚悟で

暴挙に出るしかなくなっている

この現実のヤリクチは不平等の塊だ。



だからこそ民間レベルで

別の方法でやる気を削がずに

動かそうとしていかないと

一生浮かばれることなく

一生を終えるようになるだけ。



国民性を熟知し利用した官は

反撃する牙を丁寧に抜いてやり

官がコントロールしやすく

つくってしまった。



日本人はここから先が勝負。

だが勝負する気持ちを挫き

戦意喪失させて飼い殺しする。



でも、刃向かってここから

どう動く気持ちを高めるか。



想像するに、動きたいが

先立つものもない、続けられない。

保証が何もない、安心を担保できず

二の足状態なのだとすれば。



助けてくれる人やコミュニティの

存在が必要になってくる。

動いても助けるバックアップできる

しくみが前提としてあれば。



日本人はもっとやる気を積極的に

発揮できる雰囲気が始まるだろう。



日本人は雰囲気次第で変わる。

その余地は十分にあるから。

たとえ甘えと言われたとしても。

そのまま死ぬよりはマシだ。



同じようにバックアップが

ある程度ある人は、やりたいことを

やれる環境があるから動けている。

これは紛れもない事実ですから。



だったら同じようにバックアップの

体制を整えると、これまでは

遠慮して動けなかった人の

気持ちが動き始めるだろう。



甘えだと言われようが

何もしないでおんぶにだっこより

確実に人は活かされるから。



その胎動は確実にあって

大きく言わないだけで

無数のサイレントシグナルは

ずうっと鳴っているのだから。



ここのデザインの仕方次第で。

強力な協力者のバックアップ。

つくるしか方法はないのではないか。



まだまだ負けを受け入れる

必要などない、絶対にね。



自暴自棄にさせられて

仕向けられているのだとしても

そのヤイバの向け方を

間違えてはならない。

 

 

 

ちなみに「無数の」というが

不思議なもので、数え切れないほど

たくさんあるのに数が無いと書く。

 

 

有数のというと、選ばれた

特別な人を指す言葉のように思う。

 

 

どうやら存在を否定するのは

いまに始まったことではないようだ。

 

 

私たちひとりひとりも存在する

例外なく有数であることに

いつだって変わりはないのだが。

 

 

昔からそう決まっていたのか。

抗えない現実を表すように。

 

 

対処しきれないからそうする?

先人たちの無数の嘆きなのか。

言葉に込められた逆説的な

メッセージなのかもしれない。

 

 

やはり上に行かないと

ムリなのかな。

行けなかったら終わりかな。

 

 

悔しいが惰性は強い。

惰性はダセェが強い。

無情で無常すぎる。

 

 

だが、諦めたらそこで終わり。