WBCで日本の野球を牽引した大谷は
どこか国内では神格化されつつある。
それが悪い方向に出なければいいが。
大谷の視点と国民の視点が離れるが
大谷がギャップに悩む必要などない。
自分のできる旬やピーク、限界を
ある程度理解しつつ挑戦してる。
永遠でない今、この時をやりきりたい。
そのわが道を周囲を気にせず
極めてほしいし、本人が自分を
一番わかっているだろうから。
ひとつのえげつない存在が出現すると
そこを神格化していって、それに合わせて
ついてこいよという流れ、無意識に生む。
本人が引っ張るならまだしも
周囲の支持する「他人が」勝手に
彼を神格化してそこを利用して
彼にあなたも合わせなさいと。
大谷が頑張ってるんだから、
お前らリリーフも失敗せずに
ちゃんと結果出せよ、みたいなね。
その雰囲気いま、出てるんですよね。
これを悪いとは私たちも思っちゃいない。
いろんな日本の問題の根っこ。
ネット上の声って主観的で大げさで。
チームというより大谷個人に注目し出す。
メディアもそうでね、個人を注目させて
個人を褒め称えている記事や大衆の称賛
その声を載せるほうが観てもらえるから。
結果的にメディアも悪い流れに加担してる。
当然メディアも発想は典型的日本人と同じ。
この人たちも悪いと実は、わかってる。
でも、流れに逆らえるほど強くない。
大谷もエンゼルスの一員であって、そこは
チームの勝利のために頑張るのであって。
個人の成績はもちろん、チームの勝利こそ。
大谷本人は自分が結果を出して
引き継いだ中継ぎに、たとえ
足を引っ張る失敗があったとしても
責める発想は微塵もないだろう。
メジャーならなおさら
その発想はない。しない。
むしろ観てる側が
大谷を単体で見たい人が
大谷頑張ってんだから、
お前らもちゃんとやれ。
ありません?この流れって笑
この論理、日本独特の風土的で
無意識に出てしまうもの。
あんまり深くは考えていない。
でもこれ日本だけっぽい気がする。
主成分が非表示なだけの同調圧力。
無味無臭、無色透明なんですよ。
実体もあるようでないもの。
一番すごい◯◯が一番がんばってる。
だからお前らも、もっとがんばれよ。
この理屈ね、日本人は好きなんですよ。
家族、職場、学校、社会すべてが。
言う側も安易に使いやすい
相手を説得させやすい理屈に
聞こえてしまうから。
高校野球に、学校教育に
体罰スポーツ教師に、PTAに。
もうあらゆる根っこが似てる。
目標物に対して、高いところに
対象がありそこに合わせにいけよと。
そうやるとレベルが上がると
単純に考えるが。
たしかにそうかもしれないが
人間の個々の違い、尊厳は認めて
理解して、人を包み込むべきだ。
それをできない封じられた日本人
いま私たちはようやく気づいてきた。
同調圧力に近い感覚を
日本人は昔から備えていて
もうおかしなことだと
自覚できないほど当たり前に
定着させすぎたきらいがある。
現代になり、ようやくその
同調圧力を可視化、言語化して
みんなが気づき始めているが
それでも同調に流れを持っていかれる。
そこで有利に進める勝者がいるから。
彼らがうまく利用して有利に進めるから。
だから、いまは弱点がわかったんだけど
その弱点を隠している人や狙いにも
もう気づいたけど、その流れにまだ
逆らえない状況にいる、ということ。
言葉で端的に表現するのは難しい笑
三回くらい、読んでください笑
上下関係みたいな感覚の延長で
「だからお前もがんばれよ」的な発想。
結果的に同調が招く結末といえば
これを言っちゃダメだというと
そこばかりを気にしてしまって
全体としては勢いがシボんでく。
テレビなんかでよく見られる光景。
マスクをつけろといえば、マスク。
マスクをつけた個別の人間本体への
影響を考えない。というか
そこから先は自己責任だという。
いやいやいやお主、
違うんですよおヌシ。
仮に、自己責任というなら、
本来はマスク同調、この時点から
自己責任でいい。
おかしいのはマスク同調をさせたうえで
悪くなってもそこから先は自己責任
という流れ。
流れがA→Bとなるとき、
Bから自己責任
でもAから個別で自主選択なら
わかるんですけどね。
Aを納得してやった結果がBならば。
Aで統一させようとして
全体合わせする同調圧力。
Aの影響で個別に悪くなったとしても
Bからの責任は負いかねる
というのは、アタマオカシイ笑。
詐欺に近い感覚なんだろうな。
自分の意思で選んだんだよね?
じゃあ自分で責任とってねと。
最初に半強制シフトを敷きながら
(わかってやってるんですよ彼らも)
同調圧力ありきの心理を利用しながら
その後に放り出してぶん投げる笑
これが、日本ですよ。ほんとの。
どれもこれもあまり考えずに
変えることをせず、億劫になり
ちゃんと考えて物を言う雰囲気を
ずっと封じてしまったからで。
物を言えなくなると反論がないと
表向きは、賛成とみなされて
みなして全体が進んでしまう。
だから実はそこに欠陥があったとしても
気づいていたとしても、同調意識強めで
物を言わなかったがために、
のちの致命的な失敗に発展してしまう。
その下地というか、原因に
気づいている人がいながら、
失敗を甘んじて受け入れる。
このタイプの人の割合が多い。
これを誰かが俯瞰で見ている。
俯瞰で見ていて、こうなるだろうと。
ほら、こうなった。
な?思ったとおりだろ?
でも最初の時点では、誰も言わない。
言えない雰囲気で始まるから
いつまでも失敗の原因になる
小さなツブテを取り除くことは
叶わなくて、わかっていながら
失敗を受け止めるしかない。
ドッキリだとわかって
ドッキリにかかる。
ん?これは違うか笑
坂道でベビーカーが動き出す。
あぁ、動いてる、動いてるよ。
見てる。遠くからずっと。
誰も言わないの?
誰も助けないの?
なんでなんで?
動画撮ってる。は?なぜ?
日本人はマジメなんだけど
変化やデルクイ打たれを嫌って
物を直接言わなくなったことが
すべての原因なのではないかな。
話がとっ散らかりすぎた笑
違うんですよ、ただなんとなく
気づいてほしいだけなんです。
いや、みんな気づいているよと
認識して、みんなで動かすべき。
それを言いたいだけなんですけど。
なんかこんな事を直視して
直そうと自分たちで変えようと
してこなかった私たち全体の
責任なのかもしれない。