誰の発言とも知らず覚えている
「ワタシ女優よ」みたいな
フレーズが廃れていくのだろうか。
別に「女優」でいいんじゃない?
ってワタクスは思いますけどね。
俳優じゃなくても。
無理に合わせにいくと逆に
不自然になることってある。
「わたしは女優よ」という
誰が言ったか知らない
この種のフレーズにおいても
ムリヤリ俳優にさせる意味は?
このままの雰囲気を俳優にすると?
完全にスベりますよね。
なんか違和感が残るようなね。
「わたしは女優よ」の中に
詰まったプライドや使命感
いろんな思い、経験があって。
若い頃から演技の世界で生きて
50代や60代になってようやく
言えるようなセリフのイメージ。
彼女らの歴史を全否定するような。
ワタシ俳優よ、キラーン笑
ワタシ女優よ、キラーン。
古い時代を知っている世代ほど
違和感を感じるのだろう。
でも言っちゃダメな雰囲気に
無理にでも合わせにいっても
なんか違うときってありますね。
彼女らのフィールドに土足で
ズカズカと入っていって
違いますよ?と指摘する意味。
最近はこのズケズケスタンスが
各種の業界の領域においても
踏み越えすぎてしまっていないか。
指摘する側は相手を考慮しない
なんなら踏み絵ジェンダー狩りに
つき合う必要も権利もない。
それくらいに逆側を守っていって
日本はちょうどいいくらいなんです。
なんでこうなるんでしょうね?
正しいから?正しいことなら
相手が困っても断行すべきなの?
相手が不自由に感じてもやる
その効果の是非は考えない。
さぞかし気持ちいいのかな笑
いろんな業界が風評を恐れて
萎縮し出してからおかしな流れに。
女優でいいじゃないですか。
萎縮させて窮屈にさせて
面白くないっていうどのツラが?
彼女らにしかわからない領域で
到達しうる領域があって
無理に世間の常識に合わせて
ちゃんとやってるな、よしよし。
って器量が無さすぎる気がする。
若い女優には事務所があえて
世間におもねる形で俳優と
言わせてるんだろうけど。
仕事や職業の領域において
あえて突っぱねてもいい内容と
そうでないのがあるはずだ。
男性のほうは案外、俳優だと
言う人は多くないように思う。
むしろ男性は役者と言いたがる。
自分、役者なんで。
その自由だってあっていい。
女優だろうが、俳優だろうが
役者だろうが気にすることなく。
無理に合わせにいっていまは
窮屈させてしまっていないか。
世間を気にすることはない。
自分たちの意見が通ると若干
得意げになるだけであって
相手の事など気にしていないのだから。
ならば女優だって言うのを
押し通して世間を気にしない
それだって互いの負荷のかけ方は
なんら変わりない、お互い様で。
堂々と自分のプライドを示して
女優と名乗ったほうがワタクスは
清々しい気がしますね。